1955年(昭和30年)の平均寿命である。定年は男は55歳が平均で、男の余生は10年もなかった。そのころ、私はまだ幼児。周りの大人を見てはいなかったが、戦争で亡くなったり、栄養価の高い食糧を食べている世代でもなくて、

さらに医療も進んでいるわけでもなくて、総じて短命(今と比べて)であった。1953年で初婚年齢は男で26歳くらい、女性で23歳。タイムスリッップして同じ60代を観察できるとしたら、当時のほうが老けていた可能性が高い。定年後、健康で、余生を楽しく過ごす予定が突然の病魔に襲われたり、事故に遭ったり、子供のことでトラブルの渦中に入ったり、結婚してやれやれと思ったら、子連れで自宅に戻ってきたり(筆者も娘からそのときはよろしくと言われている。トホホ)する。息子の失業も心痛める。引きこもっていないだけいいかと低い理想で慰めたりする。

現代は男の平均年齢は80歳に近づき、約20年間、自分のために生きられる。しかし、どうだろうか?趣味ばかりでは飽きがこないだろうか。忙中の中の『閑』であるから充実の時間が過ごせたかもしれない。『何をしてもいい自由』は、30代や40代に仕事や職場の人間関係だけで完結していると辛いものがある。私も現役のときに3連休でもあると『早く休みが終わらないか』と密かに思っていたこともある。

特段の趣味もなく(ゴルフせず、呑まず、スポーツせず、本だけは読んでいた)過ごして、今なら『老人の引きこもり状態』に突入である。一気に老け込んで、目から輝きを失い、足元もふらつき、免疫力も低下して病魔に苦しんでいてもおかしくない。ありがたいのは、札幌生まれ、札幌育ちなので、学校の同級生も多く、転職も4回して、各分野に知人も多く、根っからのお喋りなので街を歩けば知り合いに当たる。会社の閉鎖的な空間を嫌っていたので、結果として得をしているかもしれない。若いときから自分の住む町の町内会活動をし、いまも続けている同僚は若々しい。

他人に説教はしないで、自分の足で歩む癖を持ってる人は不平・不満分子になりにくい、つくづくそう思う。企業や集団は、限られている酸素量を皆で吸い合うようなもので、呼吸で汚れてくる。外気を吸いに出なければ、鮮度は保てないと思いましょう。60歳を過ぎても現役で働く人が異常に増えて、嫌われていたり、喜ばれたり様々である。私は世間のお邪魔虫で『ちょこっと片隅に座らせてくださいな』という気持ちで生きていてちょうどいい。週に3回の営業のアルバイトで自分の1ヶ月の小遣いを年金を頼らず稼ぐことを目標に生きている。自由の確保に必要な最低限の小遣いである。友人・知人とのお茶代や昼ごはん外食費、図書費、映画、コンサート、たまの飲み会。夫は妻から離れて生きる、妻は夫から離れて生きる。ベタベタが一番よくないと筆者は思っているのだが・・・・・。

  1. サラリーマンが大っ嫌いで会社を辞めましたが、フリーでの生活の不安定さに凝りて、またサラリーマンに戻っては辞める繰り返しでした。しかし、暮らして行くには、それなりの金銭が必要ですから、サラリーマンのように定期的に貰う給料がやボーナスが約束されて居れば少なくてもお金の心配だけはしなくて良いわけですから精神的には気楽でしたね。ですから、趣味と実益のカメラにも凝りに凝って、プロ器材を平気でローンで買い求めました。週末になれば遠くは道東の果てや離島まで1~2泊で知人と遊び、冬ともなれば市内の近くや郊外のゲレンデで思い切り遊びました。やりたい事は山ほどありますが、意外に全ては出来ないものです。遊びも趣味も、安定した毎日と仕事があって初めて出来るものですね。退職してから温存していた幾つかの趣味をと考える方々も多いと思いますが、余程の自由に使える預金と自由な時間や日数がない限り定年後の趣味には限りが有りますね。一人の人生の中で何かを出来る、それぞれの時間や日数を数えてみると、各時間や各日数は思いのほか短い事に気づきますね。

    • 現役のサラリーマンって忙しそうで、趣味や遊びに時間を使えますね。お金も定期的に入る、特にボーナスは大きいですね。私は自営業はしていませんが、好きなことは10代や20代から始めるといいですね。あっという間に人生終わりますから、好きなことをして日々送れる人生でありたいです。老化とともに何ごとも面倒くさくなりますね。困ったこのです。気分転換で道立美術館、キタラでの11月3日のコンサートなどイベントに参加して五感の刺激をしてこようと思います。JR代金が往復で1500円は痛いですが。

  2. 人間も大抵は表と裏がありますね。他人に見せるのは表の自分であって全てではありませんね。家庭の顔、知人友人恋人に見せる顔。会社や職場での顔など、百面相とまでは行かなくても、その場その場の顔や姿や態度が違いますね。しかも、これらのどこにも見せない本当の自分の顔や姿や態度もどこかに持って居るに違いありませんね。人の心の中までは本人以外には覗けませんからその人の或る一面だけを見て評価や決めつける事はできません。100歳超えの時代に入って来ましたから、未だ未だこれから始めても出来る、意外な一面を身に着けて見つけたいものですね。

    • 表の顔と裏の顔、第3の顔もあるかもしれません。子供時代からそういう面は丸見えですね。誰も見ていないところでいいことをする、それを心がければ、そんなに悪い方向へはいかないですね。欲動と見栄が心の根本にあるとしたら、二重世界,三重世界に生きてる私たちです。自分が生かされる時間はわかりませんんが、日々是好日で生きたいものです。

  3. 母は86歳で、父は96歳で生涯を終えました。むしろ兄や姉の方が短命でしたね。戦争で、都会で、暮らした兄弟姉妹の中で、田舎で育ったのは私だけです。私の中学卒業と同時に東京に戻ろうと母が言っていましたが、田舎生まれの父は反対でした。私も父派で、行きたくありませんでした。行動的な母はしょっちゅう兄弟姉妹のいる東京に行っていました。あんなに元気な母が早く亡くなるとは思いもよりませんでした。慣れない田舎暮らしに疲れたのかも知れません。環境が変わるとストレスや疲労が増して身体にも心にも良くないのでしょうね。映画俳優や歌手などにも50代前半で亡くなられた方が多いのは、過密なスケジュールで毎日を過ごして睡眠不足や過剰なストレスや、またそれを解消するためにとお酒を飲む機会なども多かったのでしょうね。小説家にしても〆切りまでに書き上げなければ行けませんからかなりのハード・スケジュールなのでしょう。その点、我々が救われるのは比較的のんびり過ごせている事でしょうか。

    • 誰にも知られず、無名の人の人生を羨ましいと思う有名人も多いでしょう。絶えず、見られることに疲れて、ハワイに行くのでしょう。そこにも知り合いが多くてヨーロッパに居を構える女優もいます。何が嬉しいカ、ストレスがたまらないかの根本に誰からも干渉されない自由さってありますね。この「自由」をめぐる論争ありますが、どんなに権力から物理的な制約があっても、精神の自由、何を考えてもいいという贅沢は手放してはいけないと思います。お母さんが東京へ何度も行ったのも、自由さがあったからでしょうね。父は79歳、母は89歳で亡くなりましたが、もっと父から彼の人生や満州での出来事を聞いておけばよかったと思います。また先祖の話も聞くのを忘れていました。いまの自分と先祖とつながる気がします。残念です。

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