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以前大通公園で、20代後半か30代の赤ん坊を背負った女性が、自転車の荷台を簡易的な陳列スペースにして、手作りのクッキーを売ってました。いろいろな事情が想像される光景ですが、商品もパッケージもしっかりしている上に身ぎれいにしているので、単なる生活苦と言うより、そうしたいという強い意志を感じました。
もちろんこれは、保健衛生や道路専有など様々な制約があるため、まともに申請しても許可される可能性はなく、間違いなく違法です。見たとおりに母子家庭だとしたら、赤ん坊をどこかに預けて、母親が働きに出るのが普通でしょう。それ以外に方法はないかもしれません。

しかし、赤ん坊と一緒に仕事がしたい、できれば自分の得意なクッキーづくりで稼ぎたいと思うのは人情としてよくわかりますし、わがままというのも酷な気がします。これが昔の日本、例えば戦後の混乱期なら、この商売はまっとうなほうだったし、路上販売が後に店舗や企業に成長した例は少なくありません。また、日本以外でなら、赤ん坊を背負っての路上販売は、ごく普通の光景です。こういう小さなビジネスは産業の種子のようなものですし、経済の新陳代謝の面からみても望ましいもののはずですが、日本の、しかも現代の若者にだけそのチャンスが与えられていないとも言えます。

ネットで売ればいいとか、福祉団体に相談すればというような意見もあるでしょうが、そんなやり方では、結局誰も自立して稼いでいない、大きなビジネスにつながっていないということは、直感的にわかります。「そういうの、もういいから」と言われてしまうでしょう。
複雑な事情のない若者にとっても、状況は同じです。現代の日本ではごく小さなビジネスの立ち上げでも誰かの支援がなければ無理ですが、例えば親にしても、大学に行かせることはできても、小さな店1軒をオープンさせる事ができるのはごく限られた人だけです。だったら、そこそこの学歴を身に着けて、どこかの正社員になる以外の、面白そうな人生の選択肢がないことになってしまいます。

結局この母子のクッキーは、近くのお店の目に止まって、店頭に置いてもらえることになりました。だからと言って最初からお店に持ち込んでも、扱ってもらえたわけではなかったでしょう。最初は少々非合法でも、アイデアと行動力が、一つの小さなビジネスを成立させてしまったわけです。できることなら、アイデアや行動力が非合法にならずに済む、イージーな環境を作ってやれないものかと思います。

以下は筆者の追加記事です。


企業の出発点を探ると、小商いから始まっています。雪印乳業(現メグミルク)も創業者黒澤酉蔵夫婦が札幌の町をリアカーに乳製品を積んで行商から始まりました。ロイズのチョコもスタートは創業者がチョコと牛乳を混ぜたり、試行錯誤をしている姿を目撃している人が先輩にいました。小商いは商売の核(コア)ですね。楽をして儲けようとしないことが大事です。

  1. 一代で築いたと言う企業の創業者は幼少の頃から商魂たくましく、コツコツ努力しながら大企業にまでのし上げていますね。二代目となると、創業者のやり方と違う方法、つまり『当代随一』現代に一番適した方法での経営模索を始めますね。それが功を奏せば成功します。また伝統技術など創業者のやり方そのままを継承し続ける方法も有りますが、最近では継承者が居ない悩みもありますね。若者たちに継承して欲しくても成り手が居ない悩みの裏で、何と外国人のクリエーター達が日本の伝統や芸術文化に興味を持ち、来日し長期滞在の末、技術を習得するなどの動きが目立っています。身近な日本の若者たちには灯台元暮らしで日本の良さが分からないのでしょうね。身近に商機は幾らでもあるのでしょうが、さほど苦労せず、一見派手な仕事に目が行きがちなのでしょうか。

    • いま現存する企業を始めた人たちは並大抵ではありません。帯広に晩成社という開拓団があります。静岡から26人が渡ってきてこの周辺を酪農。大豆など農業王国の基礎を築いた人たちです。殿様バッタ被害や」洪水、冷害にやられながら生き延びて、子供をつくり育て学校を立てました。チーズを作っても遠く東京の商店へ運んでいました。六花亭のマルセイバターのセイは「晩成社」の「成」を借りたものですね。依田勉三というリーダーのもとに会社を興しましたが、うまくいかないとリーダー同士の仲たがいもあって分裂したそうです。静岡県の高校に依田勉三の碑が立っています。ところで小商いのすすめですが、とにかく小さくてもアイディア浮かんだら動いてみる癖は幼いころから大事ですね。近所で庭の樹木を伐採する会社を立ち上げた人がいて、応援しています。自宅の木を3本伐採し、廃棄場まで軽トラックで運んでもらいました。すべて込みで1本4000円。2時間で終りましたよ。土曜と日曜営業です。

  2. 大通公園を商売に活用しているのは殆どが大企業ですね。その方が市としては潤うのでしょうね。地元の稼ぎぶちは会場設営業者や食材納入業者くらいでしょうか。比較的小規模業者の催しと言えば、つい先日まで開催のオータム・フェスタくらいですね。それも参加資格や規制が厳しいのでしょうね。個人のビジネスは蚊帳の外ですね。個人のアイディアやノウハウを披露できる会場にでもできれば、行く行くは市の経済の底上げにもなるのでしょうが、全て大手に丸投げの体制は変わりませんね。『蚤の市』的な誰でも参加できるイベントも、最初から最後まで大手は関わらず個人の自主組織で立ち上げるのが理想ですね。

    • 常設のノミの市って、いいですね。地下歩行空間はオール蚤の市会場にすればいいですね。里山の思想があります。だれもが自由に入れて、キノコでも取れる共有空間ですね。何を打ってもいい空間があると、物づくりの人たちは気合がはいります。さらに使用料を取らない。そういう自由空間は、市民も好きですから老若男女集まってきて活気で済ます。観光化されて さっぽろのみの市(ネーミングに工夫必要)「のみの少ない札幌ですが、人工的にノミのスペース作りました)。NOMI NOMI プラザ

  3. ロイズには、未だ創業者の社長自ら試行錯誤していた頃に、オリジナル・チョコの見積依頼に伺った事がありました。あの工場跡に、昨年には立派な店舗が立ち上がって居ますね。創業者は皆んな最初は一人で立ち上げた人がほとんどですね。これと決めて、それに魂を打ち込める情熱は一体?何でしょうね。夢は一朝一夕では成せませんから、周囲に創業者の考えや思想に同調する人達が集まって来て協力体制も次第に出来上がり、目的や目標に近づくのでしょう。そう考えれば、成功するには、創業者の人格にも大いに関係してきますね。

    • ロイズコンフェクトというネーミングも不思議でどこか欧州の企業かなと思いました。千歳線の水田や畑に看板を立ててました。観光客には「何だろう」と思わせ、ロイズチョコと食べさせ、美味いの評判ができたのですが、牛乳を混ぜている創業者を見てた人もいます。事業は一人ではできませんから奥さんや子供、信頼できる友人、広告会社、印刷会社などたくさん必要ですが、まずは創業者の人格や信頼性ですよね。

  4. 終活やダンシャリやリサイクル流行りですから不要になった衣類や自転車や、不要家財道具などを展示販売できる場所を提供して欲しいですね。そして値札の無い口頭での交渉が基本で、簡単な補修が出来る業者やクロネコヤマトなども参加して、買い取った大きなモノは会場から発送できればいいですね。期間を設けて、売れ残ったものは終了後、出展者が数百円を市に払って市の廃棄回収車が処分してくれれば、参加する出展者も売れ残りを回収する必要もなく、家庭内の不要物を処分でき、そんな会場施設もできればいいですね。

  5. 市の施設はいくらネーミング・ライツだかで名前を変えても未だ赤字経営ですから会場料金は高すぎます。一般の市民の参加費では到底賄えません。それに使いにくい会場ですね。階段の上り下りで高齢者にはムリです。下地もコンクリートで足に悪いです。理想は無料駐車場も有って交通の便も良いところですから街の中心部より郊外の方が良さそうですね。以前、丘珠のつどーむでフリーマーケットをやって居ましたね。子供達も退屈しないような会場構成にすれば集客も期待できそうですね。屋外は雪まつり会場にもなるのですから、その期間でも良いかも知れません。寒いですから館内で休憩して飲食やトイレタイムも兼ねての入場なら雪まつりもリサイクル・マーケットも集客できますね。既に同時期に会場が開いていればいいですが?

    • 何でもめんどうになれば、民間の知恵を借りたいと自治体はかっこうよく言います。初めから知恵がありそうな職員を採用しなさいと思いますね。採用後も、民間に出向させて学べばいいわけでね。ボランティアしている市立図書館も運営と司書たちを外郭団体に丸投げして、ボーナス払わずです。市自身が広告代理店ですね。地下鉄中釣り広告も場所貸し、大通公園も場所貸し、オータムフェスタも広告代理店に場所貸し、夏のビアガーデンはビールメーカーに場所貸し、ピンはね産業に見えます。いつのころから命名権など始まったのでしょうか?政党も命名権で売ってみてはいかが?

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