二条市場の衰退と露天商の存在の活気(K氏の投稿第二弾)
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札幌の二条市場は、その昔は鮮魚店と業務用食材店などが並ぶ本格的な市場でした。
同時に多くの露店が並んでいて、魚屋や八百屋では扱わない、
自分で採った山菜や干魚などを売っていましたが、そのうち露店が禁止になりました。
これは、常連の近隣客が不便になるので、魚屋のお兄ちゃんたちにも不評で、
巡回を見かけると露店に合図をして逃がし、いなくなったらまた呼び戻す
ということを続けていました。
するとパトカーが居座るようになったので、お兄ちゃんたちは警官に食って掛かる。
そんな緊迫したシーンになることもありました。
当時、魚屋のお兄ちゃんにも警官にも知り合いがいて生の声を聞けたのですが、
警官も非常に怖かったそうです。お兄ちゃんたちは手に手に、魚箱を引っ掛ける鉄の爪を持って
食って掛かってきますし、警官も自分たちが
悪代官所の木っ端役人の役どころだとわかってますから。
しかも、そういう割の悪い現場は、若手が行かされることが多く、
つい「腰の物」に手が伸びそうになったと言ってました。
露店が撤廃される頃から近隣客には少々不便になり、
周辺の八百屋、精肉店、惣菜店なども徐々に廃業。
二条市場は、観光地化を目指すしかなくなりました。
それで活性化はしましたが、実は市場の魅力は、地元民が利用していること、
地元の生活文化に触れることができることです。
「あそこは観光客向け」と言われて、「ぜひ行かなくちゃ」と思う観光客はいません。
そのせいで今度は国内客が減り、今は韓国、中国の旅行者がメインです。
完全に土産物店街になってしまい、例えば空港の一角を「二条市場」と名付けて
土産物店を並べたのと何も変わらなくなりました。
今なら無理に蟹を売るより、ニンジャショップを始めたほうが儲かると思います。
問題は、今まで書いた中に誰一人悪人が出てこない、善意の人間ばかりということです。
露店と一緒に衰退し、シャッター商店街になるよりずっとマシだったとも言えます。
難しいものだなと思います。
昔の少年。
二条市場と言えば、何か強引に買わされそうな怖いお兄さん、お父さん、叔母ちゃんの声を想像します。市場はどこも同じようで彼ら彼女らと対等に言葉を交わせなければ思う様に買い物もできませんからね。と、思って居ましすが、昔乍らの市場の多い小樽の南樽市場にはよく行きます。入りやすいのは、余り強引さが無い感じと品物が良いからです。中でもお気に入りの水産会社とは長年お付き合いして居ますから、特に良いものを手ごろな価格で提供してくれます。でも肝心の交渉は主にカミさんがお喋り好きなので任せています。いずれの市場も比較的無口な私には敷居が高い感じですね。
seto
南小樽市場は小樽市民が沢山利用していると聞きます。私はもうなくなった苗穂の市場に行きました。豆腐屋も大好きでした。カマボコを揚げている店にも行って、できたてを食べながら歩いたものです。母親が市場でのおしゃべりで長居していた場所でしたね。二条市場へは、ラーメンのだるま以外行かなかったです。
アドマン。
先輩から市場の会話テクニックを習いました。市場に入ると、威勢のいいおばちゃんが『おにいさん、いい男だからカニ安くするよ!』と。そこで『お姉さん!残念だったね~今さっきそこで買ったばっかりなのさ~またね』とかわす技です。笑顔で会話を楽しめるのも、昔ながらの市場だけかも知れませんね。
seto
おにいさん、お姉さん、ですか。ススキノでおにいさんと声をかけられて嬉しかった記憶がよみがえります。
oldbadboy
観光化しはじめの頃はすごかったです。各店の前に、本州送りのスチロール箱が背丈ぐらいまで積まれるのですが、◯ロネ◯◯マトと、◯う◯ックが、相手の伝票を引っ剥がしては自社のに書き直しあってました。よくケンカにならなかったものだと思います。それを見て、市場の人間と地元民は大笑いしてました。
seto
なるほどですね。東区に長年住んでいたのですが、そういう二条市場だったとは知りませんでした。東2丁目か3丁目のカマボコ屋は北の誉へ行くときや帰り道寄ってました。相手の伝票を自分のところに持ってくるのは、もうケンカ状態ですね。