、昨年の夏、2カ月ぶりに友人と札幌の中心部のカフェで談笑した。私のブログのデザインをしてくれ、さらに寄稿もしてくれる物知りな人だ。近況報告をしていると、私の後ろの30代らしきノートパソコンで打ち込み作業をしている人から睨まれたと言っていた。テレビゲームに集中していて周りの音に敏感なのかオジサンの野太い声が耳障りなのか。

彼は右耳が難聴で、声を少し上げないと伝わらない。私も歳相応の大声になっていたかもしれず大きな声ならごめんですが、待てよ、ここは居酒屋でもなく公共空間のカフェ、昼休みでカップル、女性同士、会話が弾んでいる。友人が『出よう』との合図で、近所のホテルのロビーに場所を変えた。ここなら誰からも注意されない。どこへ行ってもスマホが必携の現代人は、打ち込み・ゲームなど無言の行為に溢れている。

夕方、中学時代の同級生と別なカフェで会い、カウンター横並びでカフェにて思い出話。近況報告も含めて1時間。しかし、一番端にいたノートパソコン作業をしていた若者が『うるさい』という表情で意思表示された。

同じ日に2軒のカフェで2回ともノートPC作業の男から『うるさい迷惑』表示されて、少し考えてしまった。

私が育ったのは10代から喫茶店文化。大いなる議論をしたり、読書会も実施、仕事の打ち合わせも、デートの待ち合わせもして、デートに遅れるようなら店側が電話で取り次いでくれた。店内放送で『●●さま、お電話です』とね。賑やかなこと。ジャズやクラシック、映画音楽も流され、たえず誰かの声や音楽に囲まれていた。

學校教育も1クラス50人以上で10クラスだ。ワイワイ育ち、原っぱでサッカーや冒険をしていた。5時になればあちこちから『夕ご飯だよ」と聞こえてくる。

そういう雑踏のなかで生きてくると、自然と声が大きくなる。雑音や雑踏、笑い声の洪水に浸って育つと、夜の居酒屋はゆったりできた。それにしても、サラリーマン時代の居酒屋からみたら静かなことは確かだ。東急エージェンシーから電通に転職した人が「日本ハムでも勝てば昨日の試合の論評から一日が始まる」、しかし、電通には無駄話がない。息苦しい社風だと言っていた、

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