どうしてバカがこんなにたくさんいるのだろうか。わたしはどうしてもそのことを考えずにいられない。バカげた行為を平気で見ているのもどうしてだ。人類は大きなサルの仲間にきわめて似た動物で、気が遠くなる年月を経て、現在に至っている。

三つの根本命題がある。我々はだれなのか、どこから来たのか、どこへ行くのか。地球上でもっとも知的能力に恵まれた人間が、どう見ても筋の通らないことを平然とやってしまう。ダーウィンの「人間の由来」にも人間は、一番近い動物からみても、知能の質と量は圧倒的なのに、こんな資質を、どうして少ししか使わないのか?

そこで、動物行動学のコンラッド・ローレンツの著作を読み漁り、動物行動学の原則と方法で人間を動物の一員として考えることで(優れた動物と考えないで)成果があがらないか考えた。この学問が人間が愚かな行動をする理由を何か教えてくれるかもしれないと。自分でもバカなことをするのはわかっている。どんな力がそうさせているのか。

これまで、理性よりもっと強い何かがあるのだろうか。ローレンツに会いに行った。自宅の裏庭を散歩しながら、「先生、先生は人間の行動の多くは、知性をより多く利用する方向ではなく、利用しない方向へ進んでいるとは思われませんか?どうしてもそうなってしまうのは、社会や文化のせいだと思われないでしょうか。われわれがバカになるように条件づける、一種の文化的な(そのうえたぶん自然的な)選択があるのだとは、考えられないでしょうか?」。

ローレンツは、愉快そうな笑みを浮かべて「あなたは想像もできないほど大きなことを考え始めているのです」と言った。彼の目には驚きと好奇心が浮かんでいた。教授は歩きながら、第二次世界大戦におけるヨーロッパの狂気、レーガン大統領の政治選択、コントロールが利かなくなる軍拡競争に見る権力者の妄想。

「人間の場合、文化的な選択は非常に強力であり、おそらくいまでは自然の選択を凌駕しているだろう。社会的行動が、あるいはあるいは社会によって引き起こされた行動が、個人の選択を支配し続けるようになっている。」ローレンツはそう言った。わたしは、そうした傾向が、人間の知的能力を衰えさせる可能性を推察した。

「人間の知恵は、必要があれば、いつでも出口を見つけ出す。しかし、ひとたび問題の解決を見つけると、もう知能を使う必要はなくなり、まねをするだけになる」反復は創意工夫とは違い、知的資質を衰えさせる。彼とのロングインタビューは「そして神はバカを創りたまいし」という記事になり、日本でも活字になった。

それから、何か月か経過して、この議論はローレンツの友人の哲学者にバトンが渡された。それからローレンツは逝き「人間性の解体」という啓示的なタイトルの本を残した。オーストリア人の哲学者との往復書簡が始まった。※ 哲学者の基本は、理性への信頼、進歩への限りない未来への楽観に満ちている。ホモサピエンスの知的資質が進化を促し、特に大脳皮質の使われ方は他の動物と絶対的な差を生じさせている。

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