退屈について 工夫の源!?

140124yo401_cs1e1_480x

退屈について。筆者は国分さん以外の本は未読。

退屈なので消費する。消費する動機が退屈だからする、ずいぶん日常の暮らしに余裕がある科白ながら、物を買ったり、レジャーに行く動機を正直に現している気もするのだ。しかし、退屈だからテレビを見る、退屈だからメールでもしてみるかなど、退屈という気分は人間の行動の大きな部分を占めている。

イベントがあるから行くのではなくて、退屈だからイベントへ行くのだと考えると『退屈という気分』が『行くぞという意思』を超えている気もする。そして、消費の嫌らしい本質が、そこに物語を付けて戻ってくることだ。それを語ると次の人に伝染する。

『あそこのシュークリームは絶品。いままでの人生で最高のシュークリーム』だと有名ミュージッシャンが語れば、それがあっという間に拡散する。HPが無いことがかえって消費や購買を過熱させる。地元のテレビ局やグルメ雑誌も無料で書いてくれる。お金を取る広告はノーサンキューだ。原材料(ある町の乳牛から搾乳されるミルク)に拘れば作れる商品の量は制限される。夕方の4時からしか開店しない不思議な店だ。https://www.facebook.com/choucerclehokkaido/なにせ、ススキノの中にあるからね。そういって私も宣伝隊に組み込まれている。そして食べたが、平凡な味であった。道産子ならどこにでもある味だよねと言うと思う。

退屈だから選挙でも手伝うかなどと思ってその熱気に当てられて、当選したときの快感が忘れられず、麻薬を打たれたような高揚を味わう。選対に関わった人から聞いたことがある。選挙は非常時の出来事、日常に飽きた人々がお祭りやカーニバルで散財して熱狂するのも日常の平凡や退屈を忌避するためで、それを組織的に組み込んでいる世間。退屈な王様(皆、かしづくからつまらない)が道化師を身近に置いたのもうなづける。イエスマンばかりは疲れるので夜の逆転世界に行く政治家や企業経営者や大学教授たちの心理も似たりよったりだ。

あらゆるスポーツ、戦争、祭り、政治、映画、演劇、各種飲み会、競馬をはじめ賭け事、議論(討論)。退屈な日常を避けるために作られた巧妙な装置かもしれない。国会中継などは役者不足の下手な芝居に似ている。こういう茶化しのブログも筆者の退屈の仕業かもしれない。同じ穴の狢(むじな)状態だ。

でも考え方では、ひとりだけの退屈は一番の贅沢かもしれない。他人を巻き込まず、とりあえずその日は食べていける食品と銭があり、部屋の酸素を吸いながら生かしてもらっている。ぼんやり、昔の仕事の成功や失敗を思い出したり、死んだ同僚たちとの会話を思い出したり、急に書棚に走り、気になる1行を確認しに行く。

ギャンブルも退屈だからはまっていくのかもしれない。29歳の営業マンでありながら、毎日毎日4円パチンコをして、パチンコ代金も給与の前借をしてATMで下ろしていた。筆者に昨日3万円負けた・幾ら勝ったと報告をしていたが、本業の営業は嫌い、『早く60歳になって年金をもらいたい』と言っていた彼!仕事をしないので退屈な毎日を過ごしていた彼はいまいずこ。後日、東京へ異動した彼は、しかし、考えてみると働かないでも生きていける、パチンコ三昧で他人に迷惑をかけないで生きられるとは贅沢な人生だと、貧乏性の私が思うのも真実だ。

 

 

4 thoughts on “退屈について 工夫の源!?

  • 2025年5月23日 at 8:08 AM
    Permalink

    金持ち喧嘩せず。金持ちは余計な事はしないと言う事ですね。買い物にも出かけず、デパートのクルマに商品を沢山積ませて外商を呼びつける。しかし気に入らなければ買わずに帰す。貧乏人にありがちな気の毒だから何でもいいから取敢えず買ってあげなければとかの罪悪感など無駄な感情も抱かない。自ら買い物にクルマは使わない。燃料代も掛かるし、タイヤも減るし、神経も使うし、無駄な運転時間も掛かるし、万が一事故に遭遇もしかねないから、ジッとして居るのが一番利口な方法だと。外商は仕事だから仕方ないと裏では舌打ちしながらも揉み手でペコペコ頭を下げてやって来ます。一方、我々貧乏人は、近くにロピアが開店したと聞けば我先にとクルマで駆け付け、一つで良いものを三つ一束にパッケージされた食品などを安いと思い幾つも買ってしまう。勝った後で後悔しますが、安かったからと自らを慰める。貧乏暇あり金は無し。つまりいつまでも貧乏なのは無駄遣いが当たり前になっているからで、一向に反省しないで、何かにつけてまたクルマで出かけるのですが、燃料代も下がるはずが、タンクに貯蔵分が無くなるまで下がらないとか、駐車場もお金が掛かり、交通機関も値上がりして動きが取れないですね。動かなければ良いものをついつい動く事で多忙を装う癖は治らないですね。

    Reply
    • 2025年5月24日 at 10:32 PM
      Permalink

      わたしも貧乏買いをよくします。20%ひき、さっきはスイカを50%引きで買ってきました。とにかく割引と書かれてあると買います。6時半以降なら3000円で5000円分帰るかも。コメも少しづつ安くなってきました。米なんて全員に無料で配布すればいいものをね。ガソリンも100円で十分。大企業に法人税率を下げて400兆、500兆円を儲けさせてますからね。隣の奥さんがロピアの話をしてました。ピザが500円でしたと。老夫婦二人でピザも肉も食べません。20年前なら買ったいたでしょうが。IT企業の社長は全資産を寄附に回すと言ってますが、回された国の軍人や官僚たちが虎視眈々と狙っている構造を想像すると、日本の海外投資と似ています。楽して金をどっさり稼ぐ人の集団です。大阪バカ万博も下請け2次下請け賛辞下請けで、金が未払いが何億円もあります。中抜き企業が謳歌してます。現場をすてて中抜き野郎たちが謳歌する産業にいいアイディアや本格的に国に税金を払おうとする産業が沢山出てくる余地がない。政治家や官僚たちも中抜きたちと構造は変わりません。金融機関や証券もね。

      Reply
  • 2025年5月24日 at 5:34 AM
    Permalink

    退屈はマイナス面ばかりでも無さそうですね。退屈が続けば、何もしないでいるよりも、新しい発想やアイディアなどが閃く機会にも繋がるようです。ですから時には退屈な時間も必要なんですね。私も焦って走り回って入るものの仕事が無くて丁度今退屈の真っただ中です。新しいアイディアが湧けば良いのですが、未だそれらしき兆候も無く、早朝から起きてPCのA.I.のCHAT GPTに向き合い、相談相手をして貰いながら、お金にも成らない北広島市の国道のカントリーサインのデザインを考え出しています。果たしてこれが何かの起爆剤にでもなれば良いのですが?。先が見通せない不景気な時代に入りましたが、退屈を味わいながら生きるしかありませんね。

    Reply
    • 2025年5月24日 at 10:36 PM
      Permalink

      知り合いの退屈屋さんが動き出しました、町内会のHP作成を始めたり、ホテルのバイキングに行動を写したり、写真を活発に撮影したり、生きている間、子供や孫たちに残すために節約を止め始めています。誰の人生なのか気づきだしました。自分や全くの他人にお金を使える喜びがわかってきたんですね。ボランティアもそうです。退屈から芽生えた自分のいきかたですね。

      Reply

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です