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昨日の続きになるかもしれません。最近、偽うつ病とか真正の鬱だとか経済紙や週刊誌で精神科医がインタビューをされて、それぞれの立場や心療内科の患者さんの傾向やその社会的な、職場の背景を述べています。

わたしは18歳のときにパニック障害(当時は心臓神経症と命名されていたと記憶する)を一度体験して、救急病院に運ばれた。そこで、医師と話しているうちに収まってきて、「いったいこの症状はなんなんだ?」と思ったものだ。薬はもちろん何も処方はされていない。これを繰り返すと鬱に発展するらしい。とにかく人間関係病としての「鬱の興隆たるや」抗鬱剤のメーカーは笑いが止まらない状況だ。

この「鬱」という漢字を見るだけで鬱鬱としてくる。すぐには書けないから「うつ」と平仮名にすると柔らかくなる。どういう由緒の漢字なのか、白川静さんの辞書でも開かないと判明しないが手元にない。この人が上司だと必ず「うつ病で1か月休む人が出てくる。または辞表が出てくる」という人間がいる。

こういう鬱を起こさせる人間の特徴をざっと経験的に述べると、喋り方が断定的、仕事を丸投げで責任をとらない、相手の人格を全否定する、劣等感が強い、同期から見て出世が遅れているという焦りが生き方に表れている、とにくかく理詰めで相手を追い込むのが好き、上司へのゴマスリは10倍上手、そして自分の言動が部下や社員に鬱を起こさせているという認識が超薄い。

大きな企業は、鬱を発症した社員を休ませたり、人事異動で別なところで働いてもらうという解決策のほかに、原因の素になってる上司を別な都道府県へ移動させる方法もあるが、ネットの時代は、あっと言う間に「行き先の支店へ情報が届き憂鬱な空気が地方の支店にまで流れる」。一番困るのは、「自らの言動が相手を鬱的にしているという認識が全然なくて、この程度で落ち込むなんて、どういう根性をしているんだ」と言わんばかりの人だ。部下が馬耳東風であればいいけど、まともにこの風に当たると凹む者も多い。

一方、鬱的になる人を何人か見ていて、末っ子と一人っ子(男兄弟いない)に多いかもしれない。生きていれば、ある時期に鬱的にならない人がいないくらい、そんな場面はいくらでもあるのに、それから深く進行していく人と回復していく人の違いはどこにあるのか。どんどん自分で孤立していく人は重くなるし、ケセラセラで先を生きていける人は軽い。

「うつ病は脳の風邪である」というテーマで講演会をしたとき、講師の精神科医が、参加者へ鬱にならないおまじないを最後に教えた。「ジャマイカ療法だ」。「じゃ、まあ、いいか」だって。突き詰めない、テキトーに止める、不完全を容認する。凹んだとき唱えてみてください。

  1. スパルタ式は通用しない時代になりました。若い人達が直ぐに辞めて行くからです。古い上司達は自分たちがそうされたように、これまで通りに部下を叱れば社内で大問題になり、パワハラ上司と言うレッテルが貼られて下手すれば辞職にさえ追い込まれます。
    セクハラも同じで昭和時代のわれわれの若い時は、今考えれば被害者そのものでしたね。今さら返せとは言えませんが出来るならお願いしたいですね。更に神様の筈の客に対しても各社カスハラ対策が講じられています。例え冗談にせよ下手な物言いは犯罪になりますから注意が必要ですね。言葉も凶器にも成り得ると言う事でしょうか。口喧嘩なども無くなる時代ですが、しかしその裏ではSNSなどを使い誹謗中傷でのいじめで自殺に追いやったり、金銭をだまし取る詐欺など陰湿な事件は後を絶ちませんね。つまり、表面上は改善されたかのようにも思えても、実際には更に最悪の別の問題が山積する状態に変わっただけですね。言葉も文字も凶器になり得ると言う事でしょうね。

    • 少年時代は町内の野球少年団に入り、中学生から虐められた記憶があるので体育会系の集団には近づかない知恵が発達しました。中学でも高校でもそういう人たちや要素のある集団に近づかないようにしました。それが社会人になっても生かされてきました。モラハラとかセクハラとは無縁の(と、私が思う)世界で生きられてきました。子供のころの記憶が結果的に自分の人生を救ってきたといえます。スマホをたくさんの人が持つようになって、丁寧な言葉遣いをする人が少なくなりました。親しい人にこそ必要な丁寧さですね。それは人と適度な距離をとる必要性です。親しき中にも礼儀あり。

  2. 鬱と言う字は中々書けませんね。漢字の中でも特別難解な文字ですね。鬱そのものも難解な病?ですね。しかし、誰でもなり得る病の様でもありますね。例えば問題山積で夜中に目覚めて考えると眠れずそのまま朝までと言う事もままありますから決して他人事では無いのかも知れません。身体は健康でも精神も健康でなければ病気にも成り得ると言う事でしょうね。何の心配も無く楽しく幸せなだけの人など存在しないのかも知れませんが、或る知人から聞いた話では、母親の介護で疲れていたらしいのですが、最後を看取った時に母親が最後に言ったのは『幸せが余ったよ』と。この一言で疲れも吹き飛んで感涙したと。例え身体は病でも心の美しい人の、心の底から出た人生最後の言葉は、その人の人格さえ表しますね。

    • 人生最後の言葉ですか。ありがとうが、一番嬉しい言葉だとある医師は最後を看取った経験から言ってました。すべての自分の〈故人)の過去の時間への全肯定ですね。対面する人への感謝ですね。母は私に「なかなか思うように死ねないね」と老人ホームで言ってました。100人入居の施設で親切な扱いを職員から受けていない、飯がまずいとこぼしていました。そしてすぐに眠くなる抗うつ剤を投与されていました。ベルを押さないようにしていたんです。全国ネットの老人hゴームでした。入るときに400万とられました。月々20万でした。そしてこの程度のサービス。自宅に帰りたくなります。

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