モンテーニュ(1533~1592)のエセー(岩波ワイド版の一、161p)に、『哲学をきわめることは死ぬことを学ぶこと』の章に出てくる。プラトンもキケロも同じようなことを言っている。年齢に関係なく、事故や病気、自然災害、戦争、蚊の一刺しでさえ命を取られる。たえずいつ死んでもいいように今を生きる癖をつける、自分に言い聞かせて死を恐れないような訓練や思考習慣を養い、楽天的に生きることを理想としたモンテニューであった。

私は20代前半で買った白水社の関根秀雄訳を読んでいたが違和感を感じるのでしばらく(40年間)読まずに積んでいたが、気になって図書館から原二郎さんの訳を読むとすんなり理解できる。翻訳者の力の大きさを堪能している。そこで上記の『いつか起こり得ることは今日だって起こり得る』。当たり前といえば当たり前ながら、いまの自分の住む場所で、時代で、地面で、通行途上で、自分が、または家族が親友が隣人が知り合いが、事故や事件や急病で亡くなるとは誰も思わぬ。いずれ人間は自分も含めて死すとはいえ、それは遠い遠い先で、他人ごとみたいな感覚で日々を生きているがどっこいそうはいかない。

『父がトイレで倒れていて息をしていない』と母から電話。私に『駅までそんなのんびり歩くと運動にならないから、早足であるく癖をつけないといけないよ』とアドバイスしてくれた近所の医療従事者人も、すい臓がんを発症して1年後若くして死去。毎日、ウォーキングをしながら私に携帯をかけてきた同僚も、突然の疲労感に襲われて、血液検査で急性骨髄性白血病と診断された。幸い、骨髄バンクで移植できる人を見つけたが、いざ連絡すると『親から移植は危険だということで反対されて』移植はなくなって地獄に突き落とされ、1年半後死去。

私も急性心筋梗塞で会社の主治医誤診で一日発見遅れて、心筋の30%が壊死。おかげで疲れやすい。妻は病院でうなる私を看ながら、葬儀の段取りと連絡先と生命保険の入る金額と子供にかかる教育費を考えていたらしい。ゆめゆめ最初に行く病院を間違えないよう、この病気の場合はこの医師、あの病気ならあそこの病院と普段から調べておくといい。私は死んだらこうするという話を妻と話して、子供たちへ伝えてある。葬儀はせず、焼き場へ直送して、市の集団墓地へ入れること。子供たちは遠いところに住んでいるので万が一に頼りになるのがご近所だから、親身に近所付き合いをすること。

先日も51歳の知人が早期退職して、健康維持のため河川敷でウォーキングをしていて心不全で急死の知らせが来た。健康のための無理な運動が命取りになる場合もある。とはいえ、人間の能力にも限界があって、エセーの中に『避けるべき危険をいちいち用心することは誰にでもできない』(ホラティウス)同著156p。


私も街中を人通りの少ない道を選択して歩いているが、罹患しないという保証はない。ウィルスに色が付いていたらなあと思う。

  1. 2019年後半のコロナ禍以降、私は極力マスクを着用するようにしています。特に人前では必ず着用します。夏は少々暑苦しく、冬は外気温度と息の温度差で眼鏡が曇って大変ですが、何とか工夫し着用しています。マスクのもう一つの効果は年々やつれて来る自分の顔にウンザリしてカモフラージュ用に重宝しているからです。やつれた顔は自分では鏡以外見れませんが、他人様から見れば一目瞭然です。歳は取りたくないですが、昨日もお祭り気分ではしゃぐ若いカップルたちがこれ見よがしに露出部分の多いファッションで地下鉄に乗り込んで来ましたが、かえりみれば自分にもそんな時代は有った訳で、いずれは皆んな同じく歳を取るのですから、別に羨ましがることでも有りませんが、いつまでも若い気分でいたいと言う高齢者の我儘ですね。無理な事ですが、他人様に余り見苦しい姿をさらすのも嫌ですからね。可能な限り身なりには気を付けたいものですね。

    • 私もマスクはつけて買い物や人前に行きます。自分の顔を隠すには最適ですね、おっしゃるとおり。朝の鏡で見たくないですね。ミニスカート流行ったとき、ある銀行の制服がピンクのミニになったとき笑ってしまいました。明日から上野。羽田は28年前に一度行ったきり。パニック障害の影響で飛行機乗れない長い年月でしたから。自分をさらしに行きます。旅行客はスマホで地図を見ています。私は上野周辺を印刷して地図としました。元国鉄マンの息子なので、すいすい、人に聞きながらあちこち行けると思います。事故に遭遇しなければいいのですが。品のある老人で動きたいものです。

  2. なる様になるさ!と楽天的に生きる事が一番と言われますが、それが一番難しいですね。それだけキッパリ自分をコントロールできれば、それに越したことは有りませんが、金銭問題や心の悩みやしがらみなど払拭出来ない事ばかりですから、それらをクリアにするにはある程度の蓄えや財力も必要になるでしょうね。何も心配が無い環境下に自分を置ければどんなにか楽でしょうね。また現実は格差社会ですから、そんな人たちも沢山存在するのでしょうね。そうでない我々は誰にすがる事も叶いませんから自助努力しかありませんね。自分の邪心と闘いながら。

    • なるようにならないのが人生ですね。何も心配がない人はかえって悩みが深刻かもしれません。お金あっても引きこもりで、親がいなくなった後の暮らしの心配をしている人がいます。80・50問題は、どこにでもあります。いくつになっても子供のことで親は心配します。悩みの種は尽きませんがそのうち自身がいなくなり、悩み消えます。

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