筆者は2か月に一度、心臓の薬をもらいに主治医のいる病院へ問診をしてもらい薬をもらうことにしている。今月もいつものように訪れ、名前の呼ばれるのを待っていると、左胸を抑えている私と同年齢のおじさんがいた。ほとんど予約患者で埋まっているので、臨時で飛び込んでくる患者に、看護師は『どういたしました?』と患者の横に座り、簡単な問診を始める。『胸が痛くて』『どんな感じで?1日に何回くらい?』『一日に3回くらい、ちくちくするのです』『筋肉痛の可能性がありますが、あいにく形成の担当の医師がきょうは不在で、予約をしていかれてはどうでしょうか?』と診断している。

何があったのか不機嫌な看護師で、筆者は医者にも見せず、ここであなたが診断してどうするのだ、万が一心筋梗塞だとしたら大変ですよと思ったが、患者は断定的な看護師の迫力に押されて、うなづいて、新患の順番を静かに待つことにした。看護師が帰った後、まだ痛そうに左の心臓部分をこすっていたので、私の順番が近づいていたから彼に譲るべきだったかもしれないと後で後悔した。私の判断ミスだった。

札幌周辺の基幹病院も看護師の質、職員の質の低下は否めない。妻が肺炎で入院した時も、点滴の場所を決める注射の下手さで1か月、台座の青あざが取れなかった。もともと循環器の医師が優れていて、カテーテルの件数なら多く、いい病院で医師も充実していたが、創設した院長の病気で脳外科と循環器の副院長の選挙となって循環器が負けて、外に出ることになり、病院の体質が変わってしまった。評判のいい循環器の女医さんは院長と大喧嘩していなくなった。「どこへ行ったの?」と聞いても医師も事務員も緘口令を引かれている誰も答えれず恐怖政治が敷かれている。

医療の世界の後進性は明治のころから変わらず、ロボットのダヴィンチを使おうが、PET使おうが、見るのは・判断するのは人であるから、患者の声や振る舞いや患者の暮らしの背景を丁寧に聞き出さないといけない。そういう意味で、医師の役割にまで口を出す看護士の出現にはびっくりした。そういえば、調剤薬局で、薬剤師に延々とおしゃべりするおばあさんやおじいさんが多い。おしゃべりをしたいのである。自分のことを心配してほしいのである。

はじめに出した心臓を押さえた患者に対応した看護士がもっと患者に寄り添う人だったら「心筋梗塞の疑いを持つはず」。最初に見立てをする人が誰であるかで、健康や命の不安が左右される。ここにロボット君が欲しいところだ。

  1. 看護師の職業病はよく聞きますね。仕事慣れして来ると、つい初心を忘れて自分流が半ば常識になるのでしょう。知り合いの姉妹は全員が看護師経験者で、聞けばいろいろ最悪な処置なども聞かされます。父親が入院先の病院で苦しんでいるのに、自分の勤務先の病院に兄弟姉妹の誰にも相談無しで勝手に転院させた直後に亡くなった事件。それまで看病や見舞いに行っていた姉たちがいつも通り病院に見舞いに行くと看護師から突然転院した事を告げられ転院先も教えてもらえなかった為に死に目にも会えなかったとか。看護師の独自判断事件は様々のようです。全員がそうとは言い切れませんが、ベテランになるほど経験が邪魔して独断の判断をするのでしょうね。慣れで基本を忘れがちなのは、どんな職業にも言える事ですね。

    • 患者にとって長い時間を過ごすのは看護師です。40日間入院した私としては、彼女たちとの個室での午後8時の検温と会話は楽しい時間でした。彼女たちも悩みを話してくれました。付き合ってプロポーズされているが、彼氏の後ろに女性の影があって心配だと。結局、結婚して、子供もできてスーパーで会ったことがあります。看護師同士の人間関係がきついみたいです。そのイライラが患者にも出してしまうケース多いと思います。

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