英国紳士、特に海軍でリーダーに求められる資質としてキャップテン・ラストの考え方がある。船が傾いたら、船員や部下たちを先に逃げさせて、自分は一番最後に逃げるという生き方だ。船が沈むときは運命を共にする。会社が倒れるときも、社長として全社員の次の職場を懸命に探した有名な山一証券の社長もいた。自分の人生は二の次だ。国が倒れるときも真っ先に現職の大統領や首相が国民を捨てて海外逃亡する。きっと隠し財産をもって、同行者はお金持ちが多いというのが相場だ。海軍や政治とは関係ないが、実際、1954年9月に起きた青函連絡船洞爺丸が沈み1139人の乗客が亡くなったとき、浮き輪を隣の人に渡して沈んでいった神父さんがいたが、基本はある事態に立ち至ったら自分のことは後回しにできる人とできない人の違いだ。これは日常性からすでに始まっているかもしれない。現代はあらゆる場面で損と得の価値観が横溢しているから、わかりにくいと思う人がいるかもしれないが、キャップテン・ラストの生き方は、日本の企業の中でたくさんあった。身近にいたのは、部下がしたスポンサーの倒産で2000万円の損害を会社に与えたときに当時の課長から社長へ「俺の管理ミスから生じたので辞表を出す。まだ若い彼を辞めさせないでくれ」と直談判した。仕事ができる課長であったから、辞表は受理されず、あれこれあって部下が辞めていった。その彼に代わって入社したのが何を隠そう、この私である。複雑な気持ちである。誰かの犠牲の上に自分の人生があると強く思った。キャップテンラストの思想は、母と子の関係でもよく聞く。「この子のためなら死んでもいい。助かるなら臓器も上げる」という母親も多い。子供にとってお母さんは家庭のリーダーだ。

青函連絡船摩周丸の甲板にいたカモメ

それが今日、「キャップテン・ファースト」が家族関係や政治、官僚の世界まで滔滔と流れている気がする。「まずは私が得をする」「他人のことはさておいて、まずは自分の利益を確保して」「まずは自分の食料を確保して」政治家であれば「国民や市民よりまずは、私のことを最優先しないと」この(まずは)という副詞が、人々の行動の基本にある限り、突き抜けた新しい生き方や政策が出にくい。

  1. 昨日もエレベーターのボタンを押して、後から並んだ高齢女性に『お先にどうぞ!』と。バスターミナルの行列でも男性にも同じ手振りをしましたが、逆に『どうぞ!』と譲られました。それもその筈、私の方が高齢だと。どうぞお先には車の運転でも各所でやり取りしますが、中には乱暴な輩も多く、腹立たしい事も多いですね。お互いに会話が無くても気持ちは通じ合えるもので、ちょっとの仕草とちょっとの笑顔で分かる人同士には十分通じるものですよね。困っている人を見かければ声をかけて見たり、例え外国人だとしても手振り身振りまたは図解でも何でもコミュニケーションは取れる筈ですね。随分昔ですがクルマで講演の廻りをゆっくり走って居ると雪に埋もれて倒れて居る老人を見つけて、早速助け出しクルマで送り届けた事がありました。また、真冬の吹雪の石狩新港の工業団地に仕事先からの帰りに、バスが不通なのか、雪だらけの中年女性が居ました。車を停めてどちら迄ですか?と。麻生までと言うので、帰り道の途中ですからどうぞ。と送り届け感謝された事があります。浜益に向かう途中の濃昼で、真夏の炎天下を一人で歩いている老人が居ました。ジープを停めて何処までですか?と私と同じ目的地の浜益だと聞いて乗せてあげました。あんな炎天下の遠路を一人で歩く高齢者を見たら知らんふりは出来ませんね。困った時はお互い様。自分もいつかは他人様の世話になる事もあるでしょうから、自分にできる人助けは当然の行為でしょうね。

    • 坊主の孫さん、えらいですね。私も気をつけてはいるのですが、せっかちで自分ひとりでエレベーター乗ってしまうことありました、すぐ後ろに乗ろうとする人がいるのにね。車にいままで他人を乗せることはなかったですね。真冬や真夏にトボトボ歩く老人を見たら、私もそうするかもしれません。私の住む団地でも気になる老人が二人います。なにかあればかけつけようと思いますが、なんとか一人で歩いたり、歩行器に電動器具をつけて買い物をしています。一緒に電車で通勤をしていた人です。スーパーの店長をしていた人です。奥さん、いないのですね。老人は譲る人、多いです。譲らないのは政界の醜悪なボスたちだけです。

  2. 多忙期に知人の紹介で獲得した或る不動産関連の仕事を相当やりました。ところが、GWの最中にある筋からの情報で倒産したと。早速事務所に向かうと鉄の扉が閉まっていました。計画倒産で2000万円引っかかりました。ヤクザ弁護士にも直談判に行きましたが、敵も然るもの逃げられました。今度は社長の自宅に向かいましたが、出て来たのはチンピラ風の若者で逆に脅されて話が通じません。本人はススキノに別の事務所を開設したとの情報で請求書を施錠されたドアの郵便受に何度も入れて来ました。当時の私の会社の支店長は稼ぎ頭の私には『お前は仕事しろ!あとは俺がやるから・・・』とか言いながら、何の手だても有りませんでした。とうとう、そのまま上澄み退職金を要求して退職してしまいました。私の代になって判ったのですが、その負債は帳簿から一向に消えていませんでした。結局は私の汚点には違いないのですが、俺に任せて仕事しろと言ったからには何らかの処理の手だてが欲しかったですね。結局は負債分も自分で稼いで返す結果になりました。彼は本物のキャプテンでは無かった訳です。

    • 「美味しい仕事の紹介はヤバイ」と広告代理店ではよく言われました。ブルーハウスのS社長と知り合いでしたが、宝石を売っている時代もあって「買ってくれないか」と言われましたが、生活で手一杯で断りました。その後、輸入雑貨のブルーハウスを大展開して売り上げを伸ばしました。たくぎんからの融資も後押しいていたのです。「チラシの仕事ならいくらでも上げるよ」と言われましたが、支払いが手形なので断りました。家具業界は手形ばかり横行して、ひどい目にあってました。安い単価の商品なので、利益も出ず、倒産。広告代理店も3つ4つ倒産、凸版印刷も大被害、全国新聞の部長も倒産した広告会社の口座を開き、数千万の被害を及ぼしたことで降格になりました。どこにもキャップテンファーストの思考はないですね。計画倒産もありました、建設会社ですね。栗山本社の。財産を親戚や東遠に隠して、倒産を発表、支払いを中止。銀行も大被害を受けます。まして下請けの出入り業者も連鎖倒産でした。大阪万博でも工事支払いをされない会社がたくさんあります。万博協会、責任を取りません。わけのわからないフランスの企画会社に丸投げして、そこの企業が支払いしないのです。フランスにはキャップテンファーストの思想ないのかもしれません。アメリカもぼったぐりの様相です。

  3. キャプテン・ラストは父でした。東京大空襲の最中に家族全員を満員列車に乗せ自分の故郷へ疎開させ、一人残って、身の危険をも省みず家財の一部の送付手続きやら何やらすべてを終えた後、焼夷弾や爆弾の降り注ぐ混乱の中を命からがら一人汽車に乗り田舎へ帰ったようです。命掛けの逃避行だったのでしょうね。当時はどこのお父さん達もきっと同じ経験をしていたのでしょうね。
    不幸な時代の中で自分が生き延びる事より、家族を守る事の方が使命だったのでしょうね。正にキャプテン・ラストはそんなお父さん達ですね。

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です