世の中で一番重要な戦いは、自分の不安との戦いです(鴻上尚史)

「孤独と不安のレッスン」(大和書房 150p)より

「世の中で一番重要な戦いは、自分の不安との戦いです。ほとんどの場合、人は相手にではなく、自分の不安に負けるのです。失敗したらどうしよう、自分はもうだめだ、うまくやらないと笑われる・・・」

鴻上さんは、孤独といっても「ニセモノの孤独」ではなく「本当の孤独)を知り、向き合い、そして成長して大人になるアドバイスをしている。現代人は手元に通信機器でもあれば、それをすぐに手にして誰かにメールする癖ができてしまい、自分と向き合う習慣が減っている。自分の不安をごまかさないで、自分ときちんと向き合う。学生には一人暮らしを勧める。だが、部屋に一人になってもスマホがあったり、パソコンがあったりして、そこは孤独の部屋ではなく、どこかの他人とわいわいしている空間だ。引きこもりを成立させる大きな要因にもなっている。むしろたくさんの人を呼び込んでいるかもしれない。なぜ、自分の不安と戦わないといけないのか。自分を成長させるためである。どんな時代が来てもそれに耐える自分をつくるためである。「何が強いといって一人であることほど強いものはない」(吉本隆明)。中でもいずれ自分は一人で死ぬと言う確実なことがあって、不安は消えることはない。私は歳を取れば、不安は減ると思っていた時期がある。しかし、結婚して、二人の子供をもうけ、教育ローンと住宅ローンを借りて返済が終わったのが65歳。なんだかサラリーマン生活はローン返済で終わったような虚しい気持ちになる。借金の不安は消えたのに、今後、子供たちの世代や孫の世代、生きるのに暮らしの基盤は大丈夫か?と心配になる。私の周囲にも、自宅から出ない40代の男女がいるが、健康保険や介護保険は親が負担し続けている、どのくらい残せばいいのか、未来は考えたくない気分になっているみたいだ。現実のリアルを見ないと、前に進めないはずだ。以前、人間は行方不明になる時間が必要だと書いたことがある。人間が成長するのは、一人になったとき何をして何を考えるか。それを繰り返すことで成熟し、自分の不安と戦える素地ができる。

漁川で産卵を終えたサケ。筆者撮影。
  1. ジャーナリング(書くこと)不安の正体を文字の言葉にすることで漠然とした恐れが輪郭を持ち向き合いやすくなるでしょうね。
    今、何が一番怖いのか?その不安はどこから来ているのか?と問いかけてみる事で自分の感情を心の外に出すことができます。
    哲学的視点を持つ事も良いでしょうね。不安は「普通の人生や幸福とは何か」といった問いと密接に関係しています。例えばウィトゲンシュタインは「語りえ得ぬものについては、沈黙しなければならない」と言いました。不安もまた、言葉にならない部分を含んでいるからこそ沈黙や余白の中で受け止めることも大切ですね。 実践的な対処法例としては呼吸法と身体感覚への集中ですね。4秒吸って7秒止めて8秒で吐く「4・7・8呼吸法」は自律神経を整える為には非常に効果的です。また、手のひらをこすったり、足の裏で感じたりすることで「今ここ」に戻ることができます。また、不安を「敵」ではなく「メッセンジャー」として扱う事も良い方法でしょうね。不安は「何かが大切だからこそ生まれる」と言う考えです。例えば、「失敗が怖い」という不安は、「成功したい。認められたい」という願いの裏返しでもあるからです。不安は孤独の中で増幅しますから、もし身近に信頼できる人が居れば相談も良いかも知れません。誰かに話すことで言葉が整理され、心が軽くなることがありますからね。しかし、話す相手が居ないとか、誰にも話したくない時には、気持ちを整理する為のシャーリングが最も良いと思いますね。また夫々の考え方次第ですが、相談内容を明かす相手にA.I.でもいいかも知れませんよ。文字や言葉にするだけで、心が少しずつほどけていきますし、思わぬ解決策にたどり着く可能性もあるかも知れませんね。最悪なのは仕舞い込んだり貯め込んだりし過ぎる事では無いでしょうか。

    • おはようございます。これから幸福な時間(床屋)へ行きます。木曜日に九州へ娘と孫に会いに行くのでおしゃれします。1週間滞在予定です。すっかり飛行機が好きになり、いまのところパニックもなく、不安障害も出ません。出ていくのはお金だけです。坊主の孫さん、おっしゃるように書くことで自分の思考や感情のありかを見つめなおすことができますね。しかし、書けないことが深く沈殿していることも事実です。ヴィトゲンシュタインの日記を再読してましたら、結婚前提の恋人にプロポーズできない彼の懊悩が告白されています。1週間も別荘にいながら、結ばれないんです。そして悶々。助平な私にはわからない天上の悩みがありますが、どの部分を読んでも「神」「神」とうるさく出てきます。西洋哲学者は全員、これですね。悩んでいても都合よく「神」を出されたら、下手したら、殺人しても泥棒しても「神」を出して正当化する、言語でもって罪を罪でなくすることもできるわけで、ドストエフスキー「罪と罰」の世界です。きょうも子供たちが餓死寸前にいる、実際餓死している同じ時間に、MLBの球場で歓喜するファンたち、どこかの国に女宰相が出たと報道右往左往するメディア、地球上で同じ時間に、空間を変えれば天国と地獄が共存しているわけで、必要なのは想像力で、どこまで思考できるか、誰かを助けられるか。そういう点を考えると小さな私の頭は不安に駆られますね。

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