私は49歳の12月4日、職場で急に心臓が痛くなり、産業医のところに駆けつけた。が、心臓をグイグイ押されて、痛み止めをもらい帰された。病院受付には循環器医として認定する賞状が貼られていた。その日、明日は地元の循環器クリニックへ行くので、お風呂に入った(入浴は最悪の選択であったと後で知る)。次の日、心臓を見た医師は、椅子から動かないで動くなと言い救急車が呼ばれ、椅子に乗ったまま市内の手術設備のある病院へ運ばれた。夢を見ているような時間であった。私は暴れないように手足を縛られ2日間を過ごし痛みで叫んでいたようだ(どうも記憶がない)。
担当医は「奥さん、生死は五分五分です」と伝えらえたと後で妻から聞いて、彼女の中に、葬儀をどうしようかと浮かんだらしい。急性の心筋梗塞であった。50日間の入院で、患者たちが自分の傷を見せ合い、自慢ごっこもしていた。病院の内側から外が見えるようになった。たくさんの見舞い客が来たが、5階の窓から見る彼らは「朗らかで、軽くて、笑顔が多く」車に相乗りして帰社していった。私は、そうだよな、自分はどうにか病気にもならず健康で良かったという安ど感みたいなものを彼らに感じた。
私の入院で見舞いに一番多く来た、会社の同僚が62歳のときにウォ-オーキング中、異様な疲れに襲われ急性骨髄性白血病に罹患した。息子二人とも父親の骨髄と適合せず、骨髄バンクで最適者を見つけたが、登録者の親か危ないからということで、骨髄移植を拒否した。「兄弟は調べたの?」「腹違いの兄弟で財産問題で、ある時期大ゲンカしていまさら頼めない」と。1年6か月後、全身の痛みに耐えられず、叫びながら死んでいった。(なんという治療の病院!)。
あれだけ健康に留意して生きてきた彼が死に、1日40本のタバコを吸いテキトー営業を心がけ・アバウトな生活をしていた私が30%の心筋が壊死したとはいえ、生き残ってる。まったく人生はわからないものである。
太古につながる生活者の目というテーマと関係ないといえば、関係ないが、一寸先は闇は万古から続く真理ではないだろうか。死んだ彼のためにブログに遺しておきたかったことである。


私はよく妻と「もしも寿命とリンクしてカウントダウンするタイマー付き首輪が、人間に装着された世界だったら」という謎の妄想をしています(笑) この妄想はもっぱら「限りない時間(寿命)だから、迷わず生きよう」等で会話を終わるために使われるのですが、今回の記事を拝読してふと思い出しました。人間は、自らの死が遠く先にあると思うが故、惰眠を貪るし、その逆を考える人は努力に邁進されるでしょう。自分のサダメが分からないことが、人間を人間足らしめるのでしょうか。人の一生とは本当に不思議と思います。
寿命決定論ですかね。ガリバー旅行記に「死を知らない島」があります。80歳になると市民権は剥奪されますが、ずっと老いとだけ付き合い死ぬことはない島です。これぞ恐怖の島らしい。誰からも必要とされず、ただ生きているだけ。死よりも怖い世界です。お昼休みの使者さんはまだ若いから、死が遠くに見えるのでしょうが、私の年齢になると足元にありますよ。
私など明日の事は全く分からないからこそ明日も必ずあると思い込んで何気に生きているのでしょうね。明日は無いかも知れないと自覚でも背負うものなら臆病になって何も出来なくなるかも知れません。つまり無神経な性格が自分を支えてくれているのでしょうね。これも大病を知らない未経験だからでしょうね。意外にピンピンしているようでも明日は判らないのも事実なのでしょうね。好きな事も有る程度やって来たので今さら悔いはないですがね。
いっすんさきは、闇が正しいと思います。明日は風が吹かない可能性あります。なので朝に目が覚めるのは奇跡だと思いましょう。