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出雲大社 絵馬

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近所に出雲大社直結の神社がある。恵庭三神教会と言い、最初はキリスト教の新興宗教と思っていた・・・。そこの宮司さんと知り合いでお茶を飲みながら世間話をしていて、出雲大社は縁結びの神社であるから、結婚願望の強い女性たちが本州からもやってくる。

もちろん全道が中心だけど比率的に80%女性、20%男性が来る。縁が結ばれてゴールにたどり着いてのお礼の手紙もたくさん来ているらしいが、私はお節介ながら、氏名・年齢・住所くらいのデータを作って、お見合いの世話役をやってみてはとアドバイス。簡単なフォーマットを作って、携帯電話やアドレスは書かないで、ここの場所で合わせてはどうだろうかと思った。

一方、札幌のお寺の住職さんが、これまで3回お見合いをセッティングし、「善意でしているのにぶつぶつ言われるだけで感謝の言葉が何もない。金輪際、もう誰も紹介しないと怒っていた」と友人からメールがあった。

お金を払って婚活パーティ-に行くより、中年のおばさんに、人生経験値から、人を見立ててもらうサービスを受け取る文化の方が、燃えるようなものは無いけれど、長いローソクの火を灯すような付き合い方もありではないかなと思った次第だ。どんな超美人もイケメンも一緒に住めば100%飽きる、そこにお互いへの尊敬の感情がないと。しかし、今は経済面で支え合う共同生活が主流かもしれない。

だからこういう文化こそ晩婚化する時代にぴったりくる風習・お節介文化だと思うがどうだろうか?私はこれまでお見合いを3回セッティングしたが、全部失敗した。どちらもアウトではなくて、男の方はOKなのだが女性側が拒否だった。筆者の女性を見る目が歪んでいるとしか言いようがない。

懲りずにお見合いを継続するつもりだ。国の雇用政策の失敗のツケを若い世代から40代まで被害を被ってるわけだけど、一組でもゴールインして欲しいなと思う次第だ。失敗してもともとと考えれば、紹介された男女は「私にまだ気を遣ってくれる人がいる」という年配者への尊敬やら、ありがたい感情がどこかに残ると思うのだ。ぶつぶつ言って「私(俺)のことを全然理解していない」と紹介者をある瞬間、恨むことがあるかもしれない。

しかしたとえゴールインまでいっても、結局、別れるかもしれないが、それは恋愛だって同じだ。初めて会う男女の緊張感や言葉遣いを学ぶにも(失敗を含めて)生きた勉強になると思うので、読者の中に、もしいい縁談の話があったら、積極的に会ってみてはどうだろう。また50代・60代の読者もたまに仕事を忘れて、職場や近所の独身男女を結びつけることに注意を払ってはいかがだろうかという話である。

それにしてもことし30歳になるわが息子からさっぱり、縁談や恋愛話が伝わってこない。まずは足元の息子からかもね。

  1. ウチの娘も恋愛らしき事を二度ばかりしたようだが結婚はしていない。自分の娘だから味方すると言うわけでなく、問題は現代の男性に大いに原因があるようだ。①大人げない②経済力も期待できない③誠意がない④努力しない⑤将来性に乏しい。など全員ではないにしろ、こんな若者があふれている事も事実。最近の話題の「ゲスの極み」そのものよろしく二股も三股も五股もかけて遊び半分の輩は最初から遊び半分の付き合いしか望んでいない。周囲にそんな男性ばかり目につく一方で、親たちの家庭不和問題や離婚問題も独身主義を助長してしまっているのではないかと思う。そう言う僕もそんな悪い大人の一人かも知れないが・・・。

  2. 婚活パーティや合コンのほかにネットで知り合うなど現代は開放的だ。通信手段の少なかった自分たちの青春時代とは全く違う世代の若者たちは、むしろ用心深くなってしまっているのかも知れない。余りにも酷いニュースばかり見せられれば尻込みするのもうなずけるし、隣は何をする人ぞ?の都会の中で見知らぬもの同士が不用心に付き合う事の恐ろしさを思えば、隣近所の付き合いのある地方のような小さなコミュニティのほうが、むしろ安心できるのではないだろうか。男女の付き合いは少なくてもお互いに1年くらいは様子を見ないと相手の事は分からない。その点、サークル的な方法は、お互いを理解するうえでいいと思うが、果たしてどれだけの独身者たちを集められるか。現代の若者たちの求めている婚活とは何だろう。僕たちの時代にも世話人はいたが、見合いと恋愛、どちらの比率が高かったのか?いずれにしても最終的には本人同士の問題ではある。

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