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2月23日のニューズウィークに(Social Network for “Real Friends”)というタイトルで論文が載っていて、どこの国も抱える悩みは同じだなと思った。私も一時期、フェイスブックに参加しようか迷ったことがある。しかし、普通でもメール友達が多いので、これ以上増やしても時間だけ取られて、中身のない会話になると思い止めた。

しかし、フェイスブックは何年しても、メールで再開を促す。しつこい。簡単に削除できるような機能を持たせないとまずいと思う会社だ。オックスフォード大学の進化心理学者たちの研究から、「フェイスブック上の友達は、ほとんどすべて見せ掛けの友達。何かの危機が起きたとき、頼りになるのはそのうちの3%ほどだ」という。

3%以外の友達が悪い人間だというのではなくて、同時期に親密な人間関係を築けるのは5~15人程度までという大脳の「認識上の制約」があるためだという。私の人生経験からせいぜい多くて10人が限度だ。10人でもたえず色々なことで話し合うのは、厳密に指折りすれば半分くらいかもしれない。だいたい類は友を呼ぶ範囲だ。さらに厳密に考えると誰もいないかもしれない。お一人様だ。

カナダのフレデリック・ガラマニは、ネット上の友達を大部分切り捨てて「本当の友達」だけ残して、つながることを勧めるSNS「ジャスト10」を構築。プライバシーの保護機能が相当向上し、恥ずかしい投稿で悩むことも減る。発案のきっかけは「インターネットが普及する前は、私は自分のした未熟な悪ふざけや政治的な失敗を忘れることができた」「残念ながら、子供たちの世代には、そういう贅沢がない。ネット上の行動があらゆる人に検索される可能性があり、悲しい状況が生まれる」。

ジャスト10は、利用者を10名に限定するとともに10日後、データがすべて削除されセキュリティー侵害を防ぐ。ありのままの自分をさらけ出せる間柄だけと通信することは、発信する側・受信する側、双方にとって自由な空間を確保できるが、メールでccやbccを使う機能と同じかもしれない。増えすぎた友達を整理する、なんだか部屋のお片付けみたいな世界だ。静けさや落ち着きを取り戻す社会だ。

しかし、きょう(3月5日)エジプトで幼少のとき離れ離れになった子供をフェイスブックのおかげで親が見つかったニュースもある。こういう人探しや、緊急性のあることのお知らせにはその機能を発揮することは間違いない。5日の朝日新聞朝刊の家庭欄には、家族だけ見れる(共有する)無料アプリが紹介されていた。閲覧できる人を限定して、子供やメッセージを載せるアプリだ。「家族だけで安心して使える」と評判になっている。

だんだん、これでは昔の家族、昔の人間関係に似て来ていないだろうか。デジタルを使ったアナログの復刻版みたいな。使うのは人間で、そもそもアナログなんだ。自分が耐えられないことは他人も耐えられないということをアプリ化しているだけだね、遠回しに。カナダの開発者ガラマニは「こうだったらいいのに、と私たちが考えるソシャルネットワークの姿がある。10人以上になると、その理想から遠ざかってしまう」。

 

 

  1. 「♪トモダチの友達はお友達?やたら紹介されるけど~それはナイナイ~それはナイ~トモダチって言える奴は少ないよ~キミの人生キミのもの~みんな輪になりゃムリが来る~全部紹介すること無い~キミの人生、キミのもの~そう言うことです~そう言う事~!」堀内孝雄がバンジョーのリズムに乗せて歌う「人生キミのもの」の歌詞だ。フェースブックやら友達の輪を皮肉った作詞家の表現に同感して、僕のカラオケの沢山のレパートリーの中の一つだ。僕もフェースブックは5年ほど前には流行に乗せられてやっては見たが、何でも「いいね!」の他に言いようの無いのが気に入らない事と、自慢するほどの生き方もしていない僕にとっては、やたら個人情報的部分をさらけ出すところが嫌いになって、毎回パスしている。今ではメールが来ても即消去している。大抵は食べ物や、旅行や、学生時代などの自慢話など、たわいのない雑談にお付き合いしている時間も無いのも実情だ。友達の数を決める必要もないが、年々、黙っていても自然現象的に友達の数は減っていくのは僕だけ?だろうか。もともと群れる事も好きではないが、寂しく感じた事もない。

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