中国レポート「中国の食卓と宴会風景」
中国で建築業を営み、様々な事情から帰国をした日本人が招かれた中国人の宴会風景のお話です。
「中国の食卓と宴会風景」
中国では、たとえ金を使い果たしても、よほどのことがない限り食事に
ありつけると言います。もしそういう人が周囲にいたら、
誰かが自宅の食卓に誘ってくれる。そういう人情がまだ残っているそうです。
ただしこれは庶民の話。資本家(なぜか中国にも資本家がいます)同士は
よく昼間から宴会を開いて、互いを招待して飲み食いをしますが、
割り勘は絶対になく、誰か一人が全部持ちます。
そういう席ではホスト役の者が、政治や経済についてやたらと大言壮語し、
奢られる側はそれを聞いて、盛んにおべんちゃらを言う。
そんなやりとりが、宴会の間中続くそうです。
演説の中身は政府への批判だったり、経営のアイデアだったりしますが、
決して実行することはなく、口先だけ。
でも奢る側になることには重大な意味があるらしく、
例え商売が左前でも、借金してでも宴会を開き、
できなくなれば甚だしく対面を失うそうです。
また、誰が奢るかで争いになることもしばしばあるそうです。
中国では技術職の地位が低く、宴席に招かれることはありません。
ところが日本人は例外で、技術職でも宴席に招かれることがありますが、
雰囲気に馴染めず、何の意味があるのかもわからないやりとりが
どうにも居心地が悪いそうです。
もしかしたらこういう宴会も、食えない人を招く庶民の風習が
もとになっていたのかもしれません。
文革や経済優先施策が、中国社会が本来持ってた良い部分を
変えてしまったという中国人も少なくありません。
昔、昔の少年
僕たちが出会う中国人は、みんな大きな声で「おしゃべり」です。もちろん何を言っているのかはわかりませんが、ともすれば喧嘩かなとも思えるくらい自己主張しているようにも見えます。「おらがオラガ」の如く、けたたましく、辺りを気にしません。あの雰囲気には飲み込まれてしまいます。ファッションも自由気ままで普段着のようなラフな感じで、人目など気にしない。共産圏のイメージなど全く無い、世界中で、今一番自由奔放な人達のように見えるのは日本を訪れる一部の人たちだけなのでしょうか。外国人は日本に来ると「窮屈」だと言います。コンビニでさえ丁寧に接客したり、よそよそし過ぎるらしいのです。海外旅行をする我が国の人たちも、外国人から見れば、代表的な日本人として見られているのでしょうね。でも本当の文化の違いなどは、旅行なんかではなく、住んでみないと判らない事なのでしょうね。