去年の私と今の私は別人です。
人間の体は、血液にしても細胞にしても、皮膚にしてもほぼ1年でがらりと変わってしまう。皮膚は下から新しい皮膚細胞が盛り上がり、垢となって風呂場へ消える。古い血液はどこにいくのだろうか?たぶん便として吐き出される。
心臓の筋肉も新しくなるというから、私が50歳のとき心筋梗塞を起こし、発見がヤブ医者のおかげで一日遅れて、ほぼ30%の心筋が壊死したが、専門医に聞くと「壊死した細胞は細胞分裂は起きない」とのことで15年が経過した。階段を上り下りすると息切れはするが、なんとか心臓の機能は果たしている。肝心な大脳細胞も細胞分裂を繰り返して、ほぼ1年ですっかり入れ替わる。
ということは、去年の私といまの私はすっかり、肉体が入れ替わっていて別人ではないかと思う。去年、ある金融機関から借りたお金は「去年の私が借りたので、今の私は大幅な細胞分裂で別人になっているのだから返す必要はない」とも極論では言える。しかし、これを認めれば、経済や国は成立しない。どんなに細胞分裂で何度も私が新しい自分になっても、同じ人と同定されることになる。
動的平衡の福岡伸一さんファンの人なら、この話が彼の著作に何度も出てくるから覚えておいでのことだろう。しかし、私がどうしてもわからないのは、こころとか精神とかはどうなっているのだろうかということだ。考え方や価値観や好き嫌いが肉体的な細胞分裂の繰り返しで、どのくらい変わるものなのか。また変わらないのか?
結婚のときのことを思い浮かべると、釣るまではエサをたくさん撒いたが、釣ってしまうとエサはやらないのはきっと私の細胞分裂のせいで、私が変わってしまったと言えばいいかもしれない。何でも細胞分裂に原因を求めると、自分の意思はどこへいくのだろうか。要は私は私のまま、生まれて死ぬまで、変わらない私だと言う幻想が歴史のどこかで入ってきたと思えば妙に私は納得する。そういう風にした、そういう制度にした。私は変わってはいけないのかもしれない。不自由な私である。
ときどき、自分の意識や観念の世界から、「自分が出れれば、脱出できればどんなに解放感を味わうだろう」と考えることがあるが、無理だ。夢の世界さえ現実が出てくるわけで、自意識の中でそれぞれが暮らしていると納得するしかない。
養老孟司さんが一日5分でも10分でも自然を見なさい、花を見たり、空を見上げたり、地面の虫を見たり、作物を手に取ったり勧めているわけは、意識の牢獄から瞬間的にも出て自然に入ることができることを言っているのだ。人間の体はその年齢分の回数、入れ替わってると思うと不思議な感慨に襲われる。実はその答えは、一番上の図に回答がある。言葉や記憶や文字というツールが自己同一性を担保しているらしいのだ。
橋の下で拾われた一寸法師。
タケノコが孟宗竹に変わるように、ヤゴがトンボに変わるように、蚕がマユに変わるように、大きく変化する生物。それらと人間も変わらないのかも知れない。子供がそのまま大人になると小人の世界に。成人して成長が止まれば美人ばかりがあふれるのは良いが、皆が年老いて成長が止まれば大変!(今の時代もその兆候が)。それとも身体の成長だけが止まり、小人のままで年だけ取れば、童話の中の七人の小人のような世界になっているのだろう。童話の中の登場人物たちは大きなガリバーも居れば小人の国もあって、大きく変化する生物を擬人化したりヒントにしているのかも知れない。日本の昔話では竹の中のかぐや姫、桃から生まれた桃太郎なども大きく成長して立派な姿に変わっていくが、一寸法師はそのままの姿で、巨体の鬼を退治する。これからの科学で遺伝子組み換えなども考えれば人間も変わっていくのかも知れない。そう考えれば昔話はそんな怖い未来を予測しているかのようにも思える。
抜け殻人間。
蛇の抜け殻、セミの抜け殻、抜け殻のような人もいるが、人間だけは抜け殻になっても動くから不思議だ。自分もひょっとしたら他人から見れば抜け殻人間に見えているのかも知れない。そう考えれば人間の世の中には抜け殻も多く存在している訳だ。抜け殻の精神も様々と思われるが、神経も抜け殻になっているような輩が引き起こす事件を、毎日TVのワイド番組の登場人物たちが恰好の餌にしている。その彼ら彼女らも、既に抜け殻かも知れない。
別人28号。
人間も生き物も細胞の集まりでできていると言ってしまえば空しいが、事実なのだろう。しかも細胞が生きているだけで、自分自身が生きている訳では無かったとは大きな勘違いも甚だしい。しかし都合よく自分は自分の精神と体力で自分を形成していると誰もが思っているのだろう。スポーツをして、ジムに通って、ヨガをして、ジョギングを日課として、野菜をたくさん食べて、体を作って元気になって、そして自慢する。「元気ですね!」とか、「お若いですね!」とか言われる度に細胞も聞き耳立てて聞いているのだろうか?人間を形成している細胞の中にもへそ曲がりもいたりして、皮肉に受け止める奴もいたりして?それともオダテに乗りやすい奴も。いずれにしても一人の自分と思っていたが、とんでもない間違いで、自分の中に沢山の細胞と言う奴らが居て自分を動かしているらしい。まるで、サイボーグ?だ。
匿名
「病も気から」とはよく言ったものだ?などと口に出した事もあったが、「病も細胞から」と言い直さなければならない。どこかの部署の細胞が壊れて病として現れ発症するのだろうから。脳の細胞と心臓の細胞も血管の細胞も皮膚細胞も骨も別々のものと考えれば人間の体の仕組みの複雑さは現代のコンピュータ制御されたクルマどころでは無い。こんな厄介な機械を一体誰が作ったのか?外科医も内科医もすべて判って治療しているのだろうか?
ヨタ
人体や動植物の生命のからくりは宇宙の神秘と同じで解明されていないのだろう。全ては仮説を立てて「そうらしい」程度だと思われる。人を好きになったり、嫌いになったり、争ったり生存競争はどんな生物も同じだ。では、どの部位の細胞たちが行動をさせるのか?それとも一蓮托生なのか?脳が司令塔とは言われているが、それぞれの細胞や分子にもミクロ以下の脳があるかも知れない。そのミクロ以下の脳細胞が大脳の指令室から命令を下しているのだろうか。司令塔の大脳と言えども、そこすら細胞の集積だとすればその中にも大将の細胞が存在しなければならないだろう。数億万個の細胞のてっぺんの細胞の大将はどれくらいの大きさなのだろうか?(ナノ?ピコ?フェムト?アト?セプト?ヨクト?)その部分だけ培養できれば人型ロボットに組み込んで宇宙探査なども出来そうだ。
ヨタ郎
人体や動植物の生命のからくりは宇宙の神秘と同じで解明されていないのだろう。全ては仮説を立てて「そうらしい」程度だと思われる。人を好きになったり、嫌いになったり、争ったり生存競争はどんな生物も同じだ。では、どの部位の細胞たちが行動をさせるのか?それとも一蓮托生なのか?脳が司令塔とは言われているが、それぞれの細胞や分子にもミクロ以下の脳があるかも知れない。そのミクロ以下の脳細胞が大脳の指令室から命令を下しているのだろうか。司令塔の大脳と言えども、そこすら細胞の集積だとすればその中にも大将の細胞が存在しなければならないだろう。数億万個の細胞のてっぺんの細胞の大将はどれくらいの大きさなのだろうか?(ナノ?ピコ?フェムト?アト?セプト?ヨクト?)その部分だけ培養できれば人型ロボットに組み込んで宇宙探査なども出来そうだ。