札幌東区苗穂で13年過ごした。本町という町があって、その仲通りに1軒の軒の低い小屋で古本屋を営んでいたおじさんがいた。ある日、入ってみたら、インテリっぽいおっさんが本を読みながら店番をしている。本を探すより、この人は誰だろうという好奇心が湧いてきた。「早稲田のロシア文学を中退してきたと」言う。「早稲田の露文は中退だよね」と生意気な私。というのは当時からの定説で野坂昭如・五木寛之さんもそうだ。才能があれば中退でもいいし、とにかく格好がいい。特に文学系は。信じられないだろうが、国立大学の授業料が1ヵ月1000円、年間1万2000円で幼稚園より安い授業料の時代で、中退や留年は自分の怠け癖を隠すファッションみたいなところもあった。当時はロシア文学全盛でドストエフスキーの作品を読んでいないと会話の相手にされないクラスメートが周りに多かった。「いま、何の本を読んでいる」が同級生との挨拶コトバだった。皆、背伸びをして生きていた。彼はアルコール焼けした顔で酒飲みで独身、「ススキノで五木寛之が札幌に来たときよく行く店があるから、そこに連れて行こう」と言われた。私は下戸だと告げると、いいからいいからと言われて付いていった。今もあるかもしれないが「聖湖」という女性の多い店だった。別にそこで事件があったわけではないが、五木寛之といえばエセイ「風に吹かれて」を持って、金沢旅行をしたことがある。このエセイに出てくる犀川沿いのクラシック喫茶「モゼール」を訪ねることと「内灘夫人」の舞台、米軍射撃演習場の内灘を見たかったのである。暇な時間を持て余していた時代だ。学生と人妻の組み合わせに魅かれていたのだろうと思う。そんな事件が金沢で自分の身に起きないかと期待もあったが起きるわけがない。学生運動のさなか、独特の政治言語の看板が塀に置かれていたのをしり目に、ナンパ系の五木寛之の人妻との恋物語に憧れていたのである。もう少し、古本屋の親父さんとおしゃべりをして、彼の生きてきた人生をもっと知っておけば良かったと思う。思いがけない人と知り合いの可能性もある。もっと話せるときは話しておくほうがいい。古本屋さんに限らず、自分の父親の満鉄時代のこと、母親が大阪暮らしで恋をしていた海軍の人と造幣局でのデートの話。詳しく聞くと、都合の悪い部分は端折られるかもしれないが、別な両親の姿が見えてきて立体的になる。今の時代、プライベートには立ち入らない習慣が主流だが、反対だと思う。もっと知ろう、もっと昔のことでも。当時、携帯でもあったり、私も酒飲みならもっと苗穂の古本屋さんについて書けたと思う。ぼんやりした人生を若いときから70歳になるまで送ってきたものである。
