営業マンの人気が回復?

これまで何度か営業が不人気業種だとブログに書いた。ところが、先日、東京から旧知の人がやってきて「営業部の人間が他社に取られてしまう」と嘆いていた。せっかく10年以上かけて育ったのにもったいないと。私は「営業は仕事としてしたくないナンバーワンではなかった?」と聞くと「それが、営業全般をこなしてきたのならウェルカムの時代なんだ」。彼が言うのは、広告部門の人間たちで、たくさんの業種をこなしてきた人たち。応用がきくらしいのだ。極端な話、マンションの管理人も昔は警察や自衛隊員の第二の職場になっていたが、今は定期的にマンション管理人の住民アンケートされるので、評価が低いと雇用契約されない。「コトバ遣いが横柄だ、愛想がない」と評価が下される。経済専門誌にも都銀の社員が銀行の未来に見切りをつけて外国の投資会社へ転職したとか、ひとり転職させれば、その横にいる有能な人材をダブルで釣るという発想もある。そういえば不動産会社の役員から「こんな人いないかしら」と営業できる人を相談されたことを思い出した。企業の栄枯盛衰は人材であることを思えば、終身雇用なら時間をかけてのんびり育てたものだが、いまは「自分の時間をそれなりに使いこなせる」人、好奇心と欲が程よくマッチしている人が求められている。しかし、結婚後4回の転職をした私にとって何が大事かというと、実は見えない「社風」なんだとつくづく思う。営業を40年経験してきて最後の会社が27年働けた理由を分析すると、縦関係の緩さ、役職者でも「さん」づけで呼ぶ、社長でさえ「〇〇さん」である。こういう社風なら営業をしていてもノビノビ仕事ができる(しない人も多いが)。30代40代になったら、20代の転勤族を教える、札幌の経済環境や自分の人間関係を若手に与えて仕事をスムースにさせる。そうやって札幌での彼らの営業活動を応援する。その動く癖が東京へ帰っても生き続け、彼らを支える。営業はこうやって世代を超えて回転し続けるのかもしれない。知識も生きた知識として次の人へ伝わり、その人からまた還ってくる好循環を生み出すが、これは理屈ではなく実際経験しないとわかりにくい回路である。どうか、このあたりを配慮して、相手に出し惜しみをしないで仕事をしてほしいと思う次第だ。