民主主義について(投稿原稿)

最近、自分はこれまで民主主義をよくわかっていなかったのではないかと思うようになりました。
そう思うきっかけになったのは、2018年、アメリカのフロリダ州での銃乱射事件に対して起きた、
高校生のデモです。事件の後、トランプ大統領は教職員に銃の訓練をさせる法案を提示しましたが、
高校生は銃そのものの規制強化を求めて全国規模のデモを行いました。
こういう場合、日本であれば首相の辞職を訴えるプラカードが登場しますが、
アメリカの高校生デモでは、それがありませんでした。つまり、支持しようがしまいが、
自分たちの指導者である大統領が、今すぐ銃規制をせよ、という主張です。
政権交代は無関係であり、待ってもいられないという意味もあります。

これに対してアジア諸国では、政治デモではとかく国家元首の辞任を要求します。
古来からの、統治者は絶対権力者で、さらに君子は一度口にしたことを変えてはいけないという、
儒教圏特有の考え方から、新しい政策を求めるなら、為政者を取り替えるしかないと考えるためです。
これを易姓革命といい、要するに少しはマシな別の独裁者に変えるほかないという考え方です。
子供時代から民主主義の精神を叩き込まれてきたアメリカの高校生は、
そういうものにとらわれていないわけです。

国民が政治の一番の上位者という民主主義の考え方は、今日でも定着したとは言えません。
例えば、東北大震災に際して政府は災害担当大臣を任命し、岩手県に派遣しましたが、
この大臣が知事に対して高圧的な態度を言動をとったことが話題になりました。
大臣は、いわばお上から遣わされた上位者として振る舞いましたが、民主主義の理念から言えば、
直接有権者から選ばれた知事のほうが、総理大臣から任命された大臣より「上位」の存在です。
制度上でも、知事の権限は絶大で大臣とは比べ物になりません。だたし県内に限りますが。
なので知事はだたちに抗議を表明し、大臣は民主国家の要職者にふさわしくないということで解任されました。
口のきき方が悪い、というような情緒的な基準で大臣の首が飛んだわけではありません。
もしそうならそのほうが非民主的です。

自分が民主主義をよくわかっていなかったのは、そういう教育を受けたことがなかったためでもあります。
親も学校の先生も戦前の教育を受けて育ち、終戦で価値観を一変させなかればならなかった世代です。
身についていないので、逆に神聖視しすぎて、民主国家の国民の義務や覚悟という部分を、
教えきれなかったのかもしれません。無理もないですが。

また民主主義には決まった形がなく、国や個人によっても千差万別なものらしいと気が付きました。
興味深いことに、民主国であるアメリカ合衆国憲法や日本国憲法の序文には、
「民主主義」という言葉が出てきません。
一方、国名にまで民主主義を掲げながら民主化と程遠い国や、元首が民主主義と戦うと宣言した国もあります。
このへんは考察を重ねつつ、時事に注目すると面白いと思っています