私なしでもこの世界は支障なく動いていくだろう

村上春樹の1Q84のどこかで遭遇した言葉を、メモしていた。私なしで困るのは年金が減額される配偶者、それも1年もすればだんだん慣れてくる。仕事も誰かが代行してなんとかなるものである。まったく『私なしでもこの世界は支障なく動いていくだろう』。どこかの国の独裁者であっても、いなくなったらなったで違う独裁者が出てくるか、集団指導体制が出て来たのがこれまでの歴史である。

要は自分がいなくても世界は支障なく動いていく厳然たる現実を直視しようということだ。50歳60歳を過ぎると、もう過去の自慢話や成功体験は捨てて、むしろ未来へ希望をつなぐ話や人間関係の構築をしていくほうがいい人生で終えれると思うこのごろだ。特に企業経営者は、社員の生活を守り、高いテナント代を払い続けるわけだから、新規事業のアイディアについて私の思い付き話を聞いてくれる。新しく事業化できる分野を真剣に探しているからだ。人や投資金額でリスクが高ければ、すぐに実現できなくても、その種がいつか彼の中で芽生えてくれればそれでいいとさえ思う。新しい事業の説明はゼロからの話になるので、社会背景や需要があることの説明に入るので疲れる。もう10歳若くて知力や体力があればいいのにと思うが、次世代の実行力のある人がバトンを受け取り現実化して欲しい。残るはタイミングだけ。

ああでもない、こうでもないと寝ながら新規事業を考える時間が一番楽しい。いざ、それに向かって一人で歩くのはシンドイ。パートナーが欲しくなるのも本音。言葉豊かに営業できる人、頭に浮かんだ企業にすぐにアポを取り、シンプルに説明もできて、行動力のある人が欲しいが、こういう人は普段でも過剰なくらい仕事ができているから私だけのために時間を割くことが難しい。とはいえ、一番の要諦は人だ。人しか財産はない。実際、風変わりで何を考えているかわからない人がいたとして、企業存亡の危機に際してトンデモナイアイディアや行動力、さらに彼の周りにいる人間が動き出すケースがありそうだ。現代なら投資も呼び込めるクラウドファンディングもある。どこかに投資できる分野を探している人が世の中にはいるものだ(悲しいけれで筆者の友人で株をしている人、投資をしている人がいない)。『わたしなしでもこの世界は支障なく動いていくだろう』、しかし『私は私のペースで私らしく生きていく』ことにした。この世界にひっかき傷ぐらい残していこう。