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1954年11月3日公開 1作目ゴジラ  モノクロ97分

9月16日に『シン・ゴジラ』を見てきた。1954年が1作目だが再度レンタルして1作目から見ないといけない作品だ。『シン・ゴジラ』は会話が早すぎて意味を理解すべくのんびりしていると次の科白がやってきて、マシンガン会話。たぶん筆者は漫画を見ないので(絵)と吹きだし文字に不慣れなせいなんだろうと思う。ゴジラの映画はレンタルビデオ店で『ゴジラシリーズ』としてたくさん並ぶようになった。シン・ゴジラの大ヒットのお蔭である。私は小学生のころ、ゴジラよりザ・ピーナッツが唄う『モスラ』に心惹かれていた。だから、シン・ゴジラが都内を這うシーンはモスラの眉かカイコに見えた。そして脱皮する。


特に政府内での各省庁でのやりとりは、責任所在・管轄分野などを巡っての言論がリアルだ。日本はいつもアメリカの言いなりなんだからとゴジラを巡る対応に、首相の口からアメリカ属国発言も飛び出したりして、自衛隊の強力な支援のもととりあえずゴジラは静止する。シナリオをゆっくり読みたい気がした。エンディングは伊福部昭のゴジラのテーマが延々と流れる。


きょうは伊福部昭というゴジラのテーマ曲及び彼の人生を振り返るブログになる。エンディングはずいぶん長い演奏で、1954年の第一作目に使われた当時の音声そのままではないかと思った。釧路生まれ音更(おとふけ・十勝管内)と札幌育ちの作曲家伊福部昭(あきら)。伊福部とはずいぶん珍しい姓で、一説には『火吹く部』とか『火吹き部』から来ていて鳥取で火を扱う部族(たたら一族の頭)だとも言われて、先祖は鳥取の宇部神社の神官。

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2000年続く古代の豪族出で天皇家に負けない系譜を誇り、古事記や日本書紀にも出てくる家柄だ。それが大和朝廷から出雲の国へ飛ばされ(諸説いろいろ)宇部神社で長年神官を勤めたのである。明治になって国家神道が明治政府により強化されたものの、伊福部家にはなんのいいこともなくて、伊福部の父親は一家して(家系図を持参して)北海道へ渡り、警察署長や音更町(十勝管内)の村長に彼の父親がなる。『老子』の素読も父親から命じられ、音更では、父親がアイヌを大事にしていて、伊福部少年はアイヌ部落へよく行った。アイヌの人から『おまえ、ほんとうにシャモ(日本人・和人)か?』と言われるくらい親しい交わりをしたり、彼の風貌であった。『老子』は伊福部家代々の学び(家学)でもある。


そこで聞いたアイヌの即興の歌や手拍子・踊りに強い影響を受けたと本人も述懐している。自身もアイヌに間違えられたり、自身のルーツの深さもあって、『暮らしに根差した土俗的な音楽、即興、声の出し方、外の自然と歌』に衝撃を受けている。このあたり、ゴジラの重層低音『ドシラドシラ』から『レドシレドシ』までいく『シ』で止まる音階を発明した。一度聴いたら、耳から離れないゴジラのテーマ曲だ。ゴジラの叫び音も楽器を合成しているはず。『シン・ゴジラ』はどうなのかわからないが・・・。東宝に聞いてみないといけない。


戦後、東京音楽大学の学長として黛敏郎や芥川也寸志の師にもなり多くの音楽家を育ててきた。黛敏郎は講義の中で『芸術家たるものは、道端の石の地蔵さんの頭に、カラスが糞をたれた。その跡を美しい思うような新鮮な感覚と心を持たなければいけない』とショッキング発言が終戦直後の大学で魅惑的に響いたと書いている。当時のクラシック界から見たら、北海道で独学で学んだ彼は異端の烙印を押され続けてきた。1953年音楽を作る人なら必読の『管絃楽法』出版。広島、長崎での原爆投下、第5福竜丸被爆(ビキニ環礁での水爆実験による)、チェルノブイリ、福島第一原発。核爆発は世界で4つのうち3つが日本だ。日本からゴジラが出てくる必然性はあるわけで、『日本が仮に滅亡しても世界はごジラと伊福部昭を忘れない』(片山杜秀)。原始の怒りがゴジラとその音楽にあるのではないか。戦中、理科実験中、伊福部昭自身、被爆して敗戦後療養もしている。


蛇足ながら、NHKの緊急地震速報チァイム(震度5弱)は、彼の甥伊福部達(とおる)さんが、NHKから依頼されて(シンフォニア・タプカーラ)の第三楽章・冒頭部が使われている。『チャラン、チャラン』。犬や猫もこの音を聞いて家から抜け出すと言われ、さすが伊福部さんの音は深いと再認識されている。動物の脳の深いところまで到達するのだ。


参考は河出書房 KAWADE夢ムック 伊福部昭。大映の『大魔神』も伊福部昭の作曲です。

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  1. ゴジラのテーマ曲が、釧路生まれ音更(おとふけ・十勝管内)と札幌育ちの作曲家伊福部昭(あきら)氏とは知りませんでした。ゴジラは正直言って余り好きではありませんでした。理由は僕の生まれ故郷の東京を破壊するからでした。社会に出てからは映画の仕事に少し関係していた頃、ハリウッド映画「メカゴジラ」の試写会を見る事になりました。昔見たゴジラは背中のジッパーを開けたら人が入っていると想像しながら見ていましたが、メカゴジラはCGを駆使して全く別物でした。今、話題の映画はまだ観ていませんが、かなり進化したのでしょうか。

  2. ゴジラは恐竜の仲間?

    太古の昔には、ゴジラ級の恐竜などは実際にいくらでもいたようですね。映画のゴジラ出現のシナリオは放射能汚染による突然変異でしたか?と、推測すると、太古の地球上は今より遥かに大量の放射能の汚染?と言うよりウランなどの影響が強かったのかも知れませんね。そう考えると、現在の地球上の放射能は太古の昔に比べれば減少していて巨大な生物も居なくなったのかも知れませんね。原発事故や核実験や核弾頭ミサイルが乱用されれば、またゴジラ級の生物が出現するかも知れませんね。

  3. クッシー探検隊。

    ネッシーが話題の頃、屈斜路湖にもクッシーなる巨大水中生物が居るらしいとの噂が流された事がある。何でも地元の人が目撃したと言う。僕は早速、友人のカメラマン二人を誘って金曜日、仕事を終えた夜にトヨタの空冷エンジンのパブリカで屈斜路を目指して出かけた。途中テントで野宿し、カップヌードルなどで腹ごしらえをして、翌日の土曜日の朝から探検は始まった。湖の周囲を巡って500mmや300mmの望遠レンズ付き一眼レフで湖面を観察して歩いた。一瞬!湖面に黒い物が見えたのでシャッターを切った。当時はデジタルではないので現像をしなければ、その場で撮影画面の確認はできない。ワクワクしながら札幌に戻り、早速、トライXのフイルムを現像した。そこに映っていたのは、どうやら水鳥の大群のようだった。その後も何度か屈斜路湖を訪れたが、未だにクッシーの姿は見ていないが、居てほしいと願う自分が今も居る。

  4. 反核のシンボルにもなる、大怪獣ゴジラの誕生とその音楽は確りと繋がりシンクロしています。
    「 映画ゴジラ 」は、ビキニ環礁の核実験(第五福竜丸「被爆」事件)に着想を得て製作し、初回“から続く水爆大怪獣映画”の「ゴジラは加害者であり核の最大の被害者」なです。

    この様に生まれた「反核のシンボルにもなる初代ゴジラ」の映画は本多猪四郎 さんがメガホンを持ち第二次世界大戦の戦争時ゼロ戦などに使われる金属の強度を高める為として放射線を当てて放射線障害を持つようになった伊福部明(出雲大社・「出雲族」大国主の尊の直系の先祖を持つ)が選ばれました。
    そのゴジラ旋律は「まつろわぬ民」アイヌの旋律で『シンフォニア・タプカーラ』から「SF交響ファンタジー第一番」へド迫力のゴジラのテーマソングまでへ繋がっています。
    なおタプカーラとはアイヌ語で「(自発的に、 興が乗ってきたら)立って踊る」というような意味でこの偶然は、反核と言う大同団結その物としてシンクロその物です。

    伊福部昭(いふくべあきら)作曲の4原則
    音楽は人間の情緒や感情によるもの
    旋律は感情を
    和声は思考性を
    律動は鼓動・脈動を表現する(最重要)

    参考:伊福部昭
    https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD

  5. 伊福部昭さんについては、私も本を読んだりして多少、勉強はしてました。彼のお父さんが十勝地方の教師で、昭少年もアイヌの同級生がたくさんいて遊び、彼らの音楽もよく聞いていて、それが彼の作曲活動に新しい視点や感性を養ったのではないでしょうか。北海道の自然の中で伸び伸び育ち、中央の権威から離れて自由な雰囲気で曲作りをしてきて、それがヨーロッパで高く評価されたのですが、音楽会は子弟の世界で、伊福部さんは誰にも属さずできましたから、やっかまれて不遇な日々を送ったと思われます。たくさんの興味深いお話、ありがとうございました。

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