きょうは、夏のオリンピック開催はアテネで固定する提案です。冬はスケートはオランダのハーグ、ノルディックはフィンランドかノルウエーのオスロに固定する。オリンピックロゴは五輪マークに開催年次を入れるだけにして、とにかく不明な招致費用やプレゼンテーションなどの無駄金を無くして、会場費用についてIOCが負担することにする。ゼネコンやテレビ局にとって旨みのない大会にする。アフリカ諸国は近くてアテネは交通費が安くて済む。それより、国それぞれが緊急の国民の暮らし向上や福祉向上へ使うべく税金が使えるよう配慮する。これが五輪精神ではないかと筆者は思う次第だ。2016年5月19日のブログを下記に掲載します。

オリンピックは世界のお荷物イベント!?

 中止 1944年 ロンドン イギリス
14 1948年 ロンドン イギリス
15 1952年 ヘルシンキ フィンランド
16 1956年 メルボルン オーストラリア
17 1960年 ローマ イタリア
18 1964年 東京(予算を遥かにオーバー) 日本
19 1968年 メキシコシティ(流血の大規模デモ発生) メキシコ
20 1972年 ミュンヘン(選手村でテロ事件発生) 西ドイツ
21 1976年 モントリオール(開催費用は予算の8倍。大赤字) カナダ
22 1980年 モスクワ(ソ連のアフガン侵攻でボイコット) ソ連
23 1984年 ロサンゼルス(市自身は開催拒否、詳細は下記へ記す) アメリカ
24 1988年 ソウル 韓国
25 1992年 バルセロナ スペイン
26 1996年 アトランタ アメリカ
27 2000年 シドニー オーストラリア
28 2004年 アテネ(当初予算の16倍)後にギリシャ財政危機 ギリシャ
29 2008年 北京(施設建設で強制的な立ち退きで泣く住民) 中国
30 2012年 ロンドン(当初予算の5倍) イギリス
31 2016年 リオデジャネイロ(ブラジル大統領辞職・五輪開催反対デモ) ブラジル
32 2020年 東京(森VS猪瀬、国立競技場、エンブレム、舛添都知事) 日本

 

オリンピックを一覧表にしてみた、コメント入れて。『ニューズウィーク』2016年2月2日号に『五輪はもはやお荷物なのか』という特集記事がある。オックスフォード大学経営大学院が1960年~2012年まで開催された五輪の予算を調査したものだ。予算資料が非常に入手しづらく信頼に足りる数字が難しかったが、すべてのオリンピックが予算をオーバーしていた。平均179%だ。しかも、オリンピックは政治そのもの、国税の大量投下がないと成立しない。アテネなんて野球場を無理やり作って、いまはどうなっているか。日本のマスコミは監督は誰だとか選ばれる選手はああだこうだとうるさいが。

奇妙なことに64年の東京大会を含む3分の1の大会ではデータを入手できない現象があった。税金を大量に投下するイベントなので『お金の収支を隠す癖のあるイベント』だということ。なぜなら、明瞭にしたら国民が怒る・『やめてしまえ!』という運動に発展、その責任を問われるからだろうと推測する。

唯一、ロスアンゼルス大会は、当初、市自身は立候補を拒んだが、IOCは民間団体でも立候補できるように規約を急遽変更して、広告代理店を大幅に関与させて、放映権料を民間企業の負担させて(電通の関与が始まり、旨みを知る)、さらにロスアンゼルスはインフラが元々整備もされていて、施設建設費が少なくて済み、2億1500ドルの黒字にした。商業オリンピックの始まりだ。

IOC委員も各種接待、金銭授受で開催地競争が激しくなればなるほど儲かる仕組みだ。開催都市視察と名を借りての大名行列で、袖の下を渡す国も多いし、それをまた『隠す』。国自身が金を渡せば問題になるから、広告会社を経由したり、広告会社は直接責任が来ないようダミー会社を使う。危なくなったら潰せばいい。すべては結果オーライでいこう。しかし、新施設は壊さない限り、維持管理費が税金や自治体の負担で財政を圧迫し続ける。ゼネコンや電通は知らぬ顔である。儲けたら後は野となれ山となれだ。日本中でバブル期、作られたテーマパークが不動産や建設会社が地方財政を猛赤字化したことを思い出す。企画書では、開催終了後は、こういうイベントで使えますと文章を加えてJOCの歴々の素人を煙に巻くのはお手の物。

今回のフランスから発表された東京の誘致運動での金銭渡し疑惑はたぶんこの例だろうと思う。しかし、これには税金が投入されている。招致運動の企画書、制作物には電通が強く関与している。テレビ局がどこまで事件を掘り下げられるか見ものであるが、たぶんできないだろうと思う。トヨタやKDDI、パナソニックなどテレビ局のゴールデンタイムがほぼ電通で買い占められ、BS放送のCM枠も抑えられてるから、できるとしたら経営の半分を購読料と不動産収入で持っている新聞だが・・・。

しかし、この時代にまだ『平和の象徴 オリンピックって必要なの?』という問いかけだ。広告会社とゼネコン、警備会社、ホテルや飛行機会社、テレビ局(バカ高い放映権料を主催者に払うから入るCM代金と釣り合うか微妙)。残るのは借金のヤマ。次々と世界で難民発生、中流階層の縮小、貧民の増加の時代に、現実に目隠しをするイベントやってていいのだろうか。もう世界は目を覚ましてもいいと思う。各競技の世界大会があるわけだから、そこで記録を競ったら安くて済むし、冬のオリンピックは中止した方いい。スキーをしている国は圧倒的に少ない。ワールドカップがある。

しかし、サッカーのワールドカップの主催国決めやFIFAはIOC以上に腐臭を放っている。元アスリートがJOCやIOCやFIFAの理事に沢山なって生計を立てている。現役のときと違って、共通は人相が悪くなってきていること。悪相にはなりたくないものだ。

olympics201936

先日急死した建築家サハ・ハディト女史、前の国立競技場のデザインを巡る裁判も解決していない(国立競技場突然の不採用の件が、心労で心臓病併発の引き金になってる可能性あるし、現在、ドケチ醜悪なヘナマずるい升添都知事がメディアを賑わしているが、これも東京オリンピック税金不明朗大事件を矮小化するための政治的な関心移動戦略の匂いも筆者にはする)。

  1. 金(カネ)メダル。

    アスリートたちにとってはオリンピック出場が目標で、そこで好成績を上げることが夢となっている。スポーツはもともとルールのある戦いだ。戦争で命や国を奪い合う目的を、国別に成績評価に変形したもので平和の象徴とされている。考え方は決して悪くない。ただ近年は金が絡み、スポーツ組織の腐敗も目立つ。大抵は組織の中に元スポーツ選手がいて幅を利かせている。今回の東京オリンピック問題のように誘致から今日まで、これほど最悪のシナリオとなった結果には原因がある。果たしてこの先もスムーズに運ぶか疑問だ。組織内部や群がる企業の利害がうごめくスポーツイベントになってしまったことは、非常に残念だ。

  2. 大テントの会場案。

    かつて東京オリンピック、冬季オリンピック札幌大会とテレビや競技場で観戦したが、当時はただ、競技を観ただけで深くは考えなかった。今になってみればどれも大赤字だったのだろう。小さな器の会場費だけで賄いきれない建設費と、その後の維持費は現地の自治体のお荷物になる。そのうち老朽化して、さらに税金が投入されるが、ほとんどが最終的に負の財産化となっている。今日の技術なら大テントでも十分ではないだろうか。サーカスのテントのさらに大きなもので大会終了後にはたたんで、次の開催国に移設してもいいのでは、ある程度使用したら、また新しいテントなら、今ももめている東京オリンピックの大袈裟な予算も必要なくなると思う。

  3. どうせ、国別なら、本部はアテネでも幹事国でもいいが、ネットを介して統一の基準で競技もネットでリアル採点すればいいわけで、一か国に集まる必要もない。本部から派遣した覆面調査員にミシュランのように不正を取り締まってもらえば、大挙して移動しなくてもいいかもしれない。自国の既存施設を利用できてコストダウンどころか、利害に群がることも無く、黒字になるかも知れない。

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