捕虜になったラッパ吹き(イソップ物語)2016年6月26日
イソップ物語(捕虜になったラッパ吹き)
久しぶりのイソップ物語です。岩波少年文庫「イゾップ物語」
軍隊の集合ラッパを吹いていたラッパ吹きが、敵につかまえられてこうさけびました。「みなさん、考えもなしにわたしを殺さないでください。わたしは、あなたがたをひとりだって殺していません。このラッパのほかは、なに一つ持っていないのです。」すると敵は、ラッパ吹きに言いました。「おまえは、じぶんでは戦争ができないのに、みんなを戦争にかりたてるから、よけい、殺されるのはあたりまえだ。」(河野与一訳 114p)
イソップは紀元前6世紀ころいた人(架空の人間だという学者もいる)らしいので、この物語の意味するところは深くて、普遍的な気もする。筆者は小さなころから集団で行動するのが苦手であった。幼稚園もルーテル教会でお昼ご飯のお祈りを皆でするのが嫌で退園した。行進も嫌だった。「右向け右」という、軍隊的な号令をかける人間(教師やクラスの委員が多い)のあの威張った表情は吐き気がした。3歳や4歳は行方不明になっていたらしい。ほとんど近所の映画館の真鍮の手すりに掴まって映画のカット写真を見ていたらしい。いまも落ち着きのない多動症の性格は、もう幼少期に植え付けられている。と、居直る私である。
イソップの話に戻ると、新約聖書の最終章「ヨハネの黙示録」も7人の天使のラッパが出てくる。ヨハネ黙示録の完成がAD69年~同96年と言われている。ローマ帝国を扱った映画でもギリシャ神話を扱った映画でもラッパはよく使われていたからポピュラーな楽器だった。喇叭(らっぱ)と漢字で書く。
そこで、このイソップ物語のラッパ吹きだけど、現代、このラッパ吹きは誰だろうと想像しながら読んでいる人も多いと思うが、私は言葉を話すすべての人がラッパ吹きに成り得ると思う。表現手段(スマホ・携帯・パソコン・テレビ出演・政治・立法できる立場に立つ人など)を持っている人はそれを活用して「他人を動かす、他人の頭脳に観念を吹き込む、他人に影響を与える」生き方が選択されていて、自分自身を第三者的な視点で見直す作業をしないと、たぶんどこまでも流されることになると思う。
そうならないために必要なことは、自然と相対時する時間を増やして、できるだけ「意識」や「言葉」の世界を離れることかもしれない。
地球上に繁茂したラッパ吹き、独裁者からマスコミまで。声の大きい人が勝つ世の中になってしまったものであるが、真実は声低く語られる(林達夫)。東京オリンピックも必要ないと思うし、もうあちこちの都市でオリンピック開催は止めた方がいい。近所の奥さん方3人に聞いたら、全員「必要ない」です。そういう声は届かないか。ニュースはすべてオリンピックありきで報道されて、どの局も「返上を考えてもいいのでは」と発言しない。たぶん私同様、都民でも「オリンピック反対」「なぜ国立競技場を壊してしまったのか。もったいない」と思ってる人は多いと思う。先日、気味悪いオリンピックロゴがキッコーマン醤油のカラー全面広告に掲載されていた。食品の広告には合わない
(追記)私たちの口の形は、ラッパに似ていないだろうか?そこから吐き出される音(言葉)が、他人を動かすとしたら、十分、捕虜のラッパ吹きと同じ役割をしている気もする。ときどきテレビから音を消してみる。ラッパに退場を願う朝にしたいときだ。仕事でテレビやラジオ、新聞のコピーも書いていたから、そこに含まれる「嘘」・美辞麗句に耐えられないのかもしれない。私もラップ吹きであったから痛切な話ではある。
ホランペッター。
かつてラッパ(トランペットなど)を吹いていた僕からは,進軍ラッパと同じとは考えて欲しくもないですが,物事の比喩としてラッパ吹きを登場させた話なのでしょう。ラッパは余り良くない例えに使われる事が多いのも事実です。僕の高校時代には,地理の教師が大声だったためか?あだ名は「ラッパ」だったし,話がいつも嘘っぽかった事も,影では生徒にバカにされていた記憶がありますね。音の増幅のために長い管を巻いて作られたラッパは今では電気の拡声器に変わり大声を出さなくても,いくらでも増幅できるようになっています。38度線での大音量拡声器での南北間の応酬もあれば,ライブの大音響や,選挙戦での選挙カーなど,難聴になるほどの音量は,もはや,ラッパどころではありませんね。ラッパは言葉を発しませんが,拡声器からは言葉も音も自由自在です。必要な情報発信としての防災用などは別として,精神的ストレスになるような音の公害は無くしてほしいですね。
seto
「うるさい日本の私」という本があります。とにかく街中や電車の中に音が溢れて
猛抗議を繰り返す哲学者です。バカ親切過ぎる、乗客を幼児扱いの注意事項サービス
についても私電や駅に猛抗議、無視されても何度も抗議を繰り返す。街頭放送へも。
また、駅前に放置の自転車にも戦いを挑みます。国立競技場近くのマンションに住む
池田晶子さんも試合のときは窓を閉めて耳栓をつけて本を読みます。黙読する習慣には
音は大敵です。思索にはバックグラウンドミュージック程度でお願いしたい街中環境
です。
残酷童話。
「ラッパ吹き」と言うより「ホラ吹き」はたくさんいます。わずかな体験談や聞きかじりや,読みかじった事を誇張して,あたかも自分の体験談のように自慢たっぷりに話したりしますね。それにしても「イソップ童話」は残酷話が多いですね。
seto
イソップさんは、奴隷上がりの人だといわれています。残酷といえば、そのあたりの
自身の経験談、苛められ、迫害された人生体験が反映されているのかも。