(続)アイヌ語地名が語る日本史物語。(1月21日掲載)
続「アイヌ語地名が語る日本史物語」(説明編)
筆者の思い違いの矛盾した表現もあるかもしれないが、気づいたらまた訂正します。部落民の発生まで書いてしまった。
1月19日のブログには、これまで最高の訪問者が見に来てくれました。感謝します。自分たちのルーツ、縄文ブームも後押しをしてくれているのかもしれません。主に東北地方に住んでいて「蝦夷」と書いて「エミシ」と呼ばれ、ついで「えぞ」とも呼ばれた人たちの正体が、アイヌ語を固有の言語とするアイヌ族であったととする見方に対して(1月19日は地名から裏付けた)、いや彼らは必ずしもアイヌ族ではなかったと主張する人たちもいて、前者が「エミシ=アイヌ説」後者は「エミシ=非アイヌ説」。筆者の菅原さんのアイヌへの愛情やその恵まれない、和人たちに騙された歴史の事実への怒りも伝わる本でした。当然「エミシ=アイヌ説」の立場だ。
特にエミシ=非アイヌ説の主張は畿内に多く住んでいる和人とエミシは同族の間柄で、長く辺地に住んでいたために言葉が訛り、通じなくなった。東北に住むエミシは、異族ではなく和語を忘れた和人だと主張する。日本列島を人の流れを時間軸に沿って虚心に分析すれば、畿内に政権を樹立した大和朝廷勢力も、弥生から古墳時代まで(BC230年から1000年にわたって100万人以上が)朝鮮半島から渡来したコリアン系の民族集団(彼らはもともとバイカル湖付近に住み南下して朝鮮半島→日本)であり、さらに畿内に入るまでは、北九州に上陸して、元々の住人を征伐して大和までやってきたのである。【大和はアイヌ語で、Yam・at・mosir(ヤム・アト・モシル)クリの実・群生する・国】
出雲(出雲は縄文人の首都的な場所かも)も当然、通過していった。(島根県の多々良の山暮らしの人もエミシの可能性ある)。全国津々浦々住んでいたアイヌ=エミシはその勢力に圧倒されて北へ多く逃げたし、山の奥へ入っていきマタギにもなった。朝鮮半島からの移住者は南九州まで勢力を削げなかったので、鹿児島ではまだまだアイヌ語地名を多く残しているし、倭寇(現長崎や島々に住む)もアイヌの可能性がある。海の海賊として暮らしを立てていたのである。
ということは奈良や平安王朝はコリアン系の王朝ということになり、天皇家もコリアン系ということだ。朝鮮半島にたくさん古墳がある。この古墳文化も伝わってきて畿内にもたくさん残されているいわけだ。陶芸家や寺を作る職人もたくさん渡ってきて、法隆寺の建築にも関わってる。
梅原猛は「日本文化の基層に縄文あり、その縄文はアイヌ文化を通して理解することができる」。これは、何度も繰り返すが、アイヌが日本全国にちらばっていて、エミシとして縄文時代を過ごしていたと思えば納得できる。コリアン系が列島に渡ってきたときも、どの民族にもある混血があって、当然、エミシとの間に子供ができ共生していた。
最近、「DNA鑑定で日本人はどこから来た」で実はバイカル湖のある村の人たちと相似形がとても多い原因がそれはコリアンの弥生時代の流入を考えると納得できる。バイカル湖畔→食糧不足で南下した新モンゴロイドが朝鮮半島へ→稲作文化を持って北九州→出雲・大和へ。時系列で考えるとすっきりする。
南方から来た古モンゴロイドは、氷河期海面がもっと低い時期に北上して日本列島に住みついた。また、北からもナウマンゾウやヘラジカを追って新モンゴロイドがやってきて、混ざり合って住んでいたのが縄文人の正体で、実はそれがエミシと呼ばれ、アイヌと呼ばれる人たちであったというのが梅原猛さんや金田一京助さん、シーボルトが唱える「エミシ=アイヌ説」なのだ。
それに覆いかぶさるように、弥生文化といわれる稲作など文化がやってきた。ということは列島は、エミシ(縄文人)と弥生系(コーリアン系)の二重構造で住人が住んでいた(現在も住んでいる)ことになる。もちろん雑婚もしている。縄文人の勢力は人数や地勢に詳しいこともあって弥生系ははじめは苦戦。大和朝廷はエミシの土地、川原にある金や山にある銀、野生の馬、そして奴隷(エミシの少女は貴族の側女、若者は奴隷として最下層に使う→部落やエタ、非人の発生ルーツ)を獲得するために田村麻呂を全3回にわたって行かせ、「日高見国侵略戦争」を桓武天皇の命で開始する。奈良・京都・大阪で現在で部落問題が激しい元凶がここにある。歴史教科書には露骨に書かれていない。
もともと日本人という言葉ができたのがいつごろなのだろうか?たぶん相当に新しいころで7世紀か8世紀ではなかったか?さらにここに中国から来た仏教や漢字が入ってさらに平仮名も作られて、3つの文化が列島で混在した。ひとつは縄文文化、稲作・銅器・建築の弥生文化、仏教や漢字の中国の文字文化。現在の東アジアの国境線を巡る3つの国の心理戦の元凶が実は大昔から用意されていたのかもしれない。たぶん歴史学や人類学、考古学の泰斗は、気づいている話だろうが、明確な表現を避けてきたきらいはある。なぜなら日本人って半分朝鮮になるからだ。
この本を読んでいたら、自然にそういう結論になるから不思議な本である。最近、「日本のどこが凄いか特集」の番組が各局競って作っている。それは素晴らしい商品や制度や人はいるだろうけど、「自分で自分たちを褒める、また褒める外国人だけを取材する」品の無さはない。テストを自分でつくり毎回テストを受けて満点を取るようなものだ。ペナルティ・ナショナリズムだ。(筆者造語)。
アイヌ語の話からずいぶん話題が飛んでいった。また思いついたらブログに書きます。沖縄の人とアイヌの人の体型が似ているわけも、日本列島全体にエミシが住んでいたと思えば理解しやすいだろうと思う。沖縄は琉球王朝を作ったがアイヌ語は書き言葉がなくて、音声のみの言語で共和国は作れなかった。書き言葉(概念)があれば、日本史は大きく書き換えられていたに違いない。私が札幌の小学生1年か2年のときに、郷土史で教師から和人はアイヌを騙して「サケ」を掠め取った話を聞いた。数を数えるときに「初め」で1本、「おしまい」で1本取る。10本買うのを12本もらっていたというのだ。60年が経過しても覚えている話だ。