明治以降、ヨーロッパから法律学や化学・科学・医学・鉱物学・地質学・医学・農学・文学・鉄道・軍事など一斉にヨーロッパやアメリからお雇い外国人とともに洋書が入ってきて、大学では原語(主に英語の授業)での教えもしていたが、一方、翻訳家も忙しかった。明治の知識人は漢学の素養のもとに外国語を学ぶので、その翻訳も格調高いものが多い。


ということは、まず足元のふだん使う言葉(漢学もふだんの手紙に応用されたり、書道の手習いで使われた)をまず充実させて、それから外国語を学ぶのが一番。または、小さなころから外国(とつくに)に暮らしの居を設けたり、国費で留学や遊学をして直接よその文化に触れる。昔、中国へ仏典を学びに行ったように、日本はたえず『たえず外国への関心や貪欲な好奇心』を失うことはなかった。


その中で、医学の古典といわれる『蘭学事始』の世界である。辞典もない世界でオランダ語で書かれた解剖図に日本語を当てはめていく、気の遠くなる時間と根気、今日、何気なく私たちが使っている『神経』や『血液』もそのときに造語として日本語に加えられた。極刑になった人の死体を、腑分けができる当時の部落民を使い人間の体を観察したのである。有名な話、西周(あまね)がフィロゾフィーを『哲学』、植木枝盛がソサイエティーを『社会』、『個人』という概念も作られた。大正・昭和に入っても、ロシア文学やアフリカ文学、アジア文学、朝鮮文学も続々翻訳されてきた。私はベトナムの哲学者のマルクス本(チヤン・デュク・タオ)も読んだことがある。


アフリカやアジアは旧宗主国の言語が多く、アルジェリアがフランス植民地であったゆえ、パリへ留学するが、自国民とどんどん乖離していく自分自身に耐えられず、フランスからの独立戦争へ参加していく人も多かった。『白い肌、黒い肌』を書いたフランツ・ファノン。サルトルの弟子であった。知識人は分裂病に罹る。頭は宗主国、足は自分の国や民族に置いているからである。


世間で生きるためには世間のルールに従い、しかし、頭はずっと先のもっと進んだ世界に置いていて、たとえれば頭は向こうの世界にあって、足元をそのときは忘却して生きていく。ここでも分裂病の世界である。筆者がこの話を長々と書いたわけは、SNSの頻繁さが、実は現代人(国籍関係なく)を簡単に(分裂病の世界へようこそ)を招いてはいないか?という危惧なのだ。


うつ病の定義をアメリカの精神学界が坑鬱剤を売るファイザーやイーアイリリーに莫大な資金を出してもらい(かくかくしかじかの症状はこういうクスリを処方を)と細かく書かれ世界標準にされた。て処方されて精神科を潤しているが、医師でもない私からみて、うつ病と産業医から診断されて休養に入った10人を観察していて、分裂病の様相、先ほど書いた頭と足の分裂ではないだろうかと思うのである。


精神科医の診察室を覗いてみるとわかるが、高い器具があるわけではない。医師と受付、治療士、カウンセラー。テナント代と人件費を払うのに初診料とクスリ以外に収入源はない。『ウェルカムうつ病である』。しかし、異文化に遭遇する人たちは明治以降『分裂病』や『ノイローゼ』で悩んできた。昭和初期の新聞広告に『赤面症治します』の文字も躍る。農村から都市部へ働きに来た元農民も『職場に適応できず、たくさん悩んでいた』。しかし、分裂病の人は、他人へ伝染させる。強迫観念が強い人だから、自分より下だと思う人を平気で苛めて、分裂病やうつ病にし立てあげる。分裂病Aさんは患者Bさんを作る。Cさんも作るかもしれない。


こうやって日本中の都市部に開院される精神科はいまや押すな押すな、予約がないと罹れない状況である。明治維新以来、150年が経過して、SNS依存症、分裂病跋扈(俗称うつ病)に住民はなってしまった。救いはある、自然に身を任せて太陽光線を浴びること・満喫することである。汗をかくことである。対人恐怖の多い日本は健康保険の充実もあって製薬メーカーにとって坑鬱剤市場として最高の国なのである。


私の母も老健施設で、朝・昼・晩2種の坑欝剤を処方されて、眠らされていた。100人いる施設でベルを鳴らして職員を忙しくさせないためと、近所の市民が誰一人来ない施設専用医師の収入のためである。私は医師とクスリの内容を巡って実兄と共同戦線を張り、大喧嘩をして終末期医療で有名な病院に変えたのは申すまでもない。医師へ説教をしたのである。その後、その医師はスキーで足を骨折、ざまあみろである。後にも先にもこれが初めての経験である。

  1. 流れ作業の病院ミステリー。

    考えられない事でしたが,チャキチャキの江戸っ子の活発な母は入院直後から認知症になってしまいました。その病院は一般患者も居ましたが,2階,3階,4階と上階になるほど老人の入院患者ばかりでした。4階に行くと部屋の入り口の名札に赤い印が付いていました。これは「間もなく死ぬ患者」との分類らしいです。母も赤い印をつけられて暫くして亡くなりました。入院待ちの患者も居るので,まるで流れ作業のような気がしました。認知症になれば「死人に口無し」ならぬ「認知症に口無し」ですね。まだ認知症になっていない患者にとって,こんな病院は怖いでしょうね。ところで・薬で認知症になる事もあるんでしょうかね。

    • 認知症といわずに、ボケと言う単語のほうがいいですね。役所が介入して用語を決めると味がありません。
      血圧降下のクスリで大脳細胞へ血圧が低いために血液が回らずボケやすくなるという人が多いです。長生き
      するといいことが無い人がほとんど。佐藤愛子の本が売れるわけです。ボケていても心はボケていない人も多い
      ですから、悪口はよしましょう。

  2. 日本で初めて全身麻酔による外科手術をしたと言われる華岡青洲の末裔と言うクリニックの開院の仕事に関わり,日本の医学の一部は勉強しました。華岡青洲自身もオランダやドイツの医学を外国人から教わったりしたようですね。医者には珍しく殿様から帯刀を許されたらしいですね。帯刀が身分を象徴する江戸時代ですからね。

  3. 身近な患者さん。

    精神科医,カウンセラー,など新しい時代の産物ですね。精神病もピンキリですから曖昧な症状もすべて患者とみなせば相当数が対象となりますね。前々職の若い女性社員から電話が入りましたが,コンサートの開演時間直前で電話に出れませんでした。終了後に電話をすると?「えっ?架けていません?」との返事?。話しているうちに「私,今,精神科に入院中なんです」と。あんなに明るい娘がどうしたのだろう?。少し変わってはいたけれど,まさか?それほどの重症とは思いませんでした。意外でした。

    • 私の親戚は、鬱や精神科受診者多いです。20代や30代で罹ってます。精神科の医師の講演会
      に同行して、おしゃべりしますが、先生自身『分裂病』や『うつ病』に罹っていますよ。自分を
      治すためにその道に進んだように筆者には思えました。だから患者のココロがわかるのです。いま
      の精神科受診者は、ずいぶん、患者の質が変わり、治りにくくなって、長期の療養になりました。

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