めったに読まない種類の本だ。『お金は死ぬ前に使え』(マガジンハウス 2014年 萩原博子)。この中に出てくる1行。子供に棚ボタ人生を歩ませないとは、親の財力や政治力でどっさりお金を残したり、与えたり、就職にまで斡旋行為をして、本人の苦労や努力を水泡に帰するような営みをやってしまう親たちが多い。そんなことはしないで、子供たちへ何も残さず、全部お金は使い切って老人たちは生きなさい・・と薦める本であった。若い人へも使い、社会へも使い、貯めないで(すでに年金をもらって享受しているのに、さらに貯蓄に励む愚はおよしなさいとも言い切っている。結局、貯めても子孫たちの財産争いを増やすだけで老後のゴールデンエイジをさっぱり満喫できていないお年寄りの群れに著者はイライラしている。)


政治の2世議員や3世議員や広告代理店がスポンサー企業の役員の子弟を採用して、人質にして人件費を1000万円払っても何十倍もペイする企業経営方針を採用している現実がある。政治家の子弟も多い。石を投げれば有名人の子息に当たる気持ち悪い世界である。


筆者の狭い経験から、たくさんの後輩たちが40代、50代に入り、見ていると、20歳代にがむしゃらに働くことが身についている人は10年経過しても20年たってもいい仕事をして、周りからの信頼(もちろん比例して嫉妬も多いが)が厚い。ところが、体育会系クラブの推薦枠やコネで入社した人は、仕事で伸びない。楽をして楽をして生きようとする。そして威張る癖が取れない。


勉強嫌いも多いから向上心が博打や風俗遊び、飲食に向う。中にはストーカーで犯罪寸前まで行った人も知っている。『仕事が面白くないのである』『仕事の面白さが発見できぬまま年齢を加える』から、周囲から尊敬を得られない。誰からも信頼を得られないから、ますます退廃の世界に入っていく。いまさら別な業界へ転職するスキルや実力がないから、しがみつくだけで精一杯である。


これも元を正せば、親や体育会系の部長や監督の推薦などで入社して、正々堂々と正面から入らない気楽さが災いしている気もするのである。『入ってしまえばこっちのもの。あとは本人の努力次第』といことを言う人も多いし、就職氷河期には娘の通った大学の就職説明では『コネでも何でも使え!』と言われたらしい。


人生は自分で切り開く習慣を若いときから付けたいものである。『棚からボタ餅』人生を過ごすと、苦しい時はけっこう他人のせいにしながら生きる癖がつく。ある企業の役員が5組のお見合いカップルを誕生させた。メデタシではあったが15年してその中の1組が離婚。役員に向って二人が発した言葉『あなたが紹介しなければ、離婚には至らなかった』と言われてショックを受けたと言っていた。『もうお見合いのセッティングや紹介は金輪際しない』と。


そこで、表題から派生する『お金は死ぬ前に使う』である。お金を使い切ることはトラブルを残さないことにも通じる。兄弟間の反目を残さない。そのために老人はお金は使い切るに限るという話である。若い人にどんどん使う、社会に投資する。生きた金を使うほど難しいことはないが・・・・。いずれこのテーマについて買い手みたい。稼いだり、貯めることは学んでも賢いお金の使い方を私たちは親たちから学んだろうかという話である。

老後の暮らしの不安のためにせっせとお金を年金から、さらに貯蓄している人もいるが、そんなに貯めてどうする?である。夫婦で預貯金1000万くらいあれば、死ぬまで大丈夫。あくまで筆者の目算ではあるが。無くなれば住んでいる家やマンションを売り現金化して市営のアパートに引っ越す手もある。たくさんの近所の老人たちを見てきたが、楽しそうな人生を送る人が余りにも少ない、子供たちへ孫たちへせっせとご奉仕人生をしている。

  1. シンデレラ・ボーイ?。

    私は棚ボタ人生には縁遠いですが,身近にはそれらしい方々もいらっしゃいました。実家が建設会社で明治へ進学。バスケ部だったようです。元ミス札幌の綺麗で優しい女性を恋人にして,その父親が東京で政治記者だった事もあって学生時代から親とも交流があり,娘ばかりで男の子が居なかった事もあって,可愛がられていたようです。その方も札幌に帰って,或る放送局の社長に就任。彼も卒業後札幌に戻り,彼女と結婚。彼女の父でもある義理の叔父さんの口利きで,いきなり或る広告会社の札幌営業所の責任者として着任して勤め,接待とゴルフ三昧の日々のようでした。ゴルフはプロ並みでした。退職後は一人で広告会社を立ち上げ,通常あり得ないですが,放送局には顔パス状態で直接取引口座を持ち,官公庁の偉い方とも懇意で仕事をいただいていましたね。地方の支庁行政には札幌本庁から派遣されたトップが多かった事もあり,地方の仕事でも顔パス状態でした。今,問題視されている政治的な力を十分に活用できたわけです。地方では平気で官庁職員からも飲食接待を受けていましたし,ゴルフもしていたと思いますよ。今は引退したと思いますが,とにかくシンデレラ・ボーイのような生き方の人でしたね。

  2. 孤独なシンデレラ・ボーイ?。

    僕の妻の親戚にもシンデレラ・ボーイが居ましたね。数年前に亡くなりましたが。妻の実家のある若狭の陸の孤島とまで言われた半島の突端にあり漁村に,身寄りのない子が居て,妻の親戚で育てていたらしいのです。その子が京都に丁稚奉公に出されたのですが,そこの老舗のお嬢さんと恋仲に落ちて所帯を持つ事になりました。何と二条城に至近の一等地に居宅がありました。それらが彼の財産になりました。暫くして札幌営業所の所長として赴任。子供は居ないので夫婦二人で高台に家を建て,長年勤め京都に帰りました。しかし幸せばかりではありませんでした。連れ合いの緑内障の悪化で盲目同然になったり,京都の自宅は他人に長年貸していたので,居住権問題で借主がなかなか立ち退かず裁判にまで持ち込んだり。一時はアパートに住み,不自由な生活の既成事実を元に裁判に勝ち,取り戻したようですが,喜びもつかの間。妻に先立たれ,次いで自分も一生を終えたのでした。田舎ではシンデレラ・ボーイと羨ましく思われていた彼も,最後は,やっぱり孤独な最期となりました。子供の居ない彼たち夫婦のその後の財産争いは、親戚に派生したものと思われますが詳しくは知りません。

  3. サッポロ・コネクション。

    電力会社の広告の仕事をさせていただいた期間がありましたが,当時,大手広告会社がほとんど一手に請け負っていました。そこに更に大手広告会社が入り込んできたのです。何故か?と調べました。と,何と当時の或るセクションの部長さんの娘さんが後続の広告会社に入社していたのです。そんな政治的な動きをしない僕が当時勤めていた会社は淘汰されてしまいました。

  4. 初めで、此れがお終いのアメリカ旅行。

    僕は今日から1週間ばかりアメリカに行って来ます。目的はアメリカが滅亡する前のアメリカを見届けて来ます。やがて始まる核戦争の予兆が有るからです。下手すれば巻き込まれないとも限りませんが。その時はその時です。日本に居ても結局は同じでしょうから。

    • お気をつけて。飛行機に乗れなくなった筆者ですが、アメリカ西海岸流通見学ツアで
      ロサンゼルスとサンフランシスコへ行きました。6泊8日くらいかな?ホームレス
      にタバコを恵んだりビバリーヒルズの人たちが来るガーデンハウスを覗いたり、唯一の
      海外旅行が会社の経費ではね。ホテルから電話して1万円を超えたので、使いません
      ように。

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