何でも通販で買える世の中。しかし、そこまで行かないと買えないもの、会えない人もいる。商品や友人や恋人や、自分にとって大切な人たちだ。アメリカでひとりでIT関係の仕事をしている人が、2017年正月に我が家を訪ねてきたとき
『顔を見せ合って仕事をできればしたい』と言っていたのも思い出した。

 

 

麦みそ漬け

大分豊後(ぶんご)高田市に「昭和の街」があってそこでしか売られていないおばあちゃんの漬物だ。中津に住む娘が我が家へ帰宅する折り、必ず買いにいく商品で、多めに買って近所へもおすそ分けをして喜ばれている。通販で買えないというところが味噌だ(商品も麦味噌漬け)。通販で買えないものはないくらい溢れている。新聞もテレビもチラシでも。パソコンを開けると、商品のオンパレードだ。


しかし、そういう世の中であっても、そこに行かないと買えない(食べれない・会えない)ものがある。それは必然的に移動を促すものだ。買うために、食べるために、会うために。注文したら、宅配業者が届けてくれるというものではない。自分がそこへ行かないとダメなのだ。必死になって。エネルギーが要る、それを獲得するために商品価値(値段)以上の、犠牲(ガソリン代・交通費)を払いながら行かないといけない。


ネット時代に逆行するけれども(猫も杓子も通販で運転手不足を来している運輸業界)、車もなく歩いていけないご老人ならともかく。北海道なら、わざわざ、オーストラリアからニセコのさらさら雪を求めてスキーやボードを担いでやってくる。ニセコ生まれの私の父は草葉の陰で苦笑しているだろう。歩くスキーで小学校へ通い、冬は大嫌いだった。その同じ雪が、今度は商品に変わってしまったのだ。ハワイの波に乗りたい、陽光を浴びたい、空気を吸いたいために飛行機に乗っていく人もある。「ハワイは最高だよ」。


男女の交際もそうで(あたりまえ)、会うために約束の場所へお互い移動しなければいけない。たぶん、豊後高田の漬物も、昔からおばあちゃんが、彼女のお母さんから、そのまたおばあちゃんから伝わった漬物かもしれない。すべてに共通するのは、我々の五感が、直接そのものに触れて、喜びを享受するということだ。しかも、会いにいくためにそのプロセスでドキドキ感が高揚するかもしれない。イマジネーションも働く。


お盆やお正月に,帰省する最大のメリットは、生の声を聞くために、肌の接触を求めた大移動なのだ。親以上に同級生やたくさんの友人たちとも。言葉の直接性や、買ったお土産の手渡し。そのときの相手の笑顔を思い浮かべて買う。そこまで行かないと会えない数々の人がいる。兄弟もいる。本音が飛びかう貴重な時間と空間。久しぶりに会った大学の同級生と居酒屋で飲みながら、そんなことを考えていた。彼に会うために行った街中で、途中、たくさんの知り合いとも会え、お喋りもできた。歩けばハプニングが待っている。ハプニングの連続だ。「お前、やせたな」「顔色が悪いぞ」「何か心配事でもあるのか」「えっ、あいつが会社を辞めたって?」。時間が生きている、躍動している。引きこもってる暇はないのだ。自分の五感を生かすために。

  1. 私は,通販は好きではありませんが,知らず知らず,どこかでお世話になっている事があります。九州から柿や,デコポンなどを家内が取り寄せていたりします。でも,同じ宅配業者さんのお世話になっていると言えば本州は広島の義兄や田舎から直接送られてくるものはうれしいですね。先日は久しぶりに「若狭ガレイ」をトロ箱で沢山送って貰いました。我が家の魚介類専用冷凍庫に保存して,焼いたり,揚げたり,煮たりして頂いています。カレイはどこの物も美味しいですが,若狭ガレイは,独特な懐かしい味がします。今回,親戚の網に大量に掛かったようで,形も大きめで身が厚く美味でした。そこまで行って頂く事も少なくなりましたが,以前は唯一,恵庭の「お蕎麦」を昼休みにクルマを飛ばして食べに行った事はありましたね。私の田舎も蕎麦が有名で,その味も姿も似ていたからでしょうか。今では代も変わって,味も多少変わってしまいましたが,恵庭に行った時には是非味わいたいと思っています。ただ誰かと行けば,蕎麦については講釈師が多く,意見が食い違ったりしますから,ソバに誰も居ない一人の時,静かに味わうのがいいですね。

  2. 蕎麦と言えば,田舎の名物蕎麦を,大阪や名古屋で見つけた時はうれしかったですね。昔は,そんな店は無く,田舎の国鉄駅と米原駅でしか食べられませんでした。北陸トンネルが開通した途端,田舎の駅には止まらない列車も多くなって,町も駅の立ち喰い蕎麦も寂れてしまったのです。そんな時に,都会の中で見つけた時はホッとしました。しかし,田舎ではもう,蕎麦屋も少なくなりましたが,あの頃の味は,今でも忘れられませんね。やっぱり美味しいものは産地で食べるのが一番ですね。

  3. 最近,お喋りは,余りしていませんね。それより「独り言」は多くなりましたね。クルマを運転中にも,仕事中にも,TVを観てブツブツ文句も,新聞を読んで独りで笑っていたり,そんな事が多くなりましたね。孤独感はありませんが,山の神とはご機嫌の麗しい時だけ少し会話をしますが,余り踏み込まないように心がけています。他人様にも必要以上には踏み込まないようにも心掛けていますね。人間誰しも,一人のほうが快適なのでしょうから。そう言えば,ブログって「独り言」?ですよね~?。

    • ひとりはサイコーですが、他人の呼吸が聞こえる喫茶店も好きです。雑踏の中の
      ひとりですね。そこで知り合いにぶつかるとお土産をもらったようなものです。

  4. お金さえ払えば文句なし?。

    そこじゃあないと手に入らない物って何でしょうね。最近は余りなくなりましたね。全国津々浦々同じようなものが手に入る時代になって珍しいものも珍しくなくなってしまいました。昔ながらに時折デパートで開催される全国各地の「物産展」などもマンネリ化傾向ですし,ネット通販が時代を変えたのでしょうね。人々は出歩く事なく自宅に居て宅配業者の配達を今か今かと待つのでしょう。中には返品するために,また宅配業者を呼んでは見たものの,留守にしていたりと,宅配業者も僅かな送料で深夜や休日まで走らされてたまりませんね。人が産地まで出向く代行をしているようなものですね。何でもお金で解決する考えが常態化してしまいました。自分の足で探し歩く事は大切ですね。

  5. 人も歩けば?。

    懐かし人に街でバッタリ出会うなどうれしいですね。中には会いたくない人も居たりしますが?。歩かないと出会いはありませんね。僕はクルマで移動することが多いので,自分では気づかないのに,よく「昨日あそこを走っていましたね」とか言われます。こちらがクルマなので,声を掛けようにもかけられないですね。また,歩行者の中に知人を見つけても,周囲の交通の流れもあってクルマからは危険ですから,つい声もかけられずに過ぎてしまいます。今度は信号待ちなどで見かけたら「カンペ」でも見せますか?。これも危険ですね。せいぜい手を振るコミュニケーション位ですかね。

  6. すいませんまた豚屋です・・・

    いつも思うんですが、うちの豚肉が我が町でしか買えないとなったり、または都会より安く買えるとなれば、週末集客が出来るなといつも思っております。
    1パック100円の玉子買いに、何リッターも油炊いて遠出する国民・・・
    平日働き続けて休みに運転手する親父にすれば、高くても近所で買ってと言いたいのが現実だ!
    じゃなかった、そんな生活をしても良いという人たちが多い国です。
    美味しいと有名になって、あの農場の地元へ行けば実は安く買えるよ!と宣伝できたら最高の町への貢献ではないかと思っております。

    • たいへんお久しぶりです。二日酔いですか、若いですね。御社の豚肉がまたライラック
      祭りで食べられると聞いております。道東道で行けばすぐの場所ですから、口コミ宣伝
      しましょう。

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