ペストの歴史(第5回)
ペストの歴史(第5回)人口減少・公衆衛生
ペストの大流行の大きな波の2回目を主に扱う。後世に影響を与えた数値は、15世紀に書かれた「年代記」(フロワサール著)で「世界の三分の一の人々が死んだ」という文章がひとり歩きして広がった。
地域や季節でもちろん全部、死亡者数や割合は違っているが、1351年教皇クレメンス6世はキリスト教ヨーロッパでは2384万人が黒死病で亡くなったと発表。現在では、様々な資料をもとにアメリカのゴッドフリーがロシアを除いて、死亡率を割り出している。彼はヨーロッパ全土の死亡率を25%~45%の間としている。
当時のヨ-ロッパの総人口は約8000万人。また、別な人口史家は1340年の人口は7350万人で10年後の1350年に5000万人に減少したと。飢えや戦争死・自然死もあるから全部が黒死病とは限らないが、30%の減少だ。
この本は以下、各国別(各地方都市別)の数値が並んで、交通の要衝、また船が着く港町がペストに早くに感染、その菌が物資や人の移動で瞬く間に広がる患者数を記録している。職業別の死者の割合は(フランスの場合)、医者や公証人など病気や遺言に関係する人たちの死亡率が高い。
イングランドは荘園制もあって死亡率が正確に残されている。司教区で分かれているから、ある村は80%が死亡。平均死亡率は48%。また、イングランドの聖職者の死亡率は40%~50%だ。イングランド全体の人口が黒死病前は600万人、これが中世末期には200万~250万であった。減少率は約60%。
ポルトガルやアイルランド、スコットランドは資料不足で不明。オーストリアとドイツにも黒死病は及んだが、例外的に犠牲者の数が少なかったのはバイエルン地方のニュルンベルグだ。人口15000から20000人。犠牲者は10%で済んでいる。季節が冬に入り、ペスト菌が不活発でもあったが、ニュルンベルグが公衆衛生に熱心だったこと、街路は舗装されて、定期的に清掃もされて豚の徘徊も許されず(どこの町でも豚は放し飼い?)、市民は身ぎれいにしていた。市内に14の公衆浴場があり、労働者の給与の中に入浴料も入っていたと。黒死病で亡くなった人は市の壁の外へ埋葬されて、死者の被服や寝具は焼却。(日本の乳幼児死亡率が劇的に減少したのは、大正10年(1921)、東京市と大阪市で水道に塩素を混入してから。関係ないが公衆衛生の大事さ強調する私)
ニュルンベルグはこうして、公衆衛生の完備のお蔭で、ほかのヨーロッパ各都市と違い、死亡率が低くて済んだのである。現代の疫病についても同じことがいえるね。あとはスカンジナビアや東ヨ-ロッパだけど人口密度の低い地が多いからとペスト菌が2年以上猛威を奮うううちに突然変異を起こして、毒性の弱い形に変化した可能性が認められるというのだ(ネズミの多いハンガリー平原は別にして)。
温暖化と伝染病。
狂牛病や鳥インフルエンザの殺処分のように,ペストの大流行の恐怖から,もし暗黙の虐殺などが行われたとすれば,対象者の中には全く感染していない家族や同居人なども居たかも知れませんね。戦争と何ら変わらない巻き添えと言う事もあったのでしょうね。野生ネズミが媒介の原因と分かっていれば人の前にネズミ退治が先でしょう。当時の生活環境はきっとネズミたちの天国だったのでしょうね。考えてみれば,今でこそ家にネズミなどいませんが,2~30年前には古い借家などの天井にはネズミが居ましたね。我が家では昔からネズミの天敵の猫を飼っていたので被害は少なかったですが「窮鼠猫を噛む」の例えでも無いですが?猫がペスト菌などを持ったネズミを噛んだり,反対に噛まれたりすれば危険性は十分にありますね。北海道は寒冷地で,虫類さえも少なく,細菌も繁殖しにくい土地柄かと思いますが,温暖化などで年々平均気温も上昇傾向にありますから今後は要注意ですね。