まだ働いているのかな?結婚が遅かったから、まだ娘さんのために働かないといけないのかな?Hの人生は、私と違い、一回の転職もなくて、大学を出て最初に勤めた会社で働きだすと、次々その企業はM&Aで買収され、社名だけ変更される渦に巻き込まれて、最後はアメリカ大手のコンピューター企業に入社したことになったね。


社章も変わり、Hの勤める会社はゴルフ大会の冠スポンサーにもなった。2~3年に1回の中学のクラス会に何度も案内を出しても、電話をかけても『参加は難しいな』であった。私が幹事を4年前からしていて、中学の同級生もHに会いたがっている。


Hの家は札幌で老舗の古谷製菓の役員の家で、訪ねると黒皮でできたフカフカのソファや上品なお母さんがいて、長い廊下もあって生活にもゆとりがありそうで猥雑で私の育った苗穂とは思えない住居であった。古谷製菓の工場には札幌じゅうの小学生がウィンターキャラメルができるまでを見学に来ていたぐらい繁盛していた。それが突然の倒産。明治製菓と森永製菓に続く三番手のキャラメルメーカーであったのに。


何があったのか知らないが、教育熱心なHのお母さんはお兄さんを薬剤師に、Hを工業大学に入れた。お兄さんは病院の薬剤師を辞めて、定年後、刑務所の囚人のためのクスリ処方の仕事をしていると言っていたね。中学の運動会ではリレーの選手に選ばれ、チェコスロバキアの陸上長距離選手ザトペックにフォームが似ていたね。ザトペック走法と言っていたが、次々前の走者を抜かすから見ていて楽しかったよ。胸を後ろに反らす走りだ。働くようになって、酒とパチンコが趣味だと知った。


不景気で会社が早期退職を募ったとき仲間の多くが依願退社をして、割り増し退職金をもらい辞めても、Hは『子供がまだ小さくて,俺も辞めたいが辞められないんだ』と言っていた。大きな重いカバンを持って、契約企業のコンピューターのメンテナンスや金融機関のATMの修理に走り回っていたよね。いまも東京のビル街を重いカバンを提げて補修の仕事をしているのだろうか?加齢とともに目も疲れやすく、次々新しくなる機器の仕組みを覚えなくてはいけないし、65歳を過ぎても頑張るHは凄いね。


パチンコで勝てばガード下で1杯やって疲れを取って、そろそろ札幌に戻ったら、Hのために『お帰りH、●●中学3年2組クラス会』を開催するから連絡ください。昨年、クラス会の誘いを電話でしたら『お前のブログを楽しみに毎日読んでいる』と言っていたから、ブログで参加の勧誘をします。札幌に帰る日時がはっきりしたらお知らせください。

  1. 昔のマドンナと紅顔の美少年たち。

    人柄ですね。そんなに,温かい気持ちでクラス会へ勧誘される人って。未だ働いていらっしゃると言う事は,お元気な証拠ですね。僕も誘いの手紙など何度もいただいて居ながら未だ一度も本州のクラス会なるものに参加していません。参加される皆さんは余裕のある暮らし向きなのでしょう。幸せそうな写真なども送ってくれます。自分は「趣味は仕事」とうそぶいていますが,遊んで暮らせれば,きっとそちらを選んでいたでしょう。そして,クラス会では海外旅行で行くところが無くなったとか,あの山,この山にも登ったとか,息子や孫の自慢とか話は尽きないでしょう。知り合いにもクラス会には,ほとんど参加している人がいます。お酒が飲める人ですから楽しそうです。せめてお酒でも好きなら良いのですが,酔っ払いのお相手も苦手な僕は残念ながら,未だにクラス会の楽しさと言うものを知りません。しかし,これだけ昔の友達に合わずにいると,送られてきた写真の誰が誰?なのかさえ分からなくなりますね。マドンナたちは貫禄が出たり,紅顔の美少年たちも,頭の毛がすっかり無くなっていたりするわけです。電話でさえ,名乗られても顔が一致しなかったり。これでは道ですれ違ってもわかりませんね。お互い様ですが,困ったものです。

  2. 人間,考え方で,生き方もジグザグの方が実りある人生だったと思える事もありますよ。ストレートな出世コースのレールを知らない私にも当てはまりますが。苦しかった頃の事を笑える瞬間って,幸せって事でしょう。かつての無謀な冒険だって経験しただけでも貴重ですね。手探りで生きて,長年の勤務先の倒産や時代の川に流されて流れ着いても,まだ働らけている自分に感謝しなければいけませんね。つまり,心は病んだ事もあっても身体は大病も患わずに健康だったと言うことです。むしろ何も起きずに同じテンポで歩めたら,その方がもっと幸せだったのかも知れませんが。人生はプレイバック不可能ですから。

  3. 貧乏暇なし,年中無休。

    若い頃には自立してみたり紆余曲折しながらも,とうとう待望の業界四番手の会社に潜り込めました。(実際には二番手の会社が好きだったのですが?)仕事はきつかったですが好きな職種でしたから苦になりませんでした。待遇も地元企業の比ではなく,家族四人が暮らせて,自分の趣味にまで余裕がありました。しかし,いい事も相当長く続きましたが,28年目に勤務先の倒産劇に巻き込まれました。こんな時に限って自分は支店責任者だったり立場も悪い位置にいたのでした。二年間は無償で管財人のサポートで残務整理に当たりました。自立しましたが,あまり旨く行きませんでした。また同業の企業に勤務して辞め,また仲間の会社に勤務して辞め,また仲間と自立をしました。考えてみれば私は同じような事を長い間繰り返しているだけのような気がします。今も懲りずに?。これではクラス会には,今年もとても出席できそうもありませんね。ただ,有難い事に,僕の会社には「定年」が無いのです。???。

  4. クラス会に行けない昔の少年。

    会社が一生面倒を見てくれた時代は終わりましたね。子供の頃,国鉄の町に居た僕は殆どの大人が国鉄に関わっていたのを見て,我が家と比較したものでした。鉄道の高速化とともに駅は寂れ,駅に関わる仕事も無くなり,町はすっかり静かになりました。どんなに大きな会社でも時代の流れには逆らえませんね。今ではどんなに大きな企業でも一生安泰など約束してくれませんね。例え立派な大学を出て就職したとしても,社会に順応していくしか生きる術は無い時代なのでしょう。起業すればですが,それには資本とアイデアも必要ですからね。クラス会などでは,定年後安泰の方がほとんどなのでしょうか?。また,現役の起業家の方も大勢いらっしゃるのでしょうか?どんなに出世してもクラス会では無礼講ですね。

    • 私の育った地域や同級生で企業家はいないですね。あるのは父親の事業の継承ですかね。さらに私の年齢でバリバリ
      で働いてる人は、少ないです。アルバイトばかりです。私の仕事はブログ書きですが、1銭にもなりませんよ。エネル
      ギーを消耗はしていますが。

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