老年が惨めなものと思われる理由は残り二つです。

3)老年はほとんど全ての快楽を奪い去るから

4)老年は死から遠く離れていないから

まず快楽から。現代,強壮剤とかバイアグラで武装した男が多いから、老人になっても疑似青年になりすます人も多い、インターネットの普及で絶えず刺激に晒されている環境に身を置いている。紀元前も同じで「青年時代の悪徳の最たるものであった快楽」それが「われわれから取り去ってくれるとは歳をとることの何と素晴らしい賜物ではないか。「自然が人間に与える病毒で肉体の快楽以上に致命的なものはない。この快楽を手に入れるために,飽くことを知らな意馬心猿の欲望が書きかてらるわけである、祖国の裏切り、敵との密談,皆ここから生まれる、要するに快楽への欲望に急かされて手を染めず済む行為や悪行はない」(42p)全般に言えることは「欲望が支配するところでは自制の出る幕がなく、快楽の王国では徳の立場がまったくないからである。」(42p)なるほど、そういうストイックな生き方もありだと筆者も思うが、難関中の大技だ。ローマ時代も飲み食いの機会の多かったが「饗宴の喜びを計るに際しては、肉体的な快楽より友との交わりや会話を基準とした」とある。会話への意欲が増せば飲食への意欲は取り去ってくれる。老衰期にいた悲劇作家ソフォクレスが色事のほうはしているかと問われて「桑原桑原、粗野で凶暴な主人から逃れるように、まさにそれから逃れて喜んでいるところだ」。俗人の私だから負け惜しみの発言にも聞こえるが。「欲しいと思わぬこと、これこそが快い」「望まぬ者には欠如もない」(49p)暇のある老年なら「日々多くを学び加えつつ老いていく」という大きな心の快楽を得られる。しかし、こういう心境に至るのも「青年期の基礎の上に打ち立てられた老年期だということだ」(60p)よく「老人は気むつずかしく、心配性で、怒りっぽく、扱いにくい、もっと探せば貪欲でもある」と言うがこれは性格の欠陥で、年齢の如何を問わない。

最後の4つ目は死から近いということについてだ。まず「死は老年と青年とに共通のもの。・・・しかし、青年が長く生きんことを望むのに、同じことを老人は望むべくもない。青年が望むところを老人は既に達成しているのだからそれだけ老人のほうが良い状況にある。」(65p)「自然に従って起こることは全て善きことの中に数えられる。とすると、老人が死ぬことほど自然なことがあろうか。・・・青年の場合は自然に逆らい抵抗する・・・青年が死ぬのは盛んな炎が多量の水で鎮められるようなもの、老人が死ぬのは燃え尽きた火が何の力も加えずともひとりでに消えていくようなもの」(66p)さらに「賢い人ほど平静な心で愚かな者ほど落ち着かぬ心で死んでいく

ここまでキケロに書かれると、私など快楽に関しても俗人、死についての心構えも愚かな者に近い。

昨年亡くなった立花隆さんが75歳になって、改めてキケロの「老年について」になるほどそうであったかと納得した本である。10年前に気になって文庫本を買い、当時、さらっと読んだだけであったのに、いま読み返してみての感想と引用を2回にわたって書いてみた。

ギリシャ・ローマ時代、老年/老人については悲観的な本が多かったのに、キケロの本は老年について肯定的に書かれているのが特徴で私も慰められたところが多い。

  1. 高齢を馬鹿にしたような言動や態度に立腹するものの、若い時の自分に置き換えれば、あの時の自分もそうだったと感じますね。更には高齢に成ったらなどと考えもせず、むしろ無関心でしたね。つまり、いつまでも或る程度の若さや活力は持続するものだと信じ込んでいたのでしょうね。今では少しづつ認識し始めて微妙な異変にも気づくようにもなりましたし、生命には限りがあるものだと周囲を見渡してみても分かりますね。こうして或る程度健康でいられるのは稀な方で、人それぞれ貧富の差や環境の違いはあっても、どれだけの人達が同じように生きているのだろうか?。人によっては長生きが必ずしも幸福だとは断定はできませんが、生命がある限りは自分なりに日々を大切にしたいものですね。

    • 自分もいつの間にか高齢になっていて、物忘れや筋肉の衰え、記憶の絶対現象にがっかりしますが、小さなことはくよくよしないという利点もあります。ストレス感じない鈍感さが救いです。他人をうらやましく思わないのは、物欲が低い人生だったかrでしxとうか。気になりません。それもこれも親の陰でお金に困ったことがない(妻からみたらそうではないとは思いますが)人生を歩んできました。中古住宅ローンと教育ローンだけでした。住宅は毎月3万円でローンを返していたので市営住宅な実でした。おかげで本州の大学へ子供二人を10年間、送れたわけです。健康はストレスに反比例するとしたら、親のおかげで健康を保ってるともいえます。

  2. 怒りやすい高齢者。

    高麗人参やらマカやらと最近の新聞や雑誌広告はどぎついコピーとギラギラした老人たちの写真やイラストで溢れかえっていますね。高齢者の性生活が悪いとは言いませんが、一体?どんな人達が作っているのか?それとも作らされているのか?広告制作に携わっていた者の一人としては恥ずかしいやら、バカバカしいやら複雑ですね。いくら表現の自由だとは言え、万人に接する紙面や画面に露出する事を知って居乍ら最悪です。幼い子供たちに聞かれたら一体どう答えるのでしょうか?載せるメディアにも責任はありますね。掲載基準が無いのでしょうか。お互い売れれば良しとばかりに老人を餌にする健康食品の広告も含めて罪深いと思いますよ。老人は幼稚化すると決めつけられていると感じるのは私だけでしょうか?。例えば原価無しの雑草を如何にも薬草扱いして高額で売り付けたりしている現実を見て悲しくなると同時に、騙され買わされて居る高齢者が余りにも多い事に、いささか腹が立ちますね。そんな雑草なら直ぐ近くの堤防にも自生していますよ・・・と教えてあげたいです。都会暮らしの裕福な方々がターゲットでしょうが、田舎育ちの私には通じませんね。

    • 老人を餌に(特に男向け)に精力剤多過ぎますね。モデルで出る老人もやめて欲しいと思います。こっそりバイアグラ買う時代が懐かしい。私はアリナミンを毎日飲んでます。尿漏れパンツが大事ですね。ギラギラ老人は、たくさんいますが、しょんぼりな老人のほうが圧倒的に多いですよ。楽しい生き方を若いときに学べなかった、訓練されなかった人ですね。遊びと会話の訓練、どこかでして欲しいと思います。スマホいじらなくてもいいから。

  3. 未だ若いつもりの高齢者。

    75歳は未だ青年だと勘違いする生き方も有りかも知れませんよ。老人仲間に入ってしまえば忽ち老人ですが、少しでも抵抗して町内会の老人クラブへの勧誘にも乗らず、敬老の日のご招待も無視して生涯青年のつもりでいるのも有りかもですね。気持ちも明るくなれば、きっと同じ仲間も増えるのではないでしょうか。単身同士の異性なら、もしかして恋愛も生まれるかも知れません。高齢になってやってはいけないのは、特殊詐欺などの犯罪に巻き込まれない事ですね。気持ちだけでも若い同じ趣味嗜好の者同士で気分の良い毎日が送れそうですね。或る程度の暇と少しばかりのお金に余裕があればですが・・・。私の夢ですが。私自身は何時まで働けるのか?自問自答の毎日です。今朝もあと3時間後には初めてお会いする取引先の新社長さんへ挨拶に伺う予定です。当然乍ら私より遥かに若い人でしょう。吉と出るか?凶と出るか?明日からの生き方が変わるかも知れない?まるで博打ですね。どんな結果になるか不安でも有り、入り混じった気分さえも楽しみでも有りますね。もし年齢を聞かれたら咄嗟に『企業秘密です』と。

    • 男も女も自分より10歳は若い人と付き合うと楽しいです。それと異性と話すです。はじめてお会いする社長さん、これまでの仕事と作品をみればOKですよ。その人の年齢は大脳の前頭葉にありますから、ここを活発に動かしていれば何歳になっても大jじょうぶ。絵描きや書道家が長生きなのも前頭葉の働き止まないからです。生涯現役ですよ。お互い頑張りましょう。最近、しわ取りに資生堂のクリームを妻のアドバイスで塗り込んでいます。値段、高いらしい。プリオールって言ってました。

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