『もし種(タネ)が消えたら、食べ物が消える。そして君もね』(ベント・スコウマン)

私たちは、食べ物は米であったり小麦であったり大麦であったり、トウモロコシであったり大豆であったりする。しかし、タネの観点から考えたり、見たりするのは生産者が農産物を作り始めるときに使用されるときで、消費者はそのタネを見ない。

稲の起源(チベットあたりか)

表題の言葉『もし種(タネ)が消えたら、食べ物が消える。そして君もね』という一言は全く当たり前のことを言ってるのに過ぎない。北極圏の凍土の地下に『種子銀行』(シードバンク)、『地球最後の日のための貯蔵庫』を構想して実現した男がいた。そこには温度・湿度管理されたあらゆる作物、およそ300万種の種子が保存されている。植物の遺伝を情報を保護して、世界が滅びても再び農業を始められるよう、再生できるよう高邁な目的のための貯蔵庫である。

現代のノアの箱舟という人もいるがそんな偏狭な思想ではない。

核戦争があっても生き延びる施設

 

世界の辺境をめぐり、無数のタネを収集して守り抜こうと植物学者ベント・スコウマンの物語を読んでいる。1998年ウガンダ。小麦に『黒さび病』が見つかった。小麦の伝染病で手ごわい。徐々にこの病気は世界中へ風に乗り、人間の肌や動物の四肢に『原因の真菌(カビ)』付着して、これまで緑の畑は崩壊していった。十分、『黒さび病』に強い品種だと思ってきた小麦種だったのに。原因は突然変異とわかりウガンダの名を冠にして『Ug99』と呼ばれるようになる。

小麦の原産地は中東である

メキシコに拠点を置く国際トウモロコシ・小麦改良センター(CIMMYT・・シミット)の科学者は『ウガンダの黒さび病は初めて見るもので、世界中の小麦品種へ感染力があり現在も移動している』と判断、壊死率は80%を超え、小麦を壊滅させ、人類を飢餓にさせる恐れがあった。世界の小麦の20%はインドとパキスタンで生産されていて、Ug99の到達を防がないといけない。CIMMYTの病理学者は両国の小麦の97%の死滅を予想した。さらに最大の生産国中国に伝播したらどうなるかとも考えた、さらにフランスやトルコ、アメリカのカンザス州へ伝染したらどうなる?ことは深刻であった。

 

全世界の小麦の品種改良が必要になってきた。新たに抵抗性のある小麦資源を探さなければいかなくなった。植物はその起源地に近いところに様々な品種があるものである。原住民が様々な小麦を少量、あちこちで数多く植え収穫しているところが育種家にとって宝の山である。そこに小麦の遺伝情報を各種見つけられるのである。1998年から2003年まで小麦ジーンバンク(種子銀行)を率いたのが、ベント・スコウマンである。

 

デンマーク人の彼は、ジーンバンクを種子の保管、育種を育てる開発センター、必要とする国へ無償の提供機関として世界中の科学者の拠点に変えた。『飢餓から人類を守るためである』。『タイム』誌は彼を『人々の生活にとって、ほとんどの国の国家元首より重要な人物である』と書いた。稲も小麦も大麦もトウモロコシもバナナも、どうしても市場や採算の観点から『より収量の多い、美味しい、形や色のいい』作物のタネを作り手は選択する。企業もそうだけど、モノカルチャー(一つの商品だけが企業業績を伸ばすと、いずれ時間の経過とともにダメになる企業にも似ている)は弱い。


しかし、作る場所は乾燥地帯か湿度の高いところか寒冷地なのかで品種を決めて作ると、病気が流行ると全滅の恐れがある。品種に多様性がないからである。単一作付け(モノカルチャー)は下手すると世界的な飢餓を必ず生じる。それで、作物の遺伝情報のバックアップ(長期保存コレクション)を各地でしている。


綿花はテキサス州に、トウモロコシはイリノイ州、熱帯の果実はハワイ州ヒロ、稲はアーカンソン州、ジャガイモはウィスコンシン州、えんどう豆やトマトや作物の多様性保護をしている。さらに小麦保管庫はアイダホ州とシリアのアレッポ(内戦激戦区)とCIMMTY(メキシコ)の3箇所である。


いったん疫病が流行ると『抵抗性のある』作物を育種・開発しなければならない。センターは博物館ではなくて応用し、活かさなければ人類の餓死が待っている。そのタネを作物として作っていき、世界中へタネを育種して頒布する地味な仕事をしている。人類が生き延びるために最優先課題である。


以下、ベント・スコウマンが学生に語った言葉。『詩人と都市の住民は農業を美化したがる』『新石器時代に生きた男が・・女と言った方がおそらく適切だろうが・・・およそ1万年前に作物の栽培を始めて以来、農業はずっと生物の多様性を広めようとする自然の力と、ますます集約的になる生産システムのもとで食糧を生み出す必要性とのせめぎ合いだった』黙っているほうが、自然は多様性を維持できる。人間の大脳や言語・都市が多様性を嫌ったのかもしれない。


人類の飢餓を救っている見えない人たちに私たちの暮らしが支えられていることを、時間があればじっくり考えたい。お金があれば『食べれるわけではない』のである。種がないと、作物は生えないのである。

第2回目はこのプロジェクトで活躍する3名の日本人の紹介である。

 

  1. 命を奪い合う世紀末的なニュースの多い地球上にも,命を救うために人生を捧げる人が居るんですね。国境の無い考えは正にどんな国家元首や国王よりも崇高すべき人物ですね。この様な地球規模ではなくても,世界各地で活躍している日本人も居ますね。大学の事務職で休暇中にボランティアに出かけた先のフィリッピンで,教育さえ受けられない貧しい子供たちのために自費で教室を作り,不自由な環境に移住してまでも無償で人生を捧げているシングルマザーの女性や,糖尿病患者の多いパプアニューギニアの或る島ではインシュリンも無く,手探りで野菜作りを始め,独りで畑作をして病院の厨房へ無償で届ける活動を続けている初老の男性も居ますね。世界中を旅する人は大勢いるが,観光地めぐりだけでは世界の現実は見えないのでしょうね。規模の違いはあれ,このような人たちに共通する事は「地球に国境は無い」と言う考え方なのでしょう。個人の力は大きくは無いかも知れませんが,どんな偉人よりも尊敬に値しますね。

    • まったく同感です。中国の稲作がこれまで直播きであったのを、北海道ある人が、ビニールハウスで苗床を作って
      大きくしてから植える方法を教えた人がいました。中国から大感謝されて、周恩来か首脳が北海道に来たとき、真っ先
      に彼のところへ行き、謝辞を述べた話があります。田中角栄の人気が今でも中国で高いのも、アメリカに媚びることなく
      自主的に国交回復をしたからで、これがアメリカの逆鱗に触れて(自主外交は100年早いわ)、コーチャンの文書を
      ばらまかれて退陣させられたのでした。やはり自発的に何かを始めないとダメだし、世の中が変わりません。30年か50年
      たってから評価されてもいいくらいの気持ちで生きたいものです。

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