長生きするということ。
103歳の老女に教えられ(2016年2月20日掲載)
103歳の老女に教えられ
篠田桃紅さんという世界的に名の知れた抽象的な書家「103歳になってわかったこと」という本を見つけた。(幻冬舎刊)。
24歳で家を出て、ひとり暮らしを続けて、いまに至り、現在103歳になって思いつくまま書いた本だ。副題が(人生は一人でも面白い)。これからおひとり様人生を過ごす覚悟をした(また自然にそうなる)人には、わかりやすくてとてもいい本だ。
102歳まで母親と辛抱強く同居して面倒を看た会社の同僚もいたが、篠田桃紅さんがひとりで生き続けたとは凄い。この中に「人」という漢字が出てくる。私は恥ずかしながら、「人」はひとりでは生きられないから、支え合う「人」と「人」からできた漢字と思い込んでいた。
しかし、書をする篠田さんは甲骨文字で「人」は(ひとりで立っている)。ひとりで立っている「人」は、横向きになって、両手を前に出して、何かを始めようとしているようにみえる。あるいは手を差し出して、人を助けようとしているかもしれない。・・・という風に解釈。さっそく白川静「常用字解」で「人」の甲骨文字の解説を読むと、横向きになってる絵(文字)が書かれてある。両手を広げると「大」という漢字になる。100歳はこの世の治外法権(この言葉も凄い)。
「自らの足で立ってる人は、過度な依存はしない」。「人というのは動物、動く物で私はしょうちゅう手指を動かしている」。「無駄はとても大事です。無駄が多くならなければ、だめです。お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。なんでこんなものを買ってしまったのだろうとふと思っても、無駄はあとで生きてくることがあります。」。
そして、時間でもお金でも用だけきっちり済ませる人生は1+1=2。無駄のある人生は1+1が10にも20にもすることができる。無駄のない人生は考えようによって実はないのかもしれない。さらに知識や解説で物や人を見ないで、自分の感覚や感性で物を見ること、「虫の知らせ」「虫が好かない」「虫酸が走る」。危険を察知できると。いまは大脳過多(知識で物事を見過ぎる)の時代で感覚がおろそかにされている。
一番、読者が知りたい幸福について。103歳になって、幸福とは何かを自問自答する章がある。極度の貧乏は不幸だとは認めるものの、大金持ちの知り合いも果たして奥さんは苦労させられていたのでは、子供たちは親と比較されて苦しんだのではないかとか、あれこれ考えるに、いったいどうしたら人にとって一番幸福なのかと考えると、わけがわからなくなる。どのように生きたら幸福なのかの「黄金の法則」はない。たぶん、この程度で自分はちょうどいいと自分が心の中で思えるのが一番幸福なのではないかと。
103歳の老女から教えられたことである。彼女の甥が映画監督篠田正浩である。
生き方いろいろ。
何時だったか?TVで篠田桃紅さんと日野原重明さんの対談を視た事があった。お互いの生き方は違ってはいるものの超ご高齢でも現役で活躍されている共通点には感心させられた。そして我々は高齢者の仲間と思い込んではいるが,まだまだひよっこに過ぎないのだとも。同じく超ご高齢者で活躍されておられる方々の著書は,老いを身近に感じている50代から70代のシニア世代に受け入れられ,どれもが好調な売れ行きだと言う。佐藤愛子さんの「九十歳。何がめでたい」はシニア女性の間で90万部を突破。版元の小学館には元気を貰ったと言う読者たちからのハガキが連日届き,親や友人に贈呈する人も多いと言う。吉沢久子さんも「九十九歳からあなたへ」。高橋幸枝さんの「百歳の精神科医が見つけたこころの匙加減」。もちろん篠田さんの「百三歳になってわかったこと」への反響は大きく,また昨年末亡くなられた旭川出身の渡辺和子さんの「おかれた場所で咲きなさい」や「どんな時でも人は笑顔になれる」は大きな活字で発売から4ヵ月ほどで11万部売れたとのこと。人にもよるが20~30年の余生の生き方を超ご高齢者の方々が一つのモデルとしてユーモアを交えて広く発信していただく事は老後の生き方に大きなヒントを与えてくれる。18日にお亡くなりになられた日野原さんの死を悼み,紀伊国屋書店では24日から彼の著書のコーナーを設けていた。何でも年のせいにして逃げない,前向きで気丈な生き方は,書を通して,我々を叱咤激励している。
seto
日野原さんが生涯現役医者でしたが、人事権を最後まで行使して、美談では語れない老醜をさらしています。NHKや新聞社へは
寄与していますから、悪くは書けませんが、去り際を見誤った人という印象です。篠田さんがきっぱりして好きな生き方です。
幸福度。
「幸福度」とは,他人と比べれば「幸せ」と感じたり,「不幸」と感じたりするものですね。最初から自分は自分。他人は他人,と割り切ることで少しは気が楽になりますが,元々の土俵が違えば,比べることは無駄で無意味ですね。自分に与えられた,または自分が切り開いた土俵で感じることが現実的でしょうね。他人がどう思おうが,幸せか?不幸か?も個人の考え方一つでしょうから,他人が「不幸な人」と感じても,ご本人は,意外にそれほどでもないかも知れませんよ。
独身・独居主義。
長生きはしたくても,一番心配なのは健康で居続けることができるかでしょうね。そして,ある程度は自分独りで生きていけるだけの覚悟と忍耐が必要でしょうね。また経済的不安もあるでしょう。蓄えのある人はいいのですが,年金だけで暮らすことはできても入院など不時の出費には自分独りでは解決できない場合もあります。自分自身に生活力があれば高齢になっても好きなことをして過ごせるでしょうが,たいていは子供たちの世話になることになります。高齢になれば結果として子供たちに迷惑をかけることになります。いくら親子と言えど,決して歓迎はされませんね。と,なれば,やはり自力で生きていける準備をしておかなければならないでしょうね。その点,生涯独身や独居は人を強くしますね。