通勤や通学で街中を歩く人たちはいるが、しかし、街へ出たくても出れない人も大勢いる。高齢であったり、対人恐怖症であったり、病院のベッドから出られず動けない人。普段から引きこもりを生業とする、親に養われている人もいる。一人だけで引きこもると餓死をするから、必ず横に母親や父親、それにおじいちゃんやおばあちゃんもいる。息をひそめて生きている。

 

家庭の中で普通の会話ができれば、引きこもりは終わりに近いと言える。私の身近にも40代の男女の引きこもりがいるが(引きこもりの高齢化である)、自分の健康については神経質で、隣町まで歩いて体を鍛えている。『長生きするんだ』と宣言している。立膝をついて食事をするからマナーの悪さにびっくりするが、親は注意ができない。自分の子供であるが。社会人としてのマナーについて遠慮して注意できない親たち。何かを恐れている。自分たちの隣近所への見栄なのか。

 

車で札幌の病院に行くときは必ず、どちらかの親が歯医者であっても同行している。親は70代半ばだから、万が一のときどうするんだろうと思う。それにしても毎日、何をして生きているのか覗いてみたい気もするが、怖い気もする。街中でスケートボードで騒いでいる周りにこれ見よがしに生きている人たちは救いである。中には奇声を発したり、ぶつぶつ独り言を喋りながら歩いている人もいて、危ない感じがする人もいるが、自宅に15年以上篭ってる親戚を持ってる筆者には「まだ、羨ましい」感じもする。

 

「孤独は人間を成長させる大きな糧」と言うけれど、それは、普段、たくさんの他者との人間関係があってのこと。近所の農家の人に農場での労働の相談をしたら『いいいよ、いつでもどうぞ』と言ってくれた。肉体労働で体力的にもつかどうか、朝の交通はどうするかという具体的な難題にぶつかったが、世間は意外や自分が考えるほど非寛容ではないのだということを、ひきこもりや『外を出歩かない』男女に言っておいきたい。『君もそうだったんたんだ、僕もそういう時期があったが、まあがんばろうや』という20代、30代も多い。むしろ彼らの親たちの価値観のほうに問題が多いと筆者なのでは思う次第だ。

  1. 心の傷の治療薬は?

    鬱から始まって引きこもりに発展?した子は我が家にも居るし,精神科に入院した知人も居る。家庭内でも妻などは自室に自分の世界を持っていて,機嫌が良ければ出てきて明るく会話したかと思えば,不機嫌で鬱に近い状態になれば,言いたい放題の後に自室に引きこもる。ストレス発散の後の自室空間は快適なのだろう。自室を家に持たない僕などは,クルマやオフイスや戸外が快適空間と言う訳だ。引きこもりに至るまでの,いずれも共通して居る点は「自意識過剰」から来るような気がする。人一倍,自意識が強く,自分が噂や中傷の対象になって居ると思い込んでいる事が多いようだ。有名人でも何でもない自分を,他人は何とも感じて居ないのだが,麻薬常習者の幻覚にも近いような妄想が支配するようになるようだ。こうなると親だろうが親戚だろうが,先生だろうが,友人であろうが,成すすべは無い。本人が自ら立ち直るしか方法は無いのではないかと思う。いずれにしても原因はある訳で,何か大きな心の傷がきっかけになって,他人と比べて自分は不幸だと感じる事から症状は始まるようだ。親の離婚,職場恋愛での失恋,仕事先でのトラブルなど,本人の心の傷を癒す方法があれば良いのだが。

  2. 過剰なプライバシー保護。

    引きこもりの人たちが街を歩く事で孤独から解き放されればいいのですが,反対に,余計に孤独感を味わわないかも心配ですね。他人と気軽に口を利かなくなって長期間閉じこもっていれば,急に出た街の中にも閉じ込められてしまいそうですね。共通の話題で他人に心を開くことができればいいのですが,ネットやSNSでつながる現代社会では危険とも隣り合わせとも言えます。事件や事故を起こさないうちに引きこもりを失くして行かなければいけないでしょうね。それぞれに経済的な問題もあり,一概には言えませんが,環境を変えることが最善かも知れませんね。子供部屋など家屋の構造にも問題があるのかも知れませんね。もっとガラス張りの家族生活のための住宅設計などが重要なのかも知れません。引きこもりは,プライバシー保護も過剰すぎる現代病とも言えるのではないでしょうか。

  3. 大人のような子供たち。

    子供たちにスマホを与え,子供部屋を与え,プライバシーを尊重する現代において,親の知らない間に子供たちの性格形成がYOUTUBEやLINEなどネットによって形成されてしまいます。これまでアナログ時代に育てられた無頓着な親たちよりも,子供たちの方が情報源を沢山持っているのです。アニメや漫画も氾濫していて選り取り見取りです。バカバカしいものから残虐なもの,色物,大人でさえ目を背けるものまで出回っていますから,子供同士の会話もすっかり変わってしまいました。まるで野放しにして来た公害対策の遅れで地球汚染された現代にも似ています。こんな環境下では,子供たちの健全な精神は育ちませんね。親たちも子供に主導権を握られたような社会にもなって居ます。つまり子供たちの要望の大抵は叶う訳です。「だれだれさんは持っている」とか「だれだれちゃんは買ってもらった」とか「だれだれさん家族はどこどこに旅行した」とか親に対してお構いなしに要望するし,親たちの見栄も手伝って無理しても何とかしてあげたいと考えてしまう訳です。ミカン箱を机にして居間で勉強した時代では無いのです。一つ間違えば,方向を誤る可能性も十分考えられる怖い時代ですね。

  4. ぶつからない自動運転。

    人それぞれ方法は違いますが,他人と接することは大切ですね。ある人は飲み会。ある人はカルチャー。ある人は趣味の同好会など会話のあるところに孤独は存在しません。ただ,人との接し方も一つ間違えば,どちらも孤独を味わう結果にも成り兼ねません。お付き合いの仕方にも一定のモラルが必要ですね。深入りし過ぎず,自分勝手になり過ぎず,一定距離を保って居なければ,長続きはしませんね。鬱や引きこもりも,近づきすぎたり,離れすぎたり,きっと一定距離を保ち続けられないからなのかもしれませんね。最近研究開発された自動運転ではありませんが,先ずはぶつからない事が大切でしょうね。

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