声をかぶせる人たち。
先日、知人が仕事でいろいろな会社へ取材に行ったおり、気が付いたことを話してくれた。
『声をかぶせる人たち』という表現をしたので、『その表現、なんとなくわかるよ。どこかの本やブログで読んだ言葉なの?』と私が聞くと『いや私の造語だ。インタビューや取材をしていて、担当者の横で上司が、話が全部終わらないうちに、次に言うであろう言葉を先に述べてみたり、担当者の考えに否定的な見解を述べてみたりする。それも威圧的に声を大きくして、俺様が偉いのだ、俺様がその件ならよく知っていると言わんばかりの調子で。それを(声をかぶせる)と表現したのだ』と。『言い得て妙だ』と私。
声をかぶせるという言葉は、相手の話が終わらないうちにというところがミソで、彼はさらに『企業トップには声をかぶせる人が少なく、最後まで相手の話が終わるのを待ってから自分の意見を言う』と付け加えた。私の通勤するエアポートには本州からのビジネスマンがたくさん乗っていて、彼らの会話の速度は男女とも驚くほど早い(筆者の老化もあろうが)。これから少し声かぶせをしているかどうか観察してみよう。
私自身も最近では、少なくなったが、営業職をやっていたときは、締め切りが近づく仕事は、ついつい早口をして相手の話が終わらないうちに、先回りして、自己都合の話題に走っていったことも多かった。乞食的な営業をしていた時代は『声をかぶせっぱなしで、相手を不愉快な気持ちにさせたであろう』と猛省する。気持ちに余裕のないときに、『声かぶせ』現象が出てくる。夫婦の間でも企業内でも。さしずめ国会の野次も相手が言い終わらないうちに言葉汚く中傷する『声かぶせ』だ。
『声かぶせ』は、かぶせたほうが一段優位な立場に立つのだという現象でもあって、夫婦間でも起きやすい。声には感情が入っている。言葉になると意味に比重が移ってしまい『言葉をかぶせる』ではなくて『声をかぶせる』が生々しい。
下から目線や現場の声が最重要な時代や社会で、『声かぶせ』を続けていると『保守的な』『先例ばかりを重視する』既得権者の世界になってしまう気がするがどうだろうか?大脳にたくさん空白を残しておいて、いつでも新しい知識や不可避な事態に対応できる余裕や『ゆるさ』を持てば、聞く人間・聞ける人間になれると思う。そのために、必要なのは『自分は何も知らず、無知な人間で、広い地の世界を海だとすれば、海底に沈む小石にすぎない』くらいの気持ちを持つことかもしれない。
しかしながら、声かぶせが必要なところもたくさんあって、たとえば危険な作業現場で声かぶせをしないと命に係わるとか、モノづくり現場で屁理屈を言う弟子に『いいから俺の言うとおりにしろ』という世界もあるので誤解なきよう。
結論を先に聞きたがる私。
確かに。「話を最後まで聞きなさい!」とよく言われますね。女房に。仕事をしていると,つい全てのテンポが速くなってしまって,主婦のテンポに合わせられなくなっている。従って「早く言いなさい!」とか,「何が言いたいの?」とか,のんびりした会話の結論を早く知りたがる結果,家庭内でも諍いが起きる。そこで反省して,仕事モードと家庭モードのように,相手に合わせて,その場その場でモードを即座に切り替えなければならないと気づきました。少し遅い感はありますが。