「他人ごとだと思ったら、実は自分のことであった」というのは誰しも経験のあるはず。私も同僚がスポンサーが倒産して回収に四苦八苦している様子をみて、「倒産は大変だわ」と同じ営業としてして同情していたら、今度は自分のお客さんの入金がなく、次の月も入らず、お客さんのところへ走ると倒産は時間の問題であった。倒産して会社へ大損害を与えて退社した営業マンは数知れず。同業の知人が病気で入院情報入るも、「まだ若いのに大丈夫かな」と思ったら、今度は自分が救急車で運ばれたりする。


本社東京の人が突然、札幌転勤を命ぜられて「都落ち」感覚で赴任。彼に話を聞くと、1カ月に1回は本社へ行かないと、あの汚れた空気を吸いに東京へ行かないと(そこでナマの人事情報を聞かないと落ち着かないらしい)頭が変になるとも言っていた。「まさか自分が札幌行きになるとは想像もしなかった」らしい。しかし、お蔭で美人産地の札幌でお嫁さんを見つけて帰って行ったから、人間万事塞翁が馬。転勤などは命に関わることではない。


先日、筆者の左下腹部が3年前から気にはなっていたが、腫れたり縮んだり、ごりごりになったり、寒い日に歩くとズボンに擦れて痛い。どうにもならなくて有名な泌尿器科へ初診しに行く。この診療科目は縁はないなあとは思って「60歳を過ぎると前立腺肥大が半分を超えるね」などと医学知識を他人にひけらかしていると、今度は自分の番であった。診察台で「典型的なヘルニアです」「外科で処置してください」と言われて、なぜかほっとした筆者であった。


日本も3組に1組が離婚の国になってしまって、まさか結婚するときに、離婚を前提に結婚する人は財産目当て以外はいないわけで、ずっと寄り添う約束で住みだす。しかし、残念ながら離婚。産む性の女性が子供を抱えて苦しむ頑張るシングルマザーも多い。元配偶者からの子育て養育費を毎月10万以上送金し続けている人は希だ。まさか、離婚が自分の身に降りかかるとは想像しなかったはず。


親の介護も、子どもたちで公平に面倒を見ている人は少ない。元気な親を知ってるがゆえに、認知症や突然の怒声が出るなんて信じられない親の変貌。本かテレビかご近所の話と思ったら、自分の問題になってる人も多いと思う。親が逝ったら、今度は自分がボケル番になっている。何事も他人(ひと)ごとは自分のことである。


がん患者を診ていた医師が同じ癌に罹り亡くなったりする。他人に起きることはいずれ自分に100%起きると思って生きると間違わない。私の周りに自己破産者(自営業が多い)もいる。経済環境の激変、スポンサーの倒産でお金が回らなくなった。誰かの保証人になったり、子供がいると就職してすべてが順風満帆になりにくい時代だ。いつ電話で子供から「実は・・・・・・・」と来るかもしれない。油断のならない時代、世界である。


とはいえ、一番大きいのは自然災害であり、自分や親たちや配偶者の死であることは言うまでもない。他人事ではない。自分のことである。

  1. 人生に谷あれど,山は無し。

    東京に行くはずが大阪に行ったばっかりに他人に騙されそうになりかけていた頃,自然とレールが北海道に切り替わって移住。食えない孤独な青春時代も十分に経験しました。ようやく就いた仕事もすぐに転職。堅いサラリーマンを目指すも転職癖が治らず,仕事をすれば計画倒産に引っかかり,未収2000万。でも辞めずに稼いで返したつもりでした。当時ヤクザ弁護士にあしらわれたり,またチンピラ・ヤクザに軟禁されて脅された経験も。終いには長年尽くした会社で倒産騒動。ストレスで胃潰瘍にも。自営も数度。転職癖はさらに続き,また自営。息子も離婚し4人の子供を育てるシングル・ファザーに。人生は谷あり谷あり。いつに成ったら山があるのだろうか?現実を受け止めて,なだらかではあるが,今が山と思うしかないのだろう。他人よりまだ幸せだと思うのは,それほどの大病もなく,ここまでは健康なこと。それに両親の介護の苦労もしない間に他界してしまったことか。それに他人に比べて,ストレスは殆ど無くなったことか。他人と比べるよりも,過去の自分と比べるのがちょうど良いと思うこの頃ですね。

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