当たり前だけど、人間は興味や関心のないことは見えないし、わかろうとしない。実際、自分が現実に立たされたら、事件に遭遇したら、初めてわかることも多い。現代は新聞を購読しない人も多いから、あらかじめ選択されたパソコンのニュースサイトから読む習慣が身に付くと、それの真偽を確かめる手段もSNSを使うという堂々巡りになりかねない。


ニュースを読む習慣は媒体を変えられるものなら、変えて、頭を柔らかくしたいものだ。洗脳から逃れるためだ。思考はシンプルさを愛好してるのかもしれない。汚い言葉や断定的な物言いは伝染しやすいのも背景に我々がシンプル・わかりやすさを好む性向によるのかも。


私は「日刊ゲンダイ」が大好きだし、廃刊する前の月刊誌「噂の真相」もよく読んだ。強いものイジメをする記事が多いから好きなのだ。最悪、間違った記事でも私は許せる。名誉毀損で裁判は起こされるが・・・。(おかげで噂の真相は店を畳んだ)。成功者はテレビや雑誌でよく喋る、ペラペラと。


成功者や権力者は黙っていても他人はぞろぞろ付いていくから私はその驥尾に付することはしない。どうしてこの癖が自分に襞のように懐いてしまったか?単なるへそ曲がりだといえばいいが、小学生時代に中学生から苛められた体験が大きい。ガキ大将の命令で、私より学年下の子分がビンタを平気でするんだから。「やれ」と言われたら「ヤル」小さなヤクザの世界を知ってしまって、付和雷同の怖さ。私は彼らを睨み付けたし、現実を知った。遊びの世界は厳しいことも学んだ。勉強より厳しい。


それが実は、大きくいえば戦争中の隣組だったり、村八分の習慣だったり、部落差別にも通奏低音で流れているメンタリティではないか。現実の会社の中ではボスがあいつを辞めさせるぞと号令をかけて、特定の人間をシカトしたり、学校の教室で陰湿なイジメの発生や不幸な結末を生んでることにもつながると思うのだ。若い人のSNSの中身は見たことはないけれど、大同小異ではないかなと想像する。


高校や大学では受験勉強と読書で私の思考はこの点については後退したが、丸山昌男「日本の思想」(岩波新書)で「抑圧移譲の原理」を読んで、ハッとした。より弱いほうへ弱いほうへ、下位のほうへ抑圧を押し下げて生きていく(要は自分が楽をするため、いじめるために下位の人間に丸投げ行為をする生き方)。


現在、自衛隊や警察官の自殺が多い。縦関係が有無を言わせず貫徹する職業だ。官庁も自分の判断でことが運ばない。心身を病んで休職が多いのも個人の資質の前に、丸投げ仕事・言葉投げを平気でする抑圧人間、抑圧企業の存在。加えて過去に抑圧されていた人間が復讐をする習慣を、自ら断ち切らないと家庭内DVと同じように100年は無くならない。道警本部に転勤した甥が叔父に電話で「道警の内部はヒドイ。話せないけど」。高校出の彼の苦労はどういう内容か、一度聞いてみたい気がする。

  1. 多数派、少数派に大きく分ければ、ぼくも少数派に属すると思います。その少数派にもいろいろ居ると思いますが、群れたくないとか、他人と同じ事をしたくないとか、違う方へ違う方へと舵取りしてしまいます。その舵取りが正しいのか・間違っていたのかは結果でしか判りませんが、孤独になりたがる癖は治りません。決してメリットがある訳ではないのですが、体制とか大勢とか多数とかが苦手なのかも知れません。近い太い道をそれて、わざわざ細い廻り道を選ぶような歩き方をしているのです。つまりジグザグ人生って奴ですね。お蔭様でいろいろなものを見たり、遭ったりと距離が長い分、得をしたようにも思いますし、他人の倍も生きているような気持ちです。世の中にはもっともっと、まだまだ楽しい事も沢山あるのではないかと思いますが、欲を言えばキリがないですね。辛い時代もありましたが、過ぎてしまえば笑えますね。自殺?など考えた事はありませんが、大阪から自殺をほのめかして訪ねて来た旧友を冷たく追い返した事がありました。一緒に悩めば、若かった彼も自殺していたと思います。

    • 私は路地裏が大好きで、京都へ行っても東・西本願寺前の仏壇をつくる手工業のお店前の普通の民家を覗いてちゃぶ台
      があれば、その上に何が乗っているか見たり、バスに乗り降りするおばちゃんが手に花を持って降りていく姿や錦市場
      にある何百年続くウナギ屋のウナギが札幌のかどやのうなぎよりまずいことを発見したり、高校の修学旅行は筆者だけ
      不参加。なので京都は何度も行ってますが、博物館以外は市民の住む町を歩いて日常生活を観察するのが好きです。どこ
      へ行っても、名所や旧跡を無視するところが自分にはありますね。そこに現在、住む人と価値観に関心が行くのです。
      ほっつき歩く人生です。

  2. 感心、無関心、と言えば、読書嫌いですが、特に小説は大嫌いです。創作は認めますが、読む気がしません。五木さんにもサイン本を貰いましたが、未だに読んでいません。芝居も大嫌いです。小さなころに兄が劇団を作っていて、よく見せられていましたが普段の兄とのギャップに、子供ながらも唖然としました。とくにミュージカルは最悪です。絵画には多少興味がありますが、どちらかと言えば鑑賞よりも自分で描く方が好きです。小説なども自分が書けば好きになるのかも知れませんね。

    • 高校卒業までは読書嫌いでしたよ、私も。夏休み作文の宿題は、ほとんど『解説』からの引用、現在ではウィキペヂア
      ですかね。手作業がだめでセンスなし、コピー力なし。小学1年生で美術は通信簿1か2でした。未来を予知する慧眼
      の担任でしたね。生徒数が多くて午後と午前の登校に分けられていました。札幌駅北口の小学校です。子供だらけの時代
      でした。きめ細かいしつけもなくて、干渉もなくて、自由奔放な(現在も)時代でした。紙芝居は好きでした。

  3. 昔、昔の少年。

    世界情勢もややこしい時代ですが、池上彰氏の解説くらいならまだ理解できますが、評論家と称するコメンテータの方々の話は理解しづらい面が多いです。まして、ニュースとなると上辺だけで、果たして真実なのか?どうか?。読むアナウンサーは原稿を読むだけですから、むしろ取材した記者の方が話した方がわかりやすいと思いますね。

  4. 気になる事。気に食わない事。

    今、一番気になる事?と言えば、核に関するニュースですね。何故なら冷戦時代を経て一旦収まったと思っていた間に、思いもしない核保有国が現れたからです。何処までが真実なのかは判りませんが、間接的に核に守られている日本は別として、南米やアフリカやオセアニア辺りの核を持たない使用しないと世界に宣言している地域や国々にとっては非常に迷惑な話ですね。我々日本人は広島や長崎の被爆を二度と繰り返さないよう戦争放棄を誓ったはずなのですが、歴代の一部の政治家たちや現政権の指導者たちは国民感情無視の言動が気になるところですね。まるで江戸時代までの日本人が刀を差して大道を歩いているかのようで危険極まりないですね。そして一番気に食わない事は文春騒動ですね。我々にとっては他人事ですが、個人のプライバシーを暴いて雑誌の売り上げを伸ばすなど故人の名誉を傷つけ社会活動を妨害するわけで、あの手の手法は出版業の風上にも置けないですね。

    • 世界中から成熟した大人がいなくなったと思いません?日本も含めて。きっとどこかで苦虫をかみしめているとは
      思いますが、そういう人は姿を見せません。目立つことを嫌うからですね。ひっそりブログを書いているかもしれ
      ないから探しましょう。

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