どこでもドア
ドラエモンのどこでもドア
行きたい時代と場所へ、目盛りを合わせれば、ドアの向こうはまだ『サピエンス(人)』属が誕生したばかりで、そこから物語が始まる。何度か人類の曙のころをブログで書いてきた。再録もある。
イスラエルの歴史家の書いたベストセラー『サピエンス全史』上巻を読みながら、ホモサピエンス(賢い猿人?)が果たして賢い動物なのか?という基本的なところから掘り返し、サピエンスが2016年(この本の出版が2016年)まで生き延びてきていることの軌跡と奇跡を書いている。
サピエンスをさらに高次の視点で見るために、歴史家とはいえ、考古学や民俗学・生物学や農業・宇宙論、精神分析そして何より想像力が必要な営みで、古文書に食らいついて遂に飛び上がらない歴史家の多い中で、宇宙の始まりから現代まで3つのキーワードでまとめたものである。ドラエモンがいたらどこでもドアで20万年前、15万年前、7万年前、5万年前、2万5000年前に行って自分の目で人類創世記を見てみたい気がする。行く場所は東アフリカ、南フリカ、中東、小アジア、インドネシア、オーストラリアだ。どういう暮らしやコミュニテイーを作っているのか。
とりあえず農業が始まる前のころを見てみたい。農業の開始は約1万2000年前、東アフリカで暮らしはじめたのが15万年前、7万年前にアフリカを離れてアジア、中東、ヨーロッパへ向かう。当時は狩猟採取の人たちで、弓矢や針、鋭い石器を持っていたが、農業が始めるまでの約6万年間に何をして、何を考えて暮らしてきたか?遺伝学で突然変異は遺伝するとすれば、この6万年間で起きた何らかの遺伝子特性が、今日生きている我々のDNAに痕跡を残しているかもしれない。たとえば、現代人にネアンデルタール人のDNAが発見されたニュースもあるから、クロマニヨン人とネアンデルタール人の雑婚も考えられて、歴史はAが滅びてBが台頭するというわけではなくて、Bが台頭してもAは残ると考えるほうが自然である。
身近なことを考えれば、江戸時代が終わり明治になったわけではなくて、江戸時代の痕跡(文化や生き方)は現代でも十分見られるという当たり前のことであり、それを延々と伸ばせば、古代人と現在の人々が遺伝上も文化的にも深く交錯するはずで、そうでなければ歴史を学ぶ・過去を学び未来を見据える営みに意味がなく、単なる物知りで終わるだけである。
人の惑星。
考古学も歴史も何万年前とか何千年前とか大雑把ですね。推測年でしょうが、百年単位程度なら理解できそうですが、それ以上の単位になると「そうなんですか?」としか言いようがないですね。私たちの祖先は猿で、二足歩行の類人猿から人になったとは聞いていますが、果たして真実は?知る由もありませんね。推測も仮定も当たる事もあれば、大きく外れる事もあるでしょうね。そう考えれば、考古学者や歴史家は発想もしなかった、人は他の惑星から移住して来たなどとの仮説も立てられたわけでしょうね。
タイムスリップ。
ドラえもんにはなれませんが、睡眠時によく夢を見ますね。夢は人間以外の生物でも見るのでしょうか。幽体離脱的な夢を見た事がありますが、数時間の間にかなりの遠方に移動して戻る経験はしました。夢のような状態で見知らぬ場所に移動出来たらいいですね。将来的にはAI技術で出来るかも知れませんね。タイムスリップして過去へ。
未来へのドア。
死の世界へのドアを開けて、戻った人の話では、素晴らしいところで向こうから手招きして呼ばれるそうです。一方、反対側では子供や家族たちが戻っておいでと叫んでいると言っていました。結局、死の世界へのドアの向こうにはいかずに生き返ったらしいですが、生死を彷徨う時間は一体なぜそうなるのでしょうか。心肺停止でも脳はまだ生きているのでしょうか。どこでもドアも、いくら未来へのドアとは言え、死の世界へのドアは避けたいですね。
seto
私の母も生前、向こうにお母さんがいて(まだ来てはだめよ)といわれたとか何とか言ってました。綺麗な花畑であったと。
未来の歴史。
石器時代ではないですが、子供のころ、太い針金をハンマーで叩きつぶしてヤスリで研いでカギのついた形に整えて焼きを入れて冷水に浸けて強度を持たせ、鉄砲ヤスを作って深い河に潜って魚を捕獲しました。手作りパチンコで鳥を射止めました。手作り罠で雀やウサギを捕獲しました。筏を作って川遊びもしました。濁流の川に架かる丸太橋もバランスをとって渡りました。遊びも、まるで原始人の様でした。ターザンの真似事もしました。今では野蛮と思われそうな遊びが男の子の証でした。農業は親たちの手伝いをしました。田植えから稲刈りやハサに架けたり、脱穀まで。菜園のトマトやキュウリやナスの取入れも秋には大根抜きから水洗いまで。楢の木にシイタケの菌を植えるのも子供の仕事でした。あれから日本の暮らしも大きく変わりました。手作りの物は少なく、100円ショップで何でも買えます。スーパーマーケットで食料も買えます。人は身体を使って働く事より頭脳労働を好むようになりました。それもIAの進化で怪しくなってきました。人類は退化の道を歩んでいる事は間違いないですね。あと十年ほどで無くなると思われる仕事に多くの人が関わっていますが、機械に操られる歴史が来るかも知れませんね。
seto
私も同感です。何が退歩しているかといえば共感力、世代を超えた会話能力そして情緒と助け合いではないでしょうか?