50年続く中学のクラス会。
札幌の東区の中学を出てから約2~3年に1回クラス会を開いている。顔ぶれはほとんど変わらずで、多くて20人を超える。50人のクラスメートで現在追跡できる(住所がわかる)人が28人。担任は毎回の出席である。ことしで87歳になる。
なぜこんなに長く続くのか?自営業者が幹事をしてくれて、その周りに同級生の核になる人間関係が確固として築かれていたこと。しかも仕事上、酒屋のSはクラスメートと結婚、彼女は近所で美容室を開いたNの店で髪を整え、Nは必要な自宅消費のアルコールは全部Sの店に発注する。そこへHも美容室へNの店へ。そしてクラスメートのあれこれが話題になる。『そろそろクラス会を開いてもいいんでないかい?』。そして往復はがきをせっせと書いて、こまめに出してくる。デパート勤務のIもクラスメートがスーツを買いに来たり、お得意様招待でクラスメートにいろいろ世話になってきた。クラス内の各自がそれぞれのグループを形成していて(体育好きや勉強好きなど)、それぞれにリーダーらしき人物がいるから、クラス会通知は彼(彼女)にすれば5人10人へ一遍に伝わる。そして開催日時が担任の都合を聞いて決まる。
20代に開催されたクラス会、30代、40代、50代、60代のクラス会。歳を重ねるごとに話題は実は中学の思い出より『健康や自分のお墓、子供のこと、親の介護やボケのこと。年金での暮らしがきつい』ことなどリアルな現実の話になる。札幌の東区は、国鉄苗穂工場や福山醸造、サッポロビール工場、タカラ酒造、帝国製麻、古谷製菓、雪印乳業の本社もある。絞首刑もできる苗穂刑務所もある。私の出た中学はもともと雪印乳業の土地で牛をここで殺して『血の海』の上に立てられたと、担任から聞かされた(ほんとうか嘘かは知らない)。教えるのが面倒になる教師は、いまで言う都市伝説めいた話を夢中にする。体育の教師は軍隊帰りで竹刀をもって、床を叩きながらヤクザ言葉を吐くがどういうわけか女子に人気がある。机に尻を乗せて威張るのになぜ人気があるのか?たぶん、自分たちの親にない自信が、断定的な自信が彼女たちに伝わってしびれていたのかもしれない。同年齢の男は私を含めて幼過ぎたのだろうと思う。
しかし、それも50年が経過すると、禿が多くなったり、入れ歯も多くフガフガ、お腹を突き出す女性、20歳年下の女性と再婚はしたが、子供も小さく『まだまだ働いて稼がないと』と苦笑いの疲れたMの姿もある。9月の大安の日に、中学のクラス会を開催しますと案内状を書いたところである。担任は『これが最後の出席になるでしょう』と電話で話していた。
遠隔地の同級生。
中学の同級生の中でも、町長になったり、運送会社の社長になったり、八百屋だったり、料亭兼鮮魚店だったり、手芸店や酒屋など地元の連中が主体でクラス会を形成。それでも僕のように遠くに暮らす者にまで案内状が届いていましたが、そんな幹事連中も高齢化で近年は開催もしなくなったようです。担任もご存命かどうか?。僕は中学卒業直後から地元を離れて各地を転々としていたので、まともにクラス会なるものには出た事がありません。きっと顔を合わせても誰だったか判別もつかないのではないかと思います。それが証拠に高校の同窓生から写真が送られてきても昔の顔の面影も無く、まるで別人のようでした。と言う自分も彼ら彼女らから見ればきっと別人なのでしょう。同窓会はやはり地元の有志たちが居て世話をやいてくれるから開催できるのでしょうね。まさか「今回は最終回で北海道で開催します!」なんて事は?あり得ませんね。余程の余裕が有る者で無ければ人は集まりませんからね。
seto
妻の短大の同期会が八丈島で開催すると案内がきて驚いてました。島での開催が最近多くなって、佐渡もありました。大体
8人程度集まるそうです。札幌で開催すればいいものを、と申しておりました。今回の中学クラス会で埼玉・東京、うまくいけば
奈良と山梨からクラスメート来たら幹事として大成功です。いまがそこそこ幸せな人が集まりますね。