雑感あれこれ?
小さなころから宿題でも後回しにして、ギリギリで仕事を片付ける癖がある。話を聞くと私の周りはそんな仲間たちばかり。深慮して先を読んで、手を打って予期する出来事に対応する推理がない。碁や将棋の世界に遠い人々だ。しかし、お金の使い方も目先だけなら、後世の人々に重い負担だけを残して世をさらばえることになり、福島原発や霞が関官僚と同じ思考になってしまう。
バブル絶頂のころ、筆者は恩恵は受けてはいない(と思う)が20代や30代の人から『いい時代でしたよ』と聞かれるが、これも私の周りの貧しい人たちには縁遠い人もたくさんいたことを覚えておいて欲しい。仕事上は、筆者はバリバリの営業職だったから、少しは売り上げが上がったかもしれないが、自分の給与には反映しない。会社として使ったのはゴルフ会員権購入(ゴルフはしない)やトマムリゾートの会員権(利用したことはゼロ)、飲食接待費の乱用(しかし筆者は下戸で飲まない)。ボーナスで数万円上がった程度だ。しかし、株価と不動産価値が急落して、投下したお金が半分以下、紙屑になったものもある。『株をやらないサラリーマンって聞いたことがない』と豪語していた自称経済通もいた。
私の知っている中小企業でも自分の給与を100万円にしてさらにススキノのスナックへ月々30万以上の支払いをしていた人もいたが、聞くところによると、社員は低い給与のまま。社内留保(まさかのときのための留保金)という考え方が浮かばない人々が多かった。人や企業の性格は『そのお金の使い方』によくあらわれる。まずは見栄を張りたい人の性で、いい異性さがし、ばくち、酒と大昔から相場は決まっている。しかし、中には、親から見捨てられた、この親なら育てるのは危ないと隔離されて共同生活を送る子供たちの施設へ寄附と慰めのイベント提供をしていたハイヤー会社の社長もいたし、東日本震災のときに余りの死者数に棺桶が全然足りず、当時『青森行き』の急行(現在廃止)へ道内で余っている棺桶を運んで行った葬儀屋さんの社長もいた。棺桶が足りず、焼き場も足りず、土葬された人々に少しでも生きている人からの感謝の礼としてせめて、新しい棺に入れたかったのだろうと思う。彼に限らず、無名な人々の善意はメディアにも乗らず、活字にもされることが少ないが、日本中であふれていただろうと思う。そう思うと、人生、そんなに捨てたものではない。きょう月曜から、また公私にわたり体と頭を動かそう。
坊主の孫。
私財や利益を社会還元しながらも売名行為をしない人ほど善人が多いと思いますね。また恩に着せる人ほど見返りを求めますね。考えてみれば小さなことではお茶代や飲食代をおごっても全くおごり返してくれない人っていますが、それを気にすることが既に器が小さいことなのかも知れませんね。そんな些細なことで気になるような僕たちは善人にはなれないでしょうね。その場合でも同じ見返りではなくても違った形で恩返しをされている事もある訳ですから、そこをわきまえなければいけないでしょうね。恩恵とは見返りを求めた結果ではなく「お互い様」の一言に過ぎるのでしょうね。
seto
何でもだまってするのがかっこいいですね。現代人はテレビのコメンテーター含めて、政治家含めてしゃべり過ぎの無責任ばかり。
あるとき私は、テレビを『消音』したら静かでいいのにと言ったら『馬鹿か』と言われましたが、本音ですね。
昔、昔の少年。
競艇などでの利益を社会還元している日本財団など親分の評判はともかく社会貢献をしている組織もある訳で、売名行為とは言え何もしないよりは良いのではないでしょうか。まるで昔の任侠の世界のようですが。
seto
ランドセルを施設に置き続けた男がやっぱりかっこいいです。