高崎山2

5月10日撮影高崎山 シャーロット

高崎山

昨日は、はじめに自衛隊員や警察の人たちの生の声を少し書いたけど、実態はもっとひどくて、理想形で描いてるのはテレビドラマや映画の中の最後のハッピーエンドみたいなところ。いまは終わることのない鬱鬱状態が続いている。

極端な話、別な自衛官は「後方支援へ行けと言われれば行くけど、その前に生意気な防大出の上官を背中から撃ってから行くと」言う者までいる。集団的自衛権の議論ではなくて、隊内の人間関係の話がまずあるのだ。ブログだから書ける話で、民間でも出世競争であいつさえいなければ俺は課長(部長)になっていたとか、役員になったとか掃いて捨てるほどある。仕事の中身は二の次三の次みたいな世界だ。

そのときも「あいつを殺してやりたい」と恨みごとを言うものもたくさんいた。しかし、武器を携行できる仕事は自衛隊と警察しかない。一般人の他殺道具は(ヤクザを除いて)包丁・ヒモ・電動工具・ナタ・ノコギリ・ゴロタ石・毒薬・玄能・車・恨みを持った言葉・肉体行為だ。筆者が広告の営業をしていたとき、某会社の担当課長が自衛隊出身者で彼が自衛隊を辞めた理由が発砲事件だ。上官の足元に銃弾を発砲して、おしっこをちびらせたと自慢していた。解雇されるのを覚悟の営みで、本人は「スッキリした」と。この話はもう15年以上前のことだ。怖い話だし根は深い。

北海道警察も稲葉事件という闇の事件がある。首なし(戸籍のない)拳銃をより多く集めては警視庁へ報告しお褒めをいただく。その方法がヤクザからの協力や夜の小樽港を舞台にしたロシア人マフィァ&中古車をロシアへ流すパキスタン人との連携プレーで行われ、稲葉の上司はどんどん実績を上げて出世していった。ドキュメント本が2冊あるので関心ある方は読まれるといい。

2人が不審死を遂げて闇に葬られている。事件の後、人事異動が行われて、稲葉を利用して警視庁へ凱旋した人がいる一方、同じ課にいただけで真実が外に出ないよう僻地へ飛ばされた警官もいる。ドキュメント本には報道されない生の声が書ている。当然、職場環境の荒廃は目に見えている。蛇足ながら、北海道新聞が道警の闇の部分を追跡・記事を書いたが、道警から記者クラブ出入り禁止で脅され、また道新自身の某支局の金を巡るスキャンダルが発生して、後追い記事はなくなった。惜しい仕事だ。

こういう人事が横行すると(人事は主観そのものだけど)職場は鬱鬱環境に陥る。ある大手の企業の役員候補が役員になれず札幌の関連会社へ来た。筆者は本好きもあってその人と蕎麦をよく食べに行った。きっと誰かに足をすくわれれたのだなあと推理して「〇〇さん、あいつは殺したいという気になったことありますか?」と聞いてみた。温厚で部下の面倒見も良く、筆者も大好きな人だったからだ。「あるよ」「そういうときはどうするのですか?」「紙にあいつは死刑、こいつは懲役20年と書いて、その紙を破って捨てるのだ」と。気持ちのバランスをそうやって取っていたのだ。

私はスマホの普及がさらに他人不信を加速させ、誤解を量産している気がする。希薄な人間関係ではなくて濃厚すぎる人間関係に疲れているのだ。小学生や中学生を見ていても、少ない生徒数、副担任までいるクラスなんて息苦しいに決まっている。お互い、監視しやっこである。自由やフリーにしてくれない。孫の通う幼稚園では教室に定点カメラがあって、その様子が娘のi-padで見れる。夫も職場で見れる。いずれ営業マンも頭の上にドローンを乗せて、会社から仕事ぶりを監視される時代が来るかもしれない。

結局、職場環境は、社員同士の信頼関係で結ばれないと、ロクな結果にならない、犯罪の温床になりやすいということだ。派遣や業務委託された人間と正社員が同一平面で仕事をする(派遣社員の方がずっと仕事ができることも多い)ことのストレス(会話が圧倒的に少ない)から逃れて、実はもっと人間はひとりになりたい生き物でもあって、「絆」とか言われているのに異を唱えることになるけど「ほっといてくれ」というわがままな生き物でもあるということ。引きこもりやシングルで頑張る人・親から育児放棄された子供たちに必要なのが「絆」で、十分たくさんの人に囲まれて仕事をする人には「ひとり」が必要な時代かもしれない。

先ほど書いた、紙に死刑と書いて、自分の気持ちのバランスを取ったように、ひとりになりたい願望が子どもから老人までたくさんあって、他人との距離を適切に取れる人が多くなれば職場環境(学校環境)は劇的に良くなると思う。そういう意味でも、人材派遣会社は同時通訳などのプロ中のプロ以外、即刻、市場から退場してほしい。合法的に山口組が港湾労働者の口利きをやってることと本質は同じだ。正直、そう思う。雇うなら直接雇用のアルバイト、直接雇用の嘱託である。株主配当を最大限増やすために(世界の人口数からみたらわずかな人たち)多数の人間の貧困を招いている現実を知っていながら崩せない。

職場環境の悪化は、したがって機密ごっこ、監視ごっこ、排他的な仲間づくりごっこ(LINE)、投資ごっこ、人事ごっこ、派遣採用ごっこ、疑いごっこ。誰もが自分と同じ人間なんだということを忘れさせる経済の仕組み・管理の仕組みにあるような気がしてる。それを報道する報道機関自身、役所自身もすでに派遣会社をたくさん利用している、中には派遣会社を別会社で経営して、天下り先や自社の金がグループの外へ出ないよう配慮されているとしたら、誰がどこで強く反対声明を出すのだろうか?人に優しくない国や企業はいずれ滅びる。そうでなければ、国民全体が「愚か者の船」に乗船である。

  1. 独身自衛隊員の自殺が多い事は恵庭や千歳で聞いていた。閉ざされた社会と外の社会のギャップが生む悲劇だろうか。失恋なども原因らしいが、パワハラが当たり前の軍隊の組織の中で葛藤しながら生きる者、去るもの、戦わずして自ら命を絶つもの様々な人間模様が凝縮されていそうだ。自衛隊の幹部?かどうかの父を持つ娘の夫婦が父親と3人でクルマで出かける事になったが、終始娘婿に運転させたと言う。本人は定年まで無事故無違反で過ごさなければ出世と退職金に響くかららしい。また、本人が亡くなって時効と思うので話すが、麻雀仲間に消防署長がいた。彼の家で市の外郭団体職員と麻雀をしていた時のこと。当時ヘビー・スモーカーだった僕のタバコの火が灰皿を飛び越して敷き詰めた絨毯に落ち焦げてしまった。早速写真を撮って保険で弁償したが、それ以来誘われなくなった。彼も定年まで自分にとって『ヤバイ奴』とは付き合わないタイプだった。あれだけ定年後の楽しみを望んでいた彼は意外にも早死にした。彼らの共通点は他人よりも自分。自分さえ良ければの官庁タイプだった事だ。あの世で友達が出来ればいいのだが。人事は人が決めるから『人事』だ。温情だけや、しがらみだけで、冷静に判断できなければ、企業の存続にも関わる大切事。結果によっては凄まじい人間模様が繰り広げられる。僕もかつては某会社の支店長になる時に嫌な目に会った。本社から支店長に任命の内示がでたが前支店長が居座って辞めたくない様子。仕方が無く、本部長に支店長兼務をしていただき僕は支店長代理として支店長席には座らず1年、彼の気持ちの整理が付くまで待つことにした。が、その間いじめに遭った。書類の引き出しの鍵を無くされたり事務作業で支障をきたした。組織の一員も肩書きが取れても固守したがり、ゴネた挙句の果て退職金に上澄みして貰ってしまえば、外部の関係先に僕たちに不利益な情報を流す始末。これも自分さえ良ければ後は自分には関係ないスタイルだ。退職後も勘違いしていたり組織病もやっかいだ。こんな時代を都合良く、のうのうと生きた今の年寄りたちも大勢いた。犠牲者は彼らの何倍・何十倍・何百倍いただろうか。人を踏み台にして塀を乗り越えられたとしても、塀の向こうに幸せが待っているとは限らないのだが。

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