業務命令で社宅4階から3階へ。友子制度。
金融機関に勤めた中学の同級生が東京から札幌支店に戻ってきた。早速、郊外の社宅の最上階の4階があてがわれた。当時は社宅が全盛で、炭鉱なら炭住街、国鉄なら官舎やアパート、銀行や金融機関・新聞社も郊外に社宅をたくさん持っていた。次の年に支店長が代わり、彼は単身赴任でもあり、社員と同じ社宅に入ることになった。
しかし、空いてる部屋は3階の部屋で同級生の真下に住むことになった。彼は、支店長代理という名刺はあるが、実際は主任だったらしい。支店の総務は、あれこれ考えて、4階の彼を3階に引っ越ししてもらい、支店長を4階に住まわせることにした。しぶしぶ彼も了解したが、たった1階下へ移動するのも大変だったと。部下は支店長の上には住めない会社の風土なのだね。
若い人の社宅離れが加速している。できるだけ会社の同僚が近くに住んでいないところのアパート・マンションを選択する傾向がありそうだ。特に既婚者は、夫婦巻き込んだ会社延長の付き合いは御免こうむりたい。家賃も安い社宅住まいに何かいいことがあるとすれば、何だろうと考えると、ススキノから飲む帰りタクシーの割り勘ぐらいかもしれない。
北海道にたくさんあった炭住街に「友子制度」(ともこ)が明治からあった。一度、炭鉱に潜ると、事故に遭遇こともあるので、残された家族を炭住街に住む人たちで支え合う仕組みだ。経済面・精神面で疑似親子のような関係を結ぶのだ。いまで言うセーフティーネットにあたる。ある団地には閉山して炭鉱から移り住む家族が多いが、そこでもう一つの炭鉱出身者で疑似町内会を作り、困ることがあるんだと言ってた。友子制度の名残だと思うが、孤独にならない住み方として、参考になるかもしれない。
昔の少年
銀行は上下関係ハッキリしていますね。今の地元大手銀行の広告制作を受けていた頃は、頻繁に業務部へ出入りしていましたが、まだ喫煙も全盛でオフイスでも平気でタバコを吸っていました。業務フロアの片隅の応接セットでの打ち合わせでもタバコを吸うと、お相手の監査役の方は『若葉』とか言う安いけどフィルター付きタバコを吸っていましたね。上司が『セブンスター』か『いこい』でしたから気を使っていたそうです。僕達もクライアントより贅沢な『ピース』など吸いにくい雰囲気でしたね。北海道に移り住んで、もう長いですが『友子制度』と言うのは初めて知りました。夕張の友達の家は炭住でも鉄筋コンクリートの4階建てだったけど、炭住と言えば木造長屋のような独特な造りでしたね。何となく炭住皆親戚のような団結力のような雰囲気は感じましたね。昔の『長屋』のような『向こう三軒両隣』的なスモール町内会組織でしょうね。お米や調味料に至るまで貸し借りしてお互い様と言う訳でしょうかね。田舎はそうでした。お隣とは裏庭同士のお付き合いで、庭から庭で行き来していましたから。お隣とは親戚以上のお付き合いでしたよ。僕達子供たちも『よその家の庭』で平気で遊んでいました。今なら親に叱られそうですね。田舎でも貧富の差がそのまま上下関係を作っていましたね。土地を多く所有している長者は偉く、小作貧乏はシモベ的な雰囲気を子供ながらに感じていました。そんな上下関係は子供の世界にも多少影響していました。