世の中すべては、ご存知のようにすべて『人間同士の関係』によっている。故橋本治さんの『これも男の生きる道』という浪花節な題名の本だが、ひとえに男に向って(自立して大人になりましょう)という提案書である。そのために(一人前になろうよ)とも語る。しかし、それを現実にするために〈馴れ合いからの脱出)がある。これまで逃避先としてあった集団(会社・家族・仲間)と距離を取っていかないとダメだと。会社べったりはどこか家庭からの逃避先として自分の気持ちをわかってくれる同僚たちへ逃げ隠れするシェルターだ。家族べったりも私の周りに何人かいたが、部下に仕事を丸投げして5時になると早々に退社して家庭に帰る人がたくさんいた。仲間べったりは最近多いSNSに代表される、グループ外を排他的にする超濃密な人間関係。なぜそうなるのかと橋本治さんが分析すると簡単な答えになる。〈そこの人間関係が苦手だから〉。会社から逃避して仲間や家族に逃げ場を求める人もずいぶん多い。家庭から逃避して会社や仲間に逃げ込むのも、男が家庭内で妻や子供とうまく人間関係が結べないという要因がある(ここは妻にとってわかりにくい部分かもしれない)。そして近年、一番多い、仲間うちという人間関係だ。これも〈よく知らない人間がこわい!〉が原形で、外回りや営業を嫌う、なぜなら知らない人間と口を聞きたくない、怖いから緊張する、緊張するから怖い感情が出てくるのかもしれない。考えてみると、営業の大不人気が携帯やスマホの普及と比例関係にありはしないかと橋本治さんの文章を読みながら考えていた。営業は仲間内の世界からどんどん外に出て行く作業である。ルートに乗ってスイスイとはいかない。〈受け容れられるより、やんわり断られるほうが圧倒的に多い)。仲間内の言葉遣いが通用しない大海原だ。疲れるが誰かがしないと外交ではないけれど、国と同様、企業も倒れてしまう。そんなことは知らない、誰かに任せる、知りたくもないと言う人が多いところで営業が大幅な高い給与水準ならまだしも大して変わらないのなら、労多くして得るもの少なしと思うだろうか?私の結論は真逆で、そのときの苦労は時間の経過(10年後、20年後かもしれない)とともに報われるときが来るというものだ。そう確信している。金持ちにはならないかもしれないが人持ちになって生涯を支え合う人に出会えるからだ。人持ちになるために必要なのは、自分はたいした人間ではない、いまさら良く見せる必要はない。わからないことはわからない。ミエをできるだけ減らすこと。そこにいい関係が芽生える。そんな話が〈これも男の生きる道〉に書いてある。〈ちくま文庫)

  1. べったりの友達とか後輩とか親戚とか兄弟姉妹との間柄を縁遠くしたのは移住でした。移住先では新しい仲間もできたり、知り合いも、得意先もできましたが、かつての関係とは少し違うお付き合いになっています。つまり、ズカズカと他人様や身近な人の領域に踏み込み過ぎない、干渉し過ぎず、適度な距離を保って接するようになりました。これで自分も他人様も快適な関係になっているのでは?と思っています。

    • 題名が気に入ってしまいました。(これも男の生きる道)なんてようぞとけました。家庭内の引きこもりの原因は父親の存在の薄さ、軽さに原因あるとずばり書いてます。父親が妻と子供と(付き合い方がわからない戸惑い)があって、会社や仕事に逃げます。社会の鏡の父親が薄いので、子供が世の中へ出ても第三者言葉(社会の言葉)で会話できず、母子関係を濃厚に残したまま職場や学校に行きますから、元々排他的な学校や職場ですから弾かれて引きこもりになり、創造的な人はすごい人材になりますし、親の生活費と薬のお世話になります。考えてみるとビル街のオフィースはガラスとコンクリートに囲まれた成人引きこもり場所かもしれませんね。営業をして街中を回ってる筆者から見ると、この国も1国に引きこもっていて、トランプも引きこもり宣言(アメリカ国内第一主義)してますから、世界中が引きこもり。

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