自宅の庭に大きなブルーベリーの樹木がある。高さ2mになるまで15年以上かかった。7月8月にブルーベリーは大活躍をする。とうてい夫婦二人で1年かかっても食べ切れない実が収穫されて、近所や知人に分ける外交官ならぬ外交木になる。町内で6軒に配る。ブルーベリーをプレゼントするのはそれだけで楽しいものである。蜂蜜を入れて電子レンジに入れると20秒でジャムが完成。庭にはほかに青シソがあるだけで野菜はほかに何も植えていない。自宅の裏庭にジャガイモを植えようとしたら、向かいに住む元農業普及員の人がそれを見て『そんな土の浅いところではダメです。30センチは深さがないと育たないよ』とアドバイスされ植え付けを諦めた。娘が嫁いだ大分からも幸水梨やブドウの巨峰や富裕柿も届く。これも自分たちで食べる個数を残して近所に配る。12月には大量の餅も届くのでこれも配る。近所では各家庭で大根やニンジン、ササギ、キュウリも作っているので、今度はこちらは野菜をもらう側になる。春にはアスパラガス、秋にはジャガイモをいただける農家もあって食に関しては恵まれた環境にある。なぜ、食べ物の話を書いたか。次の文章を読んだからだ。食べ物を上げたりもらったりするとお互いいい顔になる。生きる基本は食べることだから、それを直接共有し合う関係は強いし、安心が生まれるからだ。都会に長く住むと金があれば食料は買えばいいと思うが、それは違う。

『町の群集はどこか殺気立っている。町は食べ物を作らない。食べ物はいつも村から運ばれる。言い換えると供給が絶えれば町の民は飢えることになる。都会の暮らしにはいつだってその不安感がつきまとっている。都会ではたくさんお金があれば食料を確保できるだろう。他人よりもたくさん買って蓄えておける。隣人との富の比較がはじまり、貧しいという実感が身に迫る。・・・やはり人は地面に近いところにいて、自分で食べ物を作っているのがいちばん安心なのだ。』池澤夏樹 パレオマニア75p

昨年9月6日の地震で近所のスーパーやコンビニから食料品がすべて消えた体験を私はしているから、物流が止まると大変な事態になる。農家に囲まれる人口6万人の町でさえこうだった。飢えは実は都会のど真ん中にあるのだと思うと恐ろしい気がする。住民同士で食料の交換ができるかどうか試される。

 

  1. 最近では送料も値上げされ、本州へ生野菜を送る場合、本体より送料の方が高くつく事も多いです。それに物流の発達で本州でも北海道のものが意外に安く手に入るとなると受け取った側の有難味も依然とは変わってきていますね。これまでアキアジやジャガイモやトウキビやリンゴを送って来ましたが、お陰で昔の様に催促されなくなりました。消費増税など我々消費者の財布も堅くなって昔ほど大楊に振る舞えなくなったのも事実です。隣近所ならまだしも、本州と道内間でのやり取りはこれからも少なくなりそうです。

    • アスパラガスも長野で美味しいものがたくさん作るようになりましたね。そちらのほうが輸送が安く済みますからね。地産地消なら首都圏や大阪はキツイでしょうね。千葉・群馬・埼玉あたりしか食料生産してないですからね。豊洲市場が異常な大きさになってること自体が、異常な人口・異常な輸送・異常な道路網になってることに気付かないのでしょうか?ライフラインはあっという間に崩れますよ。

  2. 東京など都会に住む姉たちとは以前からやり取りはありませんでしたね。むしろ広島や福井など地方都市に住む義理の兄や妹とは北海道の野菜や果物を送り、先方からは新鮮な魚介や北海道では取れない野菜類などが送られて来ていましたね。都会では隣近所でさえ深いお付き合いは珍しく、またどんな物でも集まってくる都会には何でも有って不自由しないのでしょうね。しかし地方都市でさえ都会化されて来た今日では、そんなお付き合いも希薄になりつつありますね。

    • 地方都市との間のほうが食べ物のやり取りが、そういえば多いですね。食料・果物・魚介類の交換が多いからでしょう。付き合いは高齢化はしていますが、密な会話は続いています。東京からお客の土産はお菓子ばっかりですね。大阪も神戸で作られた菓子やチョコ多いです。直接生産したものは地方同士。都会は加工と包装紙です。

  3. 千葉が大停電で混乱状態ですね。メロンなど野菜農家も、蘭などの花卉栽培農家も、魚介を取り扱う漁業者も電気の給配水循環ポンプが作動しなくなり全て廃棄処分をしているそうです。ハウスも生産施設も破壊され、住宅も工場の被害も甚大です。これまで頑張って来た高齢の方たちも復旧には相当の資金が必要なため廃業して、細々と年金暮らしを余儀なくされています。都会には大企業の税金と若者たちが集まり、地方都市の働き手は中高年ばかりのうえ財政も逼迫していますから、行政が肝心な食料生産者たちへ手を差し伸べる事もありませんね。最近の傾向では地方の市町村でさえコンビニや大型スーパーが出来る状態ですから、本来の地産地消を逆行していますね。

    • 希薄な近所付き合いの復活を同世代からしています。子供のころの長屋感覚で、下町の工場育ちなので、芝刈りの機械が壊れたら近所の職人上りのおじさんに持って生きます。親切に対応してくれます。松の木の伐採は電気ノコギリを借りてきます。そういう付き合いの延長に食べ物交換があるわけですね。食べ物の交換感覚はほぼ同世代に残っていますね。困ったことがったらお互い助け合いましょうということです。

  4. 昔、昔の少年。

    知らず知らずの内に、私たちは食料は買うものだと刷り込まれてしまいました。幼い頃に田植えや菜園や稲作や炭焼き、干し柿づくりなど経験して来たはずなのに、その学習は今、一切,活かされていません。もちろん自分の子供たちや孫たちのも伝承どころか何一つ残せていません。これで未だ両親が田舎にでも生きていれば農業や林業の現実を見せてあげられたのですが、今や他界して数年に数回墓参りにしか行きません。田舎も失くした僕ですが、札幌でも郊外に行けば土地を借りて菜園をしている方々もいらっしゃいます。都会暮らしでも農業の真似事くらいは誰にも出来る証ですね。

    • 年間1万円払って農地を借りている人も多いですね。近所のおじさんは軽トラまで買って自宅と畑の往復をしています。たくさんの野菜を作っているらしいのですが、行ったことがありません。プロはだしです。私は農業(テンサイの草取り3日間)や林業(林道の測量のみ体験)に従事したことがないので恥ずかしいですわ。頭を肥大化する教育の洗脳を受けてきて、足腰が弱いです。食料危機に絶対的に弱い私なので、せめて近所付き合いで自衛しようとしているのだと思います。

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