ネットはプチうつの人たちの他罰を容易に。
ネットはプチうつの人たちの他罰を容易に。
9月15日「システムへの依存とクレーマーの大発生」を書いた。自分では何ともできない分野でのトラブルを相手の責任にする思考習慣、クレームを言い、ときに訴訟を起こしたり、言われたほうもうつ病を発症したりして、仕事を止めざるをえなくなる話だった。
香山リカ「悪いのは私じゃない症候群」(ベスト新書)を読んでいたら、30代・40代の大人が病院へ親(多くは母親)と一緒に来て診察室に入り、患者そっちのけで母親がペラペラしゃべる話が書かれてあった。そして誰誰さんのせいで、娘がこうなってとまくしたてる。うつ病で休んだ若い人の場合、今度はその親が「会社が悪い、人事異動のせいで息子〈娘)が鬱になった」と訴えるケースも出てきた。どちらのケースも親が出てくる。
その間、本人はパソコンでゲームをしたり、レンタル屋さんでDVDを借りて映画鑑賞なんぞしていたりしてるかもしれない。プチうつは、遊んでいると元気なケースが多いらしい。パチンコや海外旅行も楽しんでいる人もいる。先生から「自由に遊びなさい」と言われたのかもしれない。「鬱の苦しさを君たちは知らないんだ」とも言う。酒好きは毎晩晩酌をしている人もいた。私の周囲にも仕事場、親戚、近所にたくさんの鬱で苦しむ男女がいた(いる)。
長い人生(あっと言う間)でたくさん落ち込む事件はあるけど、ひとりでも愚痴を聞いてくれる人がいれば何とかなるものだ。顔対顔で対話できれば、鬱も軽くなる。そのための赤ちょうちんではなかったかな。自分の間違った誤解も氷解するかもしれないしね。私も何回も、そういう場に救われた。妻からは無駄なお金を使って、赤い顔して帰宅してどうしようもない・・と愚痴られたが。それなりの役割はあったのだ。
いまは小遣いも減り、スマホの通信費やソフトダウンロードでお金を使う。しかし、ITを使って他人を責めることが簡単になった。お金もかからないし、匿名で書ける(しかし、誰が書いてるかは警察や弁護士が入ればすぐに知れる)。昔のうつ病は何もやる気が無くなり、ガソリンの切れた車の状況だったが、新しいプチ鬱は、とにかく他人を責める。責める元気がたっぷりある。自分には責任がないと誤認し続けているから、軽快だ。ネットは自分の立ち位置は「安全」、日ごろいろいろ不満がある、それを晴らすツ-ルとして最適だ。貧しさから脱出できない、気に食わない上司に囲まれている、異性との関係がうまくいかない、親とソリが合わない、不満を出せばキリがない。それを一時忘れて、過剰な他罰を繰り返しがちだ。
しかし、ネットでは強く自己主張ができる。なぜなら、自分は安全な(と思っている)防空壕に入っているから。防空壕の小さな穴から外を一方的に覗いている。そして自己主張を続ける。ゆっくり長い対話を心がけて生きたいものである。もう少しましな社会になると思う。
坊主の孫。
つい最近、或る知人から仕事場の事務所に突然の電話が。「今から伺いたいんだけど・・・」と。現れた彼は何故か明るかったが話を聞くと30年余も勤務した会社を辞めたと言う。十数回も転職した僕にも何となく状況が分かるのだが、勿体ないとも思ったが彼自身の人生ですから他人がどうこう言える立場ではありません。でも思い切りがいいと感心もしました。あらゆる職場環境にも問題があり、特に上司との間での人間関係が辞める大きな原因の一つには間違いありません。人格軽視やパワハラやシカトなどと辞めたいと決断するいろいろなキッカケがあるのでしょうね。耐えきれず会社を休めば鬱と決めつけるのもどうかと?思いますね。職場環境の悪化は社員の精神をむしばみますね。気持ちよく働ける環境を作れば、それだけで企業のプラスにも働くし、チームワークも取れて社員のやる気も起きると思うのですが、兎に角、間違った管理が企業のマイナスになる事を管理職の方々も考えた方がいいですね。仕事の訪問先でも「○○君は辞めたんですよ」と最近よく聞きますね。辞めた後に快適な職場環境へ転職できればいいのですが。もし売り上げなど成績不振なら皆で考えればいいんじゃあないですか。同じ釜の飯を食べている家族なんですから。
seto
最後に坊主の孫さんが書いた『同じ釜の飯を食べた家族』という観念がなくなってます。孤立者同士の集団は管理職にとって操作しやすい人間になってしまいますからね。分断して統治すれは、昔の為政者の言葉ですが、もともと分断されている社員同士や市民や国民は、めちゃくちゃ操作と洗脳しやすい集団です。昨日あった性的少数者のパレードが元気があって『ふつう』の価値観をブッ飛ばすいいデモでした。SNSは人も集めますが、それ以上に分断と誤解を生み、生の本音の会話を遠ざける働きもあります。パワハラやセクハラは突然のコミュニケーション、日常の信頼関係の構築をさぼってきた上司に責任ありそうです。
昔の少年。
ネットでの攻防は激しいですね。揚げ足取りの応酬で炎上とか。汚い言葉?(文字)で罵り合いますが、実際に面と向かって果たしてそのまま言えるのでしょうか?。きっと言えないと思いますね。自分の姿を隠しておいてのSNSでの攻撃は卑劣な手段ですね。言葉も暴力に成りますから、どれだけ他人を傷つける事かは、自分が蒔いた種が大きく成って自分に返って来れば分かると思いますよ。愚痴や他人の悪口や批判ばっかりしていると、そのうち、鬱どころか本当の病気に成りますよね。
seto
鬱的な人間が、自分を責めてたり他人を責めること多いですね。みんな頭がよくて物知りで本やネットで調べようと思えば『こんな症状になればあなたも鬱かも』などというページも氾濫してます。自分に嘘をつかなければ『ほとんど該当することばかり』なので病院へ行くと薬(抗鬱剤)を処方されて一時的にハイになるだけ。いつまでも飲み続けて病院と薬メーカーに奉仕します。医者の診断書もいい加減で『飲まなくていいよ。友達とおしゃべりしたら』ぐらいのアドバイスできないのでしょうか?
寡黙な僕。
口は災いの元。ですね。黙って居れば済むことを、人はつい余計に口を滑らせてしまいますから喧嘩に成ったり、いがみ合い付き合わなくなったりしますね。そこで、僕は一週間のうちの二日間だけは、余り喋らないように心がけています。それは火曜日と木曜日です。
seto
寡黙(火・木)ですね。男はリアイアして自宅部屋(パソコン・読書)やガレージ(車の手入れ)や庭(草むしり)や歩道(ウォーキング)図書館(新聞読み・週刊誌読み・昼寝)をしている同世代、山のようにいます。スーパーでは妻の買い物を終わるのをサービスカウンター前で退屈そうに待っています、運転手です。『口が災いの元』なら、きっと、これ全部、男が喋らない営みではないかと書きながら気づきました。なるほどね。会社勤めのときは『余計なことを言って人間関係をぶち壊す、人事に影響を与える』で注意されたことがありますが・・・・。どう考えるといいのでしょうか?
広告マン。
誰も居ない早朝の公園のベンチに頭を抱えて座っているワイシャツ姿のサラリーマン風の人が居ました。クルマで通り過ぎただけでしたが、その背中が何となく気になってしまいました。きっと何か大きな悩みを抱えていたのでしょう。そんな情景を見ると、過去に自分にも、そんな時期があった事を思い出しました。自分で解決するしかないのでしょうが、出口が見つからなければ相談できる友人知人の一人でも居れば良いのですが。
seto
私にもあります。そのときは喫茶店のカウンターで飲みたくもないビールで顔を赤くして、マスターに愚痴を毎日聞いてもらいました。果たして発散になったかどうかわかりませんが。住宅ローン返済、子供の教育費、親の高齢、会社の業績と人間関係など40代50代は、集中豪雨のように襲ってきますからしっかりした屋根の下に逃げないといけないですね。
ホランペッター。
通信機器の発達で、これほど密に連絡しあったりできる環境は異常かも知れませんね。かつては公衆電話とテレカしか無かった時代もついこの間ですよね。今や子供たちまでLINEでのトークや無料電話でのやり取りが半ば常識となっています。昨年のブラックアウトで皆が先ず第一に確保しかがったのはスマホの電源でしたね。そしてクルマの給油でした。むしろこの際、故意にブラックアウトにしてサバイバル訓練でもした方がいいのかも知れませんね。イザっ!と言う時の為に。
seto
故意のブラックアウトをするイベントはありますよ。市内のビルやテレビ塔、会社の電灯を全部消す運動です。サバイバル訓練ではないですが。現代、連絡が密過ぎて、メールル疲れ、ライン疲れが生じてます。『一人にしてくれ』願望が強く出ていますが、相手がそれを許さないとハラスメント状況になってしまいます。顔対顔ならすぐに反論ができるのに短文の言葉は誤解の海ですから、最後はケンカになったりします。何月何日、何時、どこどこで会う。何日の講義は休講。地震につき学校休み。こういう一斉メールなら意味あると思いますが、その中に自分を入れ込もうとするところからおかしくなります。芸能人はほぼこの自分を入れる、覗かせることで余命を保っています。静かな孤独な時間が必要ですね。