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久しぶりの宗教会議です。これまでの開催日を教えますと第1回が6月8日、第2回が6月10日、第3回が6月15日、第4回が6月26日でした。これ以降に筆者のブログを読まれた方は、せめて4回目の話を読んでいただければ幸いです。

4回目の最後にモーセからの提案が「一神教の功罪を考えると、功より罪の方が多いのではないだろうか、順次、一神教を捨てていこう」という提案でした。これに対して、司会のフロイトさんが「まあまあ、モーセさん、興奮なさらずに」というところで終わりました。

6月26日から今日まで続きが書けず、申し訳なく思っております。約1か月半の時間が経過して、この間、ISISへは世界中から義勇兵が1万人以上参加し、さらに少女を含め女性を兵士の妻(奴隷)にするために、特定の部族やキリスト教徒をさらっている現状ですが、詳しいISISの現実が伝わってこないのが現実。

新聞記事の扱いやテレビの画像もめっきり減りました。彼らの流すプロパガンダ映像を意識的に排除していることも考えられますが、フロイトさん、いかがでしょうか?司会をよろしくお願いします。

(フロイト)「長いご無沙汰でした。一神教の元祖と言われるモーセさん、エジプトでも実は一神教はあったのですが、それをその後の世界史へ導いたモーセさんから、それを捨ててはいかがだろうかと発言されたのには正直、驚いております。イエスさんやマホメットさんもびっくりした顔をしてましたが、どう思われます?イエスさんから」

(イエス)「私はユダヤ教徒として、モーセさんを尊敬しておりました。エジプトを出て、シナイ半島を30年以上、旅を続けてこられたのも一神教のヤーヴェへの信仰があったからでしょう。それを、世の中全体を考えれば、現代はむしろ世界の平和に寄与する以上に、害になると判断したのでしょうね。私の扱いを巡って、様々な論争がありました。神から預言を預かった者とか神の子供(神の子)だとか聖霊だとか、それを発言する人間の都合で、私一人のために論争に次ぐ論争でした。使われた時間とエネルギーは膨大なもので、そんな時間があれば一粒の麦でも植えて人々の食料を作れば良かったのに思うときもあります。私もその後の新しい聖職者や政治勢力に利用されてきました。新約聖書にしても、私は何も書いてはいませんんし、後の人が書き残したわけで、わけてもパウロの異教徒への手紙や書簡の影響は大きいでしょうね。最低限の教え(汝、殺すなかれ)が守れないのなら、モーセの言うように、一神教の基礎の基礎がユダヤ教であるわけですから、宗教の存在価値がないともいえますね。これでは、生まれると同時に洗礼を施せる宗教とはいえませんね。だって、判断力のない幼児に対して失礼ではないでしょうか?」

(フロイト)「おやおやイエスさんも大胆なご意見を述べました。マホメットさんはモーセさん、イエスさんの意見にどう思われますか?」

(マホメット)「いま、おふたりから、自らの宗教の基礎である一つの神について、肯定的ではない、いろいろな歴史や現実を見て、欺瞞的なものだと述べられましたが、お二人とも当初は戦う宗徒、既成の宗教を改革する側にいたと思うのです。モーセさんはエジプトの高官でアメンホテップに宮仕えして、彼の失脚と同時にエジプトを出たわけで逃げて逃げてカナンの地へたどり着き、そこに至るまでに多神教の原住民をたくさん殺しているわけです。すでに神から(汝、殺す勿れ)と言われていたにもかかわらずです。イエスさんは磔刑にされましたが、残された言葉が口から口へ伝えれれて、ローマの正式な国教にまでなって、政治と宗教が混然となって、他国へ侵略する(流布する口実で)ものに使われました。イスラムについては、正直、私も困っております。シーア派やスンニー派という、外から見たらどこをどう区別したらいいかよくわからない内紛があるわけです。比較的ヨーロッパ科学に理解を示すイランを中心にしたシーア派は全イスラム教徒の最大20%を占め、残りはスンニー派だと言いますが、私でさえどこが違うのかよくわかりません。私もモーセさんやイエスさんと同じく、一神教を一度チャラにしてみてはいかがだろうかと思うこのごろです。」

(フロイト)「お三方ともそんな発言をしてよろしいのですか?現実の中東やアフリカ、アジアで宗教が違うだけで殺されてる現実を見ると・聞くと怒りが生じてくることはよく理解できますが、必ずしも彼らだけが宗徒ではないわけですから、敬虔な信者の方がいまでは多数ではないでしょうかね。ここで休憩して、次回は老子・孔子・シャクシャインに語ってもらいます。」

(休憩に入る。次回は未定)

1回目6月8日、2回目6月10日、3回目6月15日、4回目6月26日

  1. 宗教は精神のよりどころのはず。いつの間にか派閥が争いに、争いが戦いにまで発展するのは古今東西変わらない。宗教に限らず派閥はどこにでも生じ、誹謗中傷は絶え間ない。エスカレートは誰かが先導すると同調して膨張して行く。原因は不要な介入からか。もし宗教・宗派別に国を作れば解決するとしたら、無宗教の国も必要だと思うし布教介入して欲しくないと思う人たちも居ると思う。自由な時代に、信じるものだけが厳しい戒律を守るのも善し。正しい教えは認めるとしても、それを万人に押し付けるべきではないし、神の名を借りて暴力や脅しは既に神の道に背いているのではないか。そこに神のご加護は存在しないだろう。ところで、根本的な疑問だが、神様は存在するのか?ギリシャ神話では沢山いらっしゃるようだが?真実は「神、蚤?ぞ知る」?。ちなみに僕は無宗教と言いながら北海道神宮に昨日参拝した。何も要求せずお賽銭を少々入れて記帳し、お守りとおみくじを買った。「末吉」神のご加護は当分なさそうだがなんとなく清清しい気分だった。最近では日本人より中国圏の方々の方が熱心に参拝に来られる?(不思議)

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