男の獲得形質はほぼ女性にもてない。(鹿島茂)
100分で名著ユゴー「ノートル=ダム・ド・パリ」の解説中、名文家の鹿島先生がおっしゃるには「男性というものは、自分が努力して獲得したもの—-高い地位や豊かな学識、お金や家、車など--を見せつければ、相手の女性が自分のことを好きになるはずだと思い込みがちだからです。しかし、実際には、女性が男性のそうした獲得形質に惚れることはほとんどありません。女性が恋愛感情を覚えるのは、悲しいかな、男性の容姿や肉体や声やトークなどの(かくあるがままの姿)なのであって、その男性の努力によって獲得されたものではないのです。もちろん例外はありますが」
それを自己認知欲望、「ドーダ」と表現した漫画家東海林さだおさん。「ドーダ、おれはすごいだろう」「ドーダ、まいったか」「ドーダ、おれを凄いと言ってくれ。おれを愛してくれ」自慢や自己愛の表現形態が「ドーダ」です。ほとんどドーダのキーワードで男の行為はすべて分析できますね。結局、高い評価や女性からもてる営みをしているだけともとらえられます。私も料理を作ったり、3食のご飯を片付けて「ドーダ、台所が綺麗になっただろう」庭の芝刈りを終えて「ドーダ、庭はきれいになっただろう」少しボーナスが良かったときは「ドーダ、すごいだろう」。全く、鹿島さんや東海林さだおさんの男観察が鋭くて、何も答えれない筆者です。さらになぜ自分が女性から悔しいが全然もてなかったのかも判る気がします。(心ひそかに私に惚れていた女性はいたかもしれませんが、聞いたことはありません)。
駐日フランス大使の講演を聞いて、ユーゴの『ノートル=ダム・ド・パリ』の概説でも読もうかとめくったら、男の『嫉妬』が筋の中心にあって解説されていて、私も乗せられてついつい書いてしまったわけであるし、私のブログ読者の大半は男であるから『ドーダ!』もすぐにわかるキーワードで納得されると思う。しかし、これは男同士の名刺交換や学歴自慢などでも遺憾なく発揮されて、飲み屋・路上での名刺交換、メールでやりとり、部下の突然の出世で退社する男社員など書いたらキリがないほど溢れて、ドラマや事件にまで発展して、作家のネタを提供している。もともと臆病な生物として男は作られているが、それを糊塗すべく無理に『男らしさ』や『金』や『乗る車』、『肩書』、『気前の良さ』で補てんを繰り返す。(しかし、これには継続性という観点が欠落していていつまでも続くと思うな男の見栄)旧約聖書とは反対に、女性のあばら骨から男が誕生したという話のほうが、無理な男社会にならなくて人類は済んだかもしれないとさえ思う筆者である。戦争も勲章ももっと少なく、安上がりの世界になったろうと妄想する。『男の獲得形質はほぼ女にもてない』と思えば、少し肩の荷を降ろして生きられるのでないか?だからといって親だけは怨みませんように。こういうブログを書くこと自体、なんか女々しい自分を見る気がする、まったく。
広告マン。
SNSの中でもフェースブックは学歴や職歴自慢が多いですね。最初はやりかけたのですが、自慢する事も無いのでやめました。けど今だに「お知らせが有ります。知りあいかも?」のメールが頻繁に来ます。全然知らない人ばかりですが、無理に知りあいに成らなくてもいいので放ったらかしています。ドーダにも上には上がありますからね。貧乏自慢のSNSって無いのでしょうか?。
seto
私もある人を介してやりかけました。が、一度もいいねやオメントは送ったことがありません。事細かく履歴を載せている人もたくさんいます。高校や大学も平気で載せて有名人気取りの人もいて、その周りに亜流、自慢好きが囲っていました。私も一度開けると何度もメールが届きます。酒や食事やゴルフ自慢、経済書の紹介や第三者から見たら少し吐き気がするかもしれません。ある人は筆者と仲の良かったやつなのでがっかりしてます。「貧乏人を助けるのは貧乏人だけ」と現在、ブログを書いています。貧乏自慢のブログのSNSも受けますね、きっと。いい発想です。貧乏経済にとっくに入ってますから、このあたり、メディアは相当遅れていますね。自分の足でローカルを歩かないとわからないところでしょう。
好きになるより、好かれる側になりたい。
容姿端麗なホストか、マッチョで背が高く、足も長くないとしたなら。それで女性にモテようと思えば、先ずは小まめに連絡を取り合い、褒めちぎり、毎日毎日サプライズを考えて、ご機嫌を取らなければダメですね。でも自分では最高のサプライズと思っていても相手にとっては何とも感じない事が多いので、次から次へと新手のサプライズを考えなければいけません。これに疲れてギブアップするようでは失格ですね。ですから、初めからアプローチせずに、逆アプローチを待つのが賢明かも知れませんね。蓼食う虫も好き好きですからね。
seto
ダサイ服、不潔、生意気、マナーだめの青春時代でしたから、モテるわけもない私でした。この歳になってわかっても遅いが、孫や娘からみて素敵なじいさんになるのが夢だとしたら、まあそれもいいかなと思うこのごろ。それでもモテる時代が自分にあったのか不明です、きっとあったと思いたい・・・・・。