清潔志向の行く先は?!(再録ブログ)
同一規格化された家畜は絶滅の危機に陥ったとき、あっと言う間に死に絶える。(女はバカ、男はもっとバカ。われら人類、絶滅の途上にて、藤田紘一郎。2015年刊 三五館 144p)。
藤田さんは、戦後、日本社会が人間を『家畜化』への道を 選んで、異端や異なる他人を許容しなくなるにしたがって、『息苦しい』『不寛容な社会』を構築してしまった。こういうときは生物の大先輩(生物出現したのが38億年前に比べて人類はたかだか20万年)である昆虫や鳥や動物の生き方、特にその『バカ』さ加減に学んではいかがと定言している本だ。
抗菌剤の度を越した普及や風邪でもないのに『ダテマスク』をすることで他者との交流を拒否する人々の増加、加齢臭を気にする余り、無臭志向(動物である限り匂いは出る)に向かう一方で、生物としての人間は、どんどん規格化へ進み、生きづらい社会にしている。数々のアレルギーの発生と清潔志向や抗菌剤の普及と平行現象と見ている回虫博士藤田紘一郎さんの本は面白い。生物としての人間が弱体化している風景だ。清潔志向は男をメス化させる。老人や病人の体臭まで嫌われるようになる。特養老人ホームへ何度も行ったが、確かに尿臭いことは確かだが、すぐに慣れる。
話は変わるが、『文芸春秋』(2016年9月号 92p)にローマ史家の塩野七生さんがこんな文章を書いていた。『歴史に親しむ齢月が重なるにつれて確信するようになったのは、人間の文明度を計る規準は二つあり、それは人命の犠牲に対する敏感度と、衛生に対する敏感度。・・この敏感度が低い個人や民族や国民のほうが強く、負けるのは文明度の高い側で、勝つのは常に低い側』。
欧州を覆う難民の問題をイタリア在住の彼女が吐いた科白だ。藤田紘一郎さんの本にも特に衛生面で(敏感すぎる)民族は危ういとも語られてもいるから、全く異なる分野の人が期せずして未来の社会・生き延びれる人間像を描いているともいえる。(そんなの平気のへいさ)で生きられる人間のたくましさが欲しくなるこのごろだ。ただ、生命に対する敏感度だけはずっと高くあってほしいと思うが・・・この辺、どう考えたらいいのかどうか。
また、清潔志向は、ゴミを大量に増やした。ラッピング過剰やプラスチックトレーが増えて膨大なゴミを増やしている。焼却処分されるが、環境ホルモン・ダイオキシンを外へ出して人間のホルモンへ異常な作用をもたらす。男の精子の数の減少にも影響しているといわれる。(日本不妊学界で大阪大学森本教授が60人の21歳の男性を調べたら、精子の数や運動度が正常なのは2名。8割近くがカップ麺やハンバーガーを常食していた。食品添加物の影響を指摘している)。
人間の細胞は1万年前と変わっていないにのに、外の環境が変わっていく。細胞自身が困った、困ったである。だって1万年前の環境に適応してきた細胞なのに汚い空気や水や食べ物、人工の添加物をどんどん取り入れて困るのは当然である。
昔の少年。
加工食品が多い昨今ですが、加齢とともに食べなくなりましたね。どうせ食するなら生野菜や魚と時には肉ですね。蕎麦など以外の麺類はさほど食べたいと思わなくなりました。私たちの育った環境の3分の1くらいまでは、ほとんど自然食品しかありませんでした。その後加工食品や人工飲料が増えて、自ずと食するようになりましたが、南極観測隊や宇宙ステーションでもない限り加工食品に頼る必要もないですね。災害時の非常食など一時的な時には加工食品や人工飲料は有難いのですが。加工食品や人工飲料などは体質が変わらない程度に利用したいものですね。
seto
私も小食になりました。といっても良く食べるといわれますが・・・、カップ麺や焼きソバは大好きですから加工食品云々はいえませんが、野菜をモット食べればいいのでしょうが、小さなころから食べません。人工飲料はたまにエナジードリンク飲む程度です。癖になるある成分が混入されてるらしいです。清潔とはあまり関係ない話になりました。
坊主の孫。
コカ・コーラがアメリカから上陸したての頃、大阪の夏にはじめて呑んで驚きました。「なぜ?アメリカ人は、こんなものを好んで飲むのだろう?」と。しかし、慣れは恐ろしいもので、まるで「コカインでも入っているのでは?」と疑うくらいに呑んだものです。しかし、歳をとると糖分の多い飲み物は自ずと避けるようになってきました。天然水とか銘打って水のペットボトルも大量に売られていますが、果たして?天然水なのか疑問です。現に東京の都心の製造工場から出荷されている水などもありますから、水道水を浄化しただけかも知れません。それなら、北海道の水道水の方が遥かに美味いですね。幼い頃に呑んだ谷川の清流の水、あれこそが真のミネラル・ウオーターですね。当然ながらバクテリアも大切な味の一部ですね。
seto
水は水道水で十分ですよ。日本中美味しい水道水。これを飲料水をトイレにまで使ってる国はそうないでしょうね。沢の水もずいぶん飲みました。キツネのエヒノコックスが怖いといいましたが、山歩きのベテランがこの場所なら大丈夫と指示をしてくれました。キノコもフキもなんでも美味しい山の中。人間の大腸はバクテリアの巣で彼らがいないと消化作用できませんね。大切な友達です。
広告マン。
清潔志向と言っても、自然の原料や製造現場や加工現場を知らない者たちの考えであって、実際の製造過程ではそんなに潔癖な環境ではありませんよね。昔にように下肥は使わないにしろ、肥料や農薬はもちろん、スーパーで綺麗に並んだ肉も汚れた小屋の家畜から、卵だって鶏舎の鶏から、牛乳だって同じです。最初から陳列棚に並んでいる姿ではありませんね。清潔好きとか潔癖症などは単に現場や現実に目を背けているだけに過ぎませんね。潔癖症を自慢などするよりも、植物や動物の大切な命を頂いている訳ですから感謝しなければいけませんね。
seto
潔癖で困るのはそれを他人に向っても潔癖を押し付けることです。いろいろな場面で。たぶん、幼児のころから母親から清潔指導されて取れないのでしょうね。アレルギー多発の原因がばい菌やバクテリアを体内から殺していったツケかもしれません。
元、塩ビ製品製造メーカー社員。
今日はビニールゴミの火です。未だにあふれるばかりに捨てられているのがビニールゴミです。レジ袋を廃止の動きもありますが、あらゆる包装資材に塩ビ系樹脂が多く使われています。ダイオキシンなど人体や環境に悪影響を及ぼす事は照明されている訳ですから、もっと早く手を打つべきではないでしょうか。環境大臣も若返った訳ですから、銃刀法の規制のように、日本がお手本になるような。
seto
ビニールですね。100円ショップはプラスチッックであふれています。プラゴミはどこまでいくのでしょうか?まずは日々の暮らしからですね。
かつては古代人。
昔の暮らしを知っている古代人?の僕は災害に遭っても何とかしのげますが、進化?した現代人は至れり尽くせりの環境の中で体よりも頭だけ働かせて、与えられた情報にどっっぷり浸かって物知りよろしくクイズ王なんて自慢していますが、電気が止まっただけで、もうギブアップ!お手上げでしょうね。電気、ガス、水道がすべての住まいや交通網など各種インフラの社会ですから、いつも何かに頼り切っていながら、更に便利さを要求して不平不満を言っています。昔の暮らしぶりは、冬に向かえば暖を取る為の薪を蓄え、漬物など保存食を作り、春になれば作物を作る準備をして、暑い夏もクーラーなどに頼らず、秋には収穫作業にいそしみ、水は谷から引き込んだり、井戸から汲み上げたり、煮炊きは電気の要らないカマドを使い、囲炉裏で薪を燃やして集中暖房に。干し柿などの乾燥場にも利用しました。トイレは下水なんかに流しません。夏場に自分で汲み取り肥料にします。決して清潔とは言えませんが、生きるためのサイクルでした。
seto
その点、江戸は世界で一番のリサイクル都市だったのに、肥だめも売られていて、それを担いで農家へ売っていたものでした。臭い消しの消臭剤が売れてる世の中で考えられませんが、私が小学校4年までは札幌でも肥だめでした。私の孫も和式のトイレでさえ嫌がります。古代人は野原や森の中で用を足しててたのに。生きるサバイバル術が見直されていて、マンション族も子供たちをキャンプにつれていくことがブームです。便利が超不便に変わるのは目の前にありますから、それの準備は日頃からしないとパニックになります。私も何をどうしたらいいか?食べ物を作れず、川でさかなも釣れず、困難で餓死スル可能性もありますね。