身を削った仕事師たち
デビュー40周年になる「山下達郎コンサートツアー」の日程が7月12日に発表された。全国35都市64回のコンサートだ。昔、彼のコンサートを興行していた札幌のS・K社の社長と知り合いで、達郎のコンサートが近づくと「ことしは何枚確保したらいい?」と電話が入った。
事前に私も達郎ファンの社員に枚数を聞いていて「4枚」「6枚」と注文した。もちろん正価で。場所はいつも特等席。会場センターのミキサーの真後ろで音も最高の場所だ。FM局やテレビ局へは数枚のチケットが渡されていたかどうかは定かではない。その彼が52歳でガンで死んだ。山下達郎が10人もいて、毎回、チケットが完売されるタレントばかりではない、赤字のコンサートも多かった。
元々、お父さんの代から演歌に強い興行会社でもあり、息子の代でも演歌歌手を多数引き継いだ。契約通りのタレントギャラを払い、演奏者へもギャラ、会場費(舞台制作費)、宣伝費、印刷物代金、打ち上げの飲み食い代、ゴルフの付き合い、警備員のバイト代、社員の給与そして自分の給与。全部払ったら、サラリーマンの方がいい暮らしができるよ言われたこともある。見た目の派手な仕事の裏に悲哀も多い。
彼が亡くなるずっと前だが、S・K社員でニューヨークでヒットしたミュージカル「コーラスライン」に魅せられて、東京で上演するなら、何としても札幌でも上演させたいと、N・Yを何回も往復して、交渉に交渉を重ねてついに公演に漕ぎ着けた強者社員がいた。彼の情熱に相手が根負けしたいう噂だ。公演が終わって数か月後、彼は死去した。全精力を「コーラスライン」を呼ぶためにのみ命をかけた人生みたいだ。それを諦めさせず、ゴーサインを出し続けた社長も偉いと思う。
高い入場料を払い見に来る人はその辺の苦労はわからないが、わからなくていいことかもしれない。ただ、目に見えるものの背後にとんでもなくたくさんの人たち、顔を知らない人たちが支えているのだということ。これは何度も反芻しておきたいことではある。もうこの世にはいない人でも、私たちを支えているのだ。
山下達郎コンサートが来ると、柔和なS・K社の社長の顔が浮かぶ。S・K社は今は廃業している。達郎のコンサート前日、舞台つくりのトラックが2台、会場の後ろに止まっている。舞台を作る人たちが働いている。現役サラリーマンのときは、公演前日に必ず会場の後ろを見に行くのが習わしになっていた。小さなイベントを数多くやってきた私の癖かもしれないが、いよいよ明日だというときめきもある。チケットが取れるかどうかわからないが、札幌公演が12月2日と3日。「クリスマス・イヴ」を聞くには最高の季節だ。いまは亡きS・K社の社長に聞かせたい。
昔の少年
山下達郎級になるとその世界では神様的存在でファンもハンパな気持ちで来る人は少ないと思う。僕はそれほど熱中するミュージシャンは居ないが、何でも観るほうで「演歌」でも「ロック」でも「Jポップ」でも「JAZZ」でも「ゴスペル」でも「Kポップ」でも「浄瑠璃」でもその時々に観たいもの聞きたいものがあれば観たり聞いたりするが、やはり舞台裏に興味があるほうだ。照明・演出・演奏・装飾・舞台装置・メイク・衣装など裏を見たくなる。興業と言えば親戚がSonyMusicでXJapan全盛時の興業の時の話も聞いたが、ミュージシャンによっては苦労も多いらしい。KAT-TUNの時は会場は女の子ばかりでちょっと浮いてしまった。それぞれの観客層にも興味がある。チケットはネットで購入するようにしている。