宇佐神宮 舞楽『陵王』高間龍一撮影

撮影 高間龍一

ブログで以前にペストの話を書いたが、記録に残されたペスト死・疫病の歴史は相当古いし、記録に残されていなくても、たくさんの人が亡くなったはずである。現在の時点であること・見えることは、過去にもきっと同じような(全く同じではなくても)ことがあったはずと思うのは当然で、歴史を学ぶ意義もそこにあるし、汲めども尽きぬ知恵の宝庫が歴史であったりする。

ペストの歴史は、だから比喩として考えれば、現代社会の態様に甚大な被害をもたらすウィルスや海外渡航者の来訪で広がる伝染病もそうだし、一番は福島原発のメルトダウンと損傷。あてにならない専門家のいい加減な言説の山に国民が振り回されて、『専門バカとバカ専門』の人々にメディアが占拠された時間を返してほしいと筆者なら思う。

先月、NHK特番で日高の鵡川町の穂別で見つかった恐竜の化石の番組をしていた。化石収集趣味のおじさんが山の斜面に『おや?あれは化石ではないかな?』と掘って持ち帰り、専門家に調べてみると、『このあたり一帯を掘ってみよう』ということで掘ると、全身骨格に近い骨を発見した。歴史・過去は、地層の中や地層の表面に顔を出していたりするので、よくよく見ましょうね・・・ということである。そしてそれは未来(この場合はなぜ恐竜は滅びたのかなど)を指し示す。つまり、現在の中に過去も未来も含まれるとはそういうことである。

人を見る場合に『第一印象が大事だね』という言葉遣いも、実は『表面の顔に、彼の過ごしてきた時間、これからするであろう出来事(仕事や人間関係の構築可能性)を』瞬間的に、見た人が光の速さで判断しているのかもしれない。すでに7回書いた『ペスト』について、再度書くのは、デフォーの『ペスト』が同時代人の記録として書かれていたからで、さらに彼の視点に自分の書いたものが未来の人たちにわかってくれたらいいなあという記述でもあって、筆者はブログを書いたのである。こういう同時代人が視点を高く天まで昇らせ、目は地面を這いずりながら、生きてる庶民に横から観察して書くのは並大抵の気力ではできない。

16世紀、カリブ海の金銀財宝を目指して艦隊を送り込んだスペイン。宣教師としてカトリックドミニコ会の宣教師ラス・カサスが同行したが、次々にインディアンを虐殺する同胞のスペイン人について『インディアンに関する簡潔な報告書』を国王に書いたことを思い出す。『なぜ、同じ人間に対してこうも残酷な行いをするのか』と詰問する・弾劾する文書を当時の国王に送ったのである。モンテーニュの『随想録』にも同様な記述があったと記憶する。しかし、これが労働力として西アフリカから黒人労働者をインディアに変わって運ばせたとも言われている。別称この『黒い報告書』はスペイン王室かカトリック教会に深く隠されて、国民に見せないようにしたのである。この文書が日の目を見たのはフィリピンを取り合うアメリカとスペインの戦争(1898年)でアメリカ側からスペインの非道を暴くものとして世界に出された。権力側はいつも都合の悪い文書を隠すことになっているのである。メディアや勇気ある人はこれを暴こうとする。『新約聖書』『旧約聖書』でも信者に知られたらマズイ言葉は、深くバチカン図書館にあるかもしれない。

しかし、人間には想像力があって、『あれっ、おかしい』という事実の断片から、膨大な新事実、広大な嘘を発見することもできる。デフォーの『ペスト』を読みながら、そんなことを考えていたので報告しておきます。『現在の中に、過去も未来も含まれている』と思うと現実が多面的に立体的に見えてくる。今にすべてがある。あの人があそこでああいう行動をするのは、少年時代からああいう性癖がずっとあってしょうがないのだ・・と思ってる親や教師がいるかもしれない。見たくないものは見ないように生きることはできる。しかし、それは何倍も大きな負債として未来に利子をつけて返ってくるものだ。

  1. 現代つまり「今」は過去から生まれ、未来をも予測していると言う事ですかね。現代を「自分」に置き換えてみればわかりやすいかも知れませんね。自分はこれまで様々な環境や行いをして来ましたが、その過去の良い経験を活かしたり、悪い経験を省いたりして、これからも生きて行くであろうと。しかし、人間も、特別な人を除けば、自分に都合の悪い事は忘れたふりをして目をつぶり、都合の良いところばかりを記憶に残したがったり伝え話したりしますから、この先の未来も、そうするのではないでしょうか。歴史に残る記述や映画や芝居などはその代表かも知れませんね。過去の歴史と言っても、その範囲は広く、戦争であったり、芸術であったり、一般社会の暮らしぶりだったり。でも美化され過ぎている事には違いありませんね。しかし現実は「過去」も「今」も「未来」も、かつてスペイン艦隊に同行したと言う宣教師が見たような事は、多かれ少なかれ続いて行くのでしょうね。

    • こうなると歴史は繰り返す(過去起きたことは今起きている、これからも起きる)ことになりますが、歴史という主語はないので、それに関わる人間が同じ過ちを繰り返すのだと思えば納得しますが、これでは人間の進歩・(知識の積み上げで賢くなる動物だという幻想)は無いに等しくなりますからね。ギリシャ時代の本を読んでいると『なんだ、いまと変わらないじゃないか』と。なります。紀元前の本ですが。しかも、市民1名に奴隷10人が支える社会ですから、富める人は学び勉強し激論を戦わせ、あと10人は黙々と櫂を漕いで、肉体労働をして家族を養っていた。戦争となれば真っ先に前線へ、手柄は武将に上げて。

  2. 第一印象の人相が「素敵なほほ笑み」の人には惹かれますね。「苦虫をかみつぶしたような」人には良い印象は抱けませんよね。人間の表情はダイレクトに相手に伝わるので得をする人、損をする人などそれぞれでしょうね。でも、いくら形相が険しくても第一印象で人格までは読み取れないでしょう。それで「いつも陰険な顔」の人を見れば、初めから「嫌な人だ」と判断する前に「どこか身体の具合が悪いからだろう」と考えるように努力しています。病気やケガで痛みや悩みを持っていれば「笑顔」ばかりも作れませんからね。そんな僕も、かつては、仕事で電力会社を訪問すると、女子事務員たちの間で「あの人はいつも眉間に皺をよせているよね」と噂されていたようです。病気ではなく、当時の緊張や悩みがそのまま出たのでしょう。その後は、出来るだけリラックスして笑顔も作れる?ようになりました。多くの若い女性たちには「苦虫顔」などいませんね。この先の未来さえも明るく生きて行けそうな。きっと今を十分楽しんで生きているからなんでしょうね。

    • 若い人が明るい未来を生きて欲しいと思いますね。その邪魔をできるだけしないよう道を空けて、『はいどうぞ』で私たちは譲っていくようにしたいものです。限られた胃袋と脚力しかないので、それを保つために最小限のお金と空間があればいいのですが・・・・。

  3. いくら文明が発達して環境が変わっても、人間の本質は余り変わらないのでしょうね。働いて、食べて、睡眠をとって。また同じ繰り返しの中で、近い未来に向けて生きて、そんな短い生涯の中で一体何が出来るのかと自問してみても、歳を重ねた今から、大した事は出来そうにもありません。過去の偉人たちが今に残した事のかけらも残せません。そんな大きな夢のようなビジョンもありませんが、せめて微力でも、一つでも、何か未来に役立つ行いをできればいいと思いますね。

    • 未来に残せるものって何があるでしょう。私なんか仕事にしても何にもしてこなかったと思いますね。何か新しいものを社会に付け加えたかと考えると心もとないです。親戚で20か国世界旅行をしてきた夫婦がいますが、足元に40歳を超えて引きこもる息子を抱えています。アンバランス家族。未来に残せるのは彼らにとって『金』しかありません。残念ながら世間知は残せません、労働の尊さも、他人の必要さも、誰かに感謝する心も。貧しかったほうが、彼にとって未来は開かれたかもしれません。食べるためにしゃにむにならないといけないから。他人と関わらないといけなかったから。しかし、バランスのいい夫婦や家族って、絵空事かもしれません。私含めてどこも歪んだ家族の要素ありますが、家族のお手本は自分の両親しかないからここが基軸になってしまいます。

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