「家屋閉鎖令」(ペスト デフォー)第5回
Posted by seto

ペスト患者が出た場合、1603年のときのペスト流行もそうであったが、「家屋閉鎖」を行い「家人もろとも患者の家を閉鎖する権限」を議会で決め、市長や参事会が家屋閉鎖令を施行した。

さらに、死者の埋葬についても有名な、日の出前と日没後に搬送して、いかなる知人や隣人といえども、棺に従って教会に行くこと、死者の家へ弔問することも禁じられる。この禁を犯せば、家屋閉鎖・投獄の刑に処せられる。しかも遺体は教会内の墓地での埋葬は禁じられている。さらに患者の出た家の家具類はじめ寝具や被服の転売も厳格に禁止。

さらにすべての感染家屋には標識をつける、長さ1フィートの赤十字の標識と「主よ、憐れみたまえ」の文字。さらにきついのは、家族でひとりでも患者が出たら、家人は家を出れず、移動もできない。街路はできるだけ清潔にするよう心がけて、家庭から出る塵芥は、市や人通りの多い街路から離れた場所に捨てる場所を設けて糞便も近郊の農園に捨てることを禁じた。食べ物についても、去勢豚、犬、猫、家鳩、兎は市内での肥育を禁止。子豚と徘徊を禁止。

さらに「放蕩無頼の徒及び有害無益な集会に関する条例」というのがる。不浪人や乞食の群れはペストの1大原因なので彼らの取り締まり強化。芝居など雑踏を招くイベントは中止、酒を伴う宴会は一切禁止。節約されたお金はペストに見舞われた貧乏人の救済と福祉に貯金する。午後9時以降、いかなる料亭、居酒屋での出入り禁止。以上の内容をさらに細かく書いた法令がロンドンで告示されたのである。ペストが出た家は24時間体制で「監視人」に囲まれる。家屋の閉鎖は、はじめ残酷で非道な処置として世人の反感を買い、閉じ込められた可愛そうな人たちは悲痛な叫びを訴えたものである。健康な同居者も閉じ込められたからである。中には暴力を振るっても外へ出ようとする者もいた。デフォーはしかし、公益の観点から家屋閉鎖に踏み切ったのはやむおえないと考えている。あとは監視人へ屋内の人間が様々な術策で抜け出せるかどうかの話になる。ロンドン市中に閉鎖された家屋が牢獄としてその数を増やしていったわけである。

書きながら、人間の幸せは静かに何事もなく一日が過ぎていくこと。イベントや事件もなく少し退屈だけど静かに暮らせることだとつくづく思う。

17世紀のロンドンに自分がいないから書けるペストの話で、実際、自分がもしそこにいたらどうするか。『すぐ、逃げる。北のスコットランド地方へ。私の先祖が食えなくなって、徳島から藩ごと北海道へ渡ってきたように』。しかも北は寒くてウィルスが繁茂しづらいのではないかと楽観するが。
。あとは監視人へ屋内の人間が様々な術策で抜け出せるかどうかの話になる。ロンドン市中に閉鎖された家屋が牢獄としてその数を増やしていったわけである。

 

  1. 恐ろしい話ですね。中国の武漢でも家屋の出入り口を木材を打ちつけ封鎖する映像が流れました。あれは国ではなく地域住民たちが強行したもののようです。昔は田舎でも結核患者のいる家は人が近づかなかったですね。親戚の叔父さんも結核で青白い顔をして時々外に出てきますが、僕たち子供は逃げていました。鬱で精神病の成人した娘や息子も土蔵に閉じ込められていました。家族が食事を持って行く時に重い格子戸を開けた時ぐらいしか陽も入らないような土蔵でした。今、思えば、子供たちは事情も知らず石を投げたりはやし立てたりと悪さをしたものです。地域社会から隔離された病人たちの心情は計り知れないものでは無かったかと、今になって分かるようになりました。今回の新型コロナウイルス騒動も終息には向かっているのでしょうが、個人個人の危機管理を勉強させられた事件ですね。

    • 中国でも個人宅の封鎖事件があったんんですね。土蔵の中で暮らす子供も多かったと聞きます。私も小学性のころ、そういう人たちに石を投げていた方ですからえらそうなことは言えません。しかし、知恵が遅れたり、精神がおかしい人も外を歩いてました、自宅に閉じ込めは少なかったと思いますね。開放的でした、世間の許容幅が大きかったのではないでしょうか。石を投げるガキがいる一方で、同情したり助ける大人もいました。車も少なかったので道路でうろうろしても事故にはなりません。彼らはいまどこに行ったのでしょう?

  2. 昨日はイベント会場の大型ショッピングモールに朝早く立ち寄ってから出社しました。開店と同時に食品売り場は大混雑でした。丁度朝市と称して野菜などの安売りを開催していたので主婦やお子様連れのお父さんや、ご老人まで幅広い消費者の方々が食品を買っていました。僕も外食も行きたくなかったので、お昼のお弁当にサンドイッチとマカロニサラダと温かいお茶を買いました。皆んなマスク姿でした。展示会場は、全般的に人はまばらのようでしたが、土曜日だと言うのに特に午後3時過ぎからは人通りが少なかったようです。皆さん同様に人混みに長く滞留する事を避けたのでしょう。もちろんイベントの女性スタッフたちにもマスク着用をさせました。イベントの常識は人混みですが、今回は全く予想外で、結果は、むしろ安心でした。今日で終了ですが、先ずは無事に終わりますよう祈るばかりです。今夜は深夜の撤収作業です。今は丁度制作作業もピークですから、風邪すら引いては居られません。来週には少し落ち着けるのではないかと思いますが、周囲で感染者が出ませんように。

    • 金曜日、36号線の回転寿司『トリトン』に12時30分行きました。きっと空いているだろう予想が当たって、カウンター席へ。寿司回らず、注文のみ。厨房は元気でした。から元気かもしれませんがね。マグロがいつもより大きく乗ってました。イベントお疲れ様です。こちらはスーパーへ買い出しです。ペストは実際、合計で何人死んだという数字がばらばらです。死亡率は30%から50%。ひどい村は全滅です。ノミとネズミが原因で鼠蹊部と肺の2種のペストがあります。十字軍の遠征や船、道路網の整備、川を利用した運行、人が集まる教会などで拡散しました。司教も亡くなりました。それより怖いのは当時もそうですが『噂』です。日頃から不満を持っている人たちのエスケープドード探しです。

  3. ペストほどでは無いにしても今回の新型コロナウイルス騒動は世界中で様々な事態を産んでいますね。イタリアでのある地域では道路封鎖をして地域外へは特別な許可が無い限り出られないようです。韓国と日本の間では渡航禁止に関して、また問題が発生しています。緊急事態に後手に回った対策が思わぬ所でこじれています。こんな騒動の最中にミサイル発射実験をする国まで現れましたが、核兵器に直結するミサイルさえも、もはや世界中の人たちの関心事では無くなったようです。対岸の火事ではなく、感染拡大が自分たちの身近な問題だからでしょう。

    • 北朝鮮へフランスの医師団が入ったニュースが流れています。ヨッロッパの教会の周り、壁、屋根にたくさん彫刻が掘られていますが、死を連想させるものが多いですね。6世紀から始まり、14世紀ピーク、18世紀再来のペストですから。これを学校教育で叩き込まれていますしね。メメント・モリ(死を思え)という、いつ何があるかわからない、死は突然背中からやってくる、鎌を振りかざした死神が真上にいるという構図が彫刻・絵画・版画に膨大な数、残されています。デフォーはこのうち18世紀のロンドンを中心に記録してます。

  4. 今回、一人の感染者も居ない国もあるんですね。これまでも渡航者が極端に少ないのか?今回早々に封鎖状態なのか?事実なのか?それとも隠蔽か?。何でもある国では観戦情報を漏らせば逮捕されているとかの噂もあります。鳥インフルエンザや豚コレラや狂牛病では有るまいし、まさか粛清?ではないでしょうね。

    • コロナウィルスの電子顕微鏡の写真を見て、専門家がこれは3種のウィルスの混合かもと推理してました。HIVウィルスとサーズウィルス、もう一つは忘れました。ウィルスについている突起物の形を調べてるのですね。アメリカの新聞に書いてました。なのでHIVの薬アビガン(富士フィルムと富山化学)が効果を発揮するのもうなづけます。

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